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日本国が「目指したもの」5~わが国の『衛生観念』のルーツを探る~(後編)ー日本人のための『和の国・日本国』講座68ー

こんばんは。高杉です。

日本人に「和の心」を取り戻すというスローガンのもと
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。


さて、

前回まで


わが国の『衛生観念』のルーツを探る


のテーマでお話をさせていただいています。

前編・中編の続きからお話をさせていただきますので、
ぜひ、ご覧になってから、見てくださいね!


今回は、
わが国の『衛生観念』のルーツにいよいよ迫っていきます。





1)日本で最初の疫病はいつ、どのように起こったのか?




どうして
生活のありとあらゆる場面で『衛生環境』を保つという常識
これほど発達するのか?

それは、我が国が長い長い歴史の中で培ってきたからです。

では、どのくらい古いのか?


なんと、
今をさかのぼること約2000年前

第10代 崇神天皇の時代です。

この崇神天皇の時代(崇神天皇5年)、

日本では、疫病が発生しました。



疫病と言えば、
2020年、中国・武漢を発生源として、武漢肺炎が世界を襲いました。

人類は、新型ウィルス感染症の危機に直面し、
生きていくために、また、社会を維持するために、
どのような知恵を働かせるか?
ウィルスや感染症について、
これまで以上に考えなくてはいけなくなりました。

しかし、
新型コロナウィルスといっても、
人口の8割を失ってしまう疫病ではありませんでした。



しかし、歴史をさかのぼっていくと、
かつては、
人口の8割が疫病により亡くなるということが
当たり前のようにあったのです。

例えば、
我が国は鎌倉時代。

ユーラシア大陸を席巻した元の帝国は、
いつの間にか消滅してしまいました。

元は、人口が最盛期で1億2000万人いました。

12世紀の国でですよ?

ところが、
ペストという疫病が中国の武漢あたりから発生し、
元の大帝国、
1億2000万人の人口が、たったの2500万人になってしまいました。

人口の8割。

5人中4人が疫病によって亡くなってしまったのです。





そして、2500年前に、
この日本でも第10代、崇神天皇の時代に疫病が発生しました。

では、どのくらいの規模の疫病だったかというと、

『古事記』では、人口の半分が失われたと書かれています。
『日本書紀』では、人口のほとんどが死滅したと書かれています。


では、実際どのくらいの方が亡くなったのか、長い間不明でした。




2019年、東京大学大学院理学研究科の調査結果で、

日本人のDNAを調べていったときに、今から約2000年前、
縄文時代の人口が27万人いたということなのですが、
この人口が突然、8万人にまで減ってしまったというのです。

27万人が8万になったということは、
日本の人口が3分の1に減ってしまったということです。

約7割の方が亡くなったことを指します。

これが確認されました。



2)崇神天皇はどのようにして疫病に立ち向かったのか?



そして、
このことが実際に、『古事記』『日本書紀』にも書かれています。

今から2500年前。崇神天皇の時代。

まだ医学が発達していません。原因も分かりませんが、
多くの臣民が亡くなっていきました。

崇神天皇は、
「これは、神々の怒りに違いない」と考えました。

そして、
全国の神社に命じて、
どのようにすればよいのか、意見を求めました。

はじめは、真面目に一生懸命に話を聞いていた崇神天皇ですが、

神社の数がやたらと多いため、聞いても聞いても

様々な意見が出てくるため捌ききれません。




そこで、

①天社(あまつやしろ) 
②国社(くにつやしろ) 今の各都道府県の一宮のことです。
③神地(かむどころ)  市町村単位の中心となる神社
④神戸(かむべ)    氏神様


4段階に系統化していきました。

そして、
崇神天皇は、ある重大な決断をしました。




それが「手水舎」を設置することでした。

当時、人々が村の寄り合いで集まる場所は神社でした。

神社に人々が集まるとき、

鳥居をくぐったら最初に、

みんなで手を洗って、口をゆすいで、柄杓を置いて、

みんなで集まって、そこで話し合いをして、最後にみんなでお食事をする

ということが

この時代から始まりました。

そして、

この習慣が定着したことにより、

あれだけ国内を席巻していた疫病が

たちどころに沈静化していったというのです。



3)わたしたちの習慣にはすべて歴史でつながっている




歴史を見ていくと、

今から約100年前にも、パンデミックが起こりました。

世界全体で大流行した疫病に「スペイン風邪」があります。

「スペイン風邪」はスペインが発生源ではなく、

スペインの王子が感染したことからこの名前がつけられました。

もともとの発生源はやはり、中国の武漢であったと考えられています。

当時、世界の人口は20億人。

そのうちの5億人が感染しているんです。

4分の1が寝込んでしまい、

そのうちの1億人が亡くなってしまったんです。

この疫病も世界にものすごい大きな影響を及ぼしました。



当時、
欧米列強は、清を植民地化し、軍隊もシナ大陸に駐屯していました。

しかし、
いかんせん、スペイン風邪の発生源ですから、

それぞれの国の軍隊が怖がって自分の国に帰ってしまいました。

そして、

各国は、日本は地理的にも近いのだからあとは任せた!

といって

日本がシナ大陸の治安維持を任されることになりました。

そうして、

日本軍がシナ大陸に常駐することになり、

先の大戦につながってしまうのです。

だから、スペイン風邪の影響は、今でも日本に色濃く残っているのです。




ウィルスによる問題というのは、

ちょっとしたことの積み重ねで対策を講じることができたりします。




日本でも、

崇神天皇の時代に全国の神社に「手水舎」が作られるようになり、

みんなが集まるような場所では必ず手を洗って、

口をゆすぐ(うがい)という習慣が生まれ、

これによって疫病が沈静化していった。

その結果、

わずか8万人に減った人口が

ほんの数十年の間に67万人に増えていったのです。

それ以来、日本では様々な疫病が世界からもたらされましたが、

ヨーロッパの人口の6割が失われるようなことになっても、

世界諸国に比べて格段に被害を受けるようなことにはなっていません。


手洗い、うがい、毎日風呂に入る。

食事、トイレ、ゴミの捨て方に至るまで

私たちが当たり前のようにしている習慣には

全部歴史や意味があるのです。

そして、

それは2600年の我が国の歴史の中で

先人たちが受け継いでくれたことなのです。



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自分や自分の家族の幸せだけを願っていた僕が、この日本国に生まれ、日本人として生きることができ、本当に幸せだな。誇りに思うことができるようになりました。


だから、あなたにも知ってほしいのです。


私たちが生まれた日本国が本当に目指していたものを。日本国が本当に素敵な国だということを。


そして、今日まで、私たちが豊かな暮らしを営むことができるこのすてきな国が続いているのは、日本国を、私たちを命がけで守ってくださった先人たちのおかげであるということを。


先人たちが大切にしてきた精神性。

僕たちの心の中に眠っている精神性。

『和の精神』を呼び覚まし、再び日本を皆がよろこびあふれる豊かな国にしたい。

自分を、自分の国を堂々と語り、誇りに思ってほしい。

子どもたちが希望を感じ、いきいきと輝くことができる国にしたい。


それが今、我が国に生きる僕たち大人の役割だと思うのです。


一緒に、日本を学びませんか?


最後まで、お読みいただきありがとうございました。

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