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[創作回顧録] My詩集「悪魔に乾杯」

自作の拙い詩、小説を紹介するコーナーです。

子どもの頃ぼくは小説家かギタリストになろうと思っていました。まだPCもネットもない時代ですから今と違って「なろう」サイトみたいなものはないですから他人に読んでもらう術は自分で同人誌みたいなものを作って配るくらいしかありません。ですので中学生のとき、物書きが好きな友達を集めて雑誌を作りました。2ヶ月位のスパンで自作も含めて数点集めて、表紙の絵を書き、目次をつくって編集後記まで書いてヒモで綴じクラスのみんなに読んでもらってましたね。創作が本当に好きだったんでしょうね。ギター始めてすぐ曲も自分で作ってましたから。

さて、高校生の頃、国語の先生から詩を書いて出せと言われて出した結果、学年一等賞に選ばれた詩をまず紹介します。
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髑髏

鏡の中の髑髏がこちらを見ている
思い出すのは幼い頃の生物学教室
ウィンドウの中に置物のように並べてある髑髏
かれらとは違ってこちらの髑髏は贅沢だ
手にはボードレエルを携えて
酒の入ったグラスに唇をつけ
頭を少し右に傾けている

余りにも長年で見飽きたが独特の不気味な雰囲気が洒落ている
こめかみや顎の付け根から機械仕掛けの音が聞こえてきそう
洞窟のごとく落ちくぼんだ眼窩には
薔薇でも生けてやれば似合うに違いない
あやふやな血や肉が無いだけに
信頼できる友だ

今夜はこれでおやすみ
また明日の朝会おう

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覚えている選評は「ちょっと気取り過ぎだけど」だったかな?一等賞が二人いてもう一人の書いた詩のほうがずっと躍動感にあふれていて良かった。
当時のぼくは、小説だと芥川や三島由紀夫、太宰、ドストエフスキーやカフカ、カミュ、詩だとボードレールやランボー、萩原朔太郎など今でいう古典純文学に入り浸っていて、思春期独特の気取った厭世観に包まれていましたから、詩も小説もみなこんな感じです。まだ親のすねかじりで人生を知りもしないのに、知ったかぶりをしている文学青年ですね。しかし、個人的な意見ですが、小説は別として、詩は若い頃、10代の思春期に書くのが一番だと思うんですね。世間知らずですが感性が極めて鋭く、パッションにあふれていますので。その敏感さを失わずにいられれば良いですが、大抵の場合社会に出て生活に埋もれてしまうと、どんどん鈍感になっていきます。
だからおとなになっても純粋でいられるプロの詩人てすごいなあと思います。

さて最後にもうひとつ当時の詩を紹介して記事を終えます。
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階段

階段があった
白い雲に覆われひび割れた階段が
それは降りるための階段だった

わたしは昇りきってしまったのだ
最上階まで来てしまったのだ
見上げれば透明な冷たい空気だけがある
これからは降りていくしかない

「一歩踏み出せ
とどまることは出来ないぞ」
そういったのは悪魔だったろうか

だがわたしは怖い
何が?
もはやわたしにあの情熱は無い
階段を昇る時に感じたあの情熱は!

しかも怖ろしいことに
この階段には果てが見えるではないか
こうやって背伸びをして遠くを見やれば
ぷっつりと途絶えた先端が見えるではないか

「一歩踏み出せ
とどまることは出来ないぞ」

端の見える階段をわたしは降りていく
そう遠くはない絶壁に向かって
徐々に徐々にわたしは降りていく
一歩ずつ一歩ずつわたしは降りていく
転がり落ちないように気をつけながら


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