「幸せ」について考える
リュックを買った。
ずっとずっと欲しかった。
1日目、
水筒についた水滴さえリュックの中につくのが嫌だった私は、丁寧に布巾で拭いてからそっとしまう。
お弁当の漏れも気にしながら。
・・・ ・・・
そんな私のリュックちゃんは、今そこに置かれてる。
側にある物によりかかっている。
だるそうに。
口を開けたまま。
お腹に金曜日の水筒を抱えながら..
まるで酔いつぶれたOLのように。
パソコンを買った。
ずっとずっと欲しかった。
1日目、
設定をする。
キーボードにつく皮脂をティッシュで拭きながら。
大事に大事に..
・・・ ・・・
その後のパソコンの使い道。
大画面で見れるYouTubeを堪能。
大画面で見れるプライムビデオを堪能。
ん、
パソコンちょっと重い。
タブレットのほう持ちやすいな。
タブレットも大画面で見やすいな♪
ん、
プログラミングやるために買ったパソコン、
なんか学校帰ってくるとやる気なくなるな('ω')
ま、ゆーちゅーぶ、ゆーちゅーぶ♪
ん、
してることスマホと変わんねええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ
人間はないものねだりな生き物ですね( *´艸`)
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はい、タイトルと関係あんの?これ。
あります。
ずっと欲しかったリュック。
私はあれが届いたとき、とても幸せな気持ちになりました。
学校で背負ってるのもウキウキな。
でも1か月ほど経って、私にあの時の幸せの感情があるかと言われたら、
ないです。
ずっと欲しかったパソコン。
買う前、
「パソコンがないからプログラミングの勉強ができない。あれば自分だってつよつよになれるもん!」
って思ってました。
でも、いざ買ってみると現実は違いました。
この2つを挙げて言いたいのは、
「自分が幸せになれない理由を、周りのせいにしていた」
ということです。
欲しかったリュックを買って、その3日間は私も幸せでした。
でも徐々にその幸福度は薄れていき、やがてなくなります。
そして1年後くらいには、私はまた新しいリュックを求めているのでしょうか?
物に幸せを頼るというのは、こういうことなのかもしれません。
パソコンを買ったら、私は自然にプログラミングをやるのだと思っていました。
でも、買った後の私はやっていません。
気づきました。
できない理由を、やらない理由を、私は環境のせいにしていたのだと。
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「お金があれば幸せになれる」
What do you think about this?
今までの文章は、このためのものです。
お金で買ったリュック。
お金で買ったパソコン。
・・・ ・・・
私は幸せになれたのか?
・・・ ・・・
私が幸せだった瞬間はいつだろう?
考えてみた。
入ろうと思っていた美術部をやめて、テニス部に入った中学校の3年間。
コミュ障でチキンな私が勇気を出して申し込んだ、夏休みの短期留学。
私が思いついた幸せは、これでした。
「お金で買ったモノ」が手に入ったときではありませんでした。
読んでくださっているあなたも、考えてみて下さい。
「モノ」
でしたか?
多くの人は、
「経験、体験、思い出、やりがい」
などではないでしょうか?
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お金で私の幸せは買えない。
これが私のアンサーです。
少し頑張ってみた行動に、価値があった。
私は行動する。
テニス部に入ったあの時のように。
勇気を出して申し込んだ、あの時のように。
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