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日本古来より受け継がれる「禊」の文化とは?【上巻】⑶黄泉の国ー日本最古の歴史書『古事記』⑦ー

こんばんは。りたろです。

自らの持ち味を社会に貢献する「『和』の学級経営」を軸に発信しています。


今回は、

「日本人のための『和の国・古典文学』講座」という主題のもと

『古事記』の中にある

「黄泉の国」(上巻)を紐解くことで、

『和の国・日本』とは何か?を考えていきたいと思います。



日本古来より受け継がれる「禊」の文化とは?
【上巻】⑶ 黄泉の国
ー日本最古の歴史書『古事記』⑦ー
【今日の内容】

1)ついに誕生!天照大御神!!
2)神社になぜ「手水舎」があるのか?
3)日本古来より受け継がれる「禊」の文化とは?



前回のお話では、

あらゆる手を使って、

シコメや黄泉の国の軍勢を退治したイザナキ。


そして、

イザナキとイザナミの夫婦喧嘩(夫婦離別の言葉の交わし合い)によって

生と死がはっきりと分かれ、

一日に1500人生まれ、

一日に1000人が死ぬという

世界になっていくのでした。。。



1)ついに誕生!天照大御神!!



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黄泉の国からイザナキが現実世界に戻った時、


「自分は嫌なものを見てしまった。見ると何とも厭わしい穢れた国に行ってしまった。すぐに身を清めなければ…。」


ということで、

「禊(みそぎ)」をすることにしました。


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ここで、身を清めた場所が、


筑紫の日向の橘小門(たちばなのおど)の

『阿波岐原(あわぎはら)』

というところでした。



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「禊」とは、
心身の罪汚れを水によって流したり、
祓い清めたりすることです。


「禊」は、現在でも行われており、

男性は、ふんどし一丁

女性は、白衣を着て行います。


昔から、

「死」は「穢れ」の象徴として考えられていました。


死者の住む黄泉の国は、

そこに行くだけで穢れがついてしまうと思われていたのです。



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この「禊」によって、

様々な神様が生まれることになります。


イザナキは、

まず、身に付けていた服や小物などを投げ捨てました。

そこからは、

「道の神」「流行り病の神」「災厄の神」「分かれ道の神」

「食物の神」「水の神」「漁業の神」など

合わせて、12柱の神が生まれました。


次に、黄泉の国でついた身体の垢を洗い流すと、

「八十禍津日神(ヤソマガツヒノカミ)」

「大禍津日神(オオマガツヒノカミ)」という

災いをもたらす2柱の神が生まれ、


黄泉の国の穢れを流すと、

「神直毘神(カムナオビノカミ)」

「大直毘神(オオナオビノカミ)」

「伊豆能売(イズノメ)」

という3柱の神が生まれました。


また、

イザナキが水に潜った時は、

海に関係する6柱の神が生まれました。



そして、

いよいよ皆さんが聴きなじみのある神様が誕生します。


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左目を洗うと、『天照大御神(アマテラスオオミカミ)』


この後、高天原の統治者となり、

伊勢の神宮のご祭神、太陽の神様です。


右目を洗うと、『月読命(ツクヨミノミコト)』


月の神様です。

大切な神様ですが、この後『古事記』に登場することはありません。


鼻を洗うと、『建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)』


嵐の神様。

勇猛迅速に荒れすさぶる神様です。


この3柱の神様が、

日本神話でもとりわけ大切な


『三貴子(みはしらのうずのみこ)』


と呼ばれています。


この『三貴子』の誕生で、

神話の世界は大きく動き始めることになるのでした。。。




2)神社になぜ「手水舎」があるのか?



神社に参拝するときに、

必ず目にするものがあります。


それが、


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「手水舎(ちょうずしゃ)」


です。


では、


なぜ、どこの神社にも「手水舎」があるのでしょうか?


実は、『疫病』と深い関係があるのです。


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第10代「崇神天皇」の時代。

全国的な『疫病』が大流行します。


『疫病』というのは、

ペストやコレラなどの伝染病のことで、

後年の14世紀に、

中国で発生したペストがユーラシア大陸を席巻して、

ヨーロッパにまで及びました。

当時、ユーラシア大陸の人口が半分になるという

猛威に至っています。


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時を経て、

再び同じような現象が起こっていますね。

歴史は本当に繰り返されてしまうのですね。。。


崇神天皇の時代の『疫病』がどのようなものだったかは

詳しくは分かりませんが、

『古事記』には、


「民衆の半分以上が亡くなった」


と書かれています。


そこで、崇神天皇がスタートしたのが、

全国的な衛生環境と行政機構の整備でした。


『疫病』の原因の多くは、

今では、ウィルスによる感染と分かっていますが、

ウィルスが発見されたのは、ようやく20世紀初頭に

なってからのことです。


もちろん。

崇神天皇の時代には、まったく原因はわかりません。


ひたすら神々に祈ることしかなかった時代です。


ここで、

崇神天皇は、

全国にある神社を統合し、組織化し、

中央と地方をつなぐ行政システムの中に取り入れました。


そして、

天社から神戸まで

すべての神社に『手水舎』を設置し、

そこで手洗いと口をゆすぐことを徹底させました。


さらに、

神社において神様への奉納米として

農家で作っておいたお米を預かり、

これを保存するようになりました。


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神社において、

全国的なお米の備蓄管理体制を構築し、

「手洗い」と「口をゆすぐ」ことの習慣化と普及によって、

国全体の衛生環境の整備をはかられたことになります。


この効果はすぐにあらわれ、

『疫病』は瞬く間に終息していったそうです。


「日本人はきれい好きな国民」


と言われ、

今日でも神社に行けば、必ず『手水舎』があり、

参拝する人たちがそこで手洗いをしていますよね!!


(現在は、できないところが多いのですが…)



(今だからこそ、使うべきだと思うのですが…)




3)日本古来より受け継がれる「禊」の文化とは?



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現在、歴史は繰り返され、

世界は『武漢肺炎』によって、混乱しています。


ところで、

世界中で感染者や死者数が増える中、

圧倒的に少ないのが


「日本国」


です。


では、


なぜ「日本国」はこんなにも抑えることができているのでしょうか?



理由は様々考えられますが、


大きな要因は、


「日本人がきれい好きであること」だと

私は考えています。


例えば、


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帰宅後、

食事前、

トイレ後の

「手洗い」と「うがい」


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また、

「家の中土足禁止等々の生活習慣」

他国にはあまりない習慣のようです。


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そのほかにも、

「トイレ」や「下水」の技術は、

世界の中でもトップクラス!


「厳格なごみ分別制度」があり、

地域によっては20種以上の分別が行われています。


「ティッシュ文化」があり、

何か汚いものを見つけるとティッシュできれいにします。



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挙げればキリがありませんが、

やはり「入浴文化」ですよね!


蒸し暑い夏と寒冷な冬への対応と、

火山国で温泉に恵まれていることで、

日本に多様な入浴法が生まれました。


これは、ある種の「禊」を毎日行っているのかもしれません。


このように、

『古事記』より続く「禊」の文化

今の日本人の「衛生観念」につながっているのかもしれませんね!




日本国は、建国してから令和3年で、2681年。

『現存する世界最古の国家』です。


『古典文学』に触れると、

1000年以上もの間、

いろんな時代の日本人が

「きれいだな!」

「おもしろいな!」

「大切に伝えていきたいな!」

と感じたり、考えたりしてきたことが分かります。


国際情勢が混沌とする時代だからこそ、

まずは、大人であるわたしたちが

日本人の失いかけていた、日本人の一番大切な部分


『和の精神』


を取り戻して、一人一人が輝く。

大人が輝けば、子供が輝く。

子供が輝けば日本国の未来も輝く。


一緒に、『和の国・日本国』を楽しく学びましょう!



最後まで、お読みいただきありがとうございました。

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