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健康第一の「健康」

「身体が熱くうごかない。」深い昼寝からアラームによって現実に戻されたとき、これを以って終了させていただいた。

「健康第一」をわすれるな。虚弱体質は、健常者からどう思われようが「健康第一」なんだから気にするな、と心で唱えながらバイト先に夜のシフトを休ませてほしい旨を伝える。わたしがいない分の穴にやはりどうしようもない申し訳なさを抱くような、でも休めて少しホッとしたような、所長の「ゆっくり休んでね」の言葉に救われつつも電話の雑な切り方にザワッとするような、まあいつものような心持ちである。何度だってそういう思いをしてきた。もう申し訳なさを感じない図々しい人間になりたい。だってほんと無理だから休むのなら、その気持ちに申し訳なさは関与する余地がないでしょ。そう思い、布団にくるまりながらこれを書いてる。

いつも、大人しくしておくとはどういうことなんだろうと思う。基本、横になってることだとは思うんだけど、別にずっと横になるほどのしんどさではなく、でも労働するには無理があるとき。こういう時に別のことをしてるとなんかすみませんと思ってしまう。今も正直すこしそう。
日常生活においてすみませんと思うことはじわじわ苦だ。少しずつ精神を磨り減らしていく。こんな毒に苦しむのはみっともない。わたしは、色んな配慮ややさしさが全てを補ってくれる善になってくれるわけでもないことに気付くのが遅かったのかもしれない。早くこんなこと思わない、書かない、もっとカラッとした好い人間になりたい。

いってしまえば、休みを選ぶことは重大事故を防ぐみたいなもので、なんの事故もなく家に帰れることも当たり前に見られてるけど当たり前じゃない。だから休んで白い目でみられても、私は人間で、一労働者として働きに来てるだけだから、うん。そう、そんなこときにしなくていいよと言いきかせることに、あぁー。やっぱり必死になってしまう。かっこわるーと思ってしまう。どうか、どうかやりたくないときにやらないことをゆるしてほしい。新しい環境で慣れない肉体労働と知らない人との暮らし。そういうことをかなりしんどく感じるほうなのに、その刺激を求めて肉体が疲弊して追いつかないだけだから。なんなんやろかこういう矛盾は。


休みたい時に体自体も無理になるのってa kind of ズル休みなのだろうか。普段からこのくらいの状況において無理をえらぶひとも、わたしも五分五分でゆれて無理することをえらぶ場合もあるけど、その無理して行くのも結果から言えば「無理じゃなかったから行ってる」ってわけで、しかもあとから無理した余波が来て完全にダウンしてしまうともっと迷惑かけることになる。この頃のわたしはもう無理する美徳なんか消えたらいいと思ってる。辛いしさ。イェス、自己チュ〜people!!!フゥ〜〜〜〜〜!!!!!!いや、ここまでの文章を読み返すとおまえは他者への思いやりに溢れすぎてるんちゃうかと思うけどな。(自分で言うか?) ううん、自己チューでいいんよ。みんな無理しすぎ。いや。私はべつに無理してないからお布団にいるわけで、現場からは以上です。

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