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何かをしたら偉いのか、何もしないとダメなのか/資本の意味


◆何かをしたら偉いのか、何もしないとダメなのか


世の中では偉いと褒めてもらえることは、

・ 他人が利益を得られること

こう書くと、
違和感を覚える人もいるでしょう。

友人が絵を描いたから、
筋トレをしたから偉いと褒めた。

こういった、
違うものがあるんじゃないのかと。

しかしよく考えてみましょう。

・他人に貢献できる
 資本につながるものを
 したから偉いと言った

一見違うように見えても、
実際にはこうではないでしょうか?

オナニーして偉いと褒められるのは、
配信をして誰かに見せている女性くらいです。

出荷する予定の動物でもなければ、
ご飯をたくさん食べて偉いとはいいません。

誰かしからが
得をすることにつながるから、
偉いと褒めている。

何もしないことを偉いと褒められるのは、
反体制組織が送り込んだスパイくらい。

何もしないことで、
誰かが利益を享受できるからです。

しかし、
わたしたちは人の中で生きていて
他人に全て食糧を取られたら困ります。

他人にはできる限り、
自分の利益になるように動いて欲しい。

何もしなくても生きてたい。

それは他人を動かして、
その食い扶持を奪い去るという意味ですが
誰もが思っているはずです。

なので偉いという言葉を使い、
認知を歪めて人を動かす。

何もしない人は、
偉くないと罰して
動かすようにする。

今の世の中なら大丈夫ですが、
昔はただ飯ぐらいがいたら
自分たちの生活が危なくなります。

なので、
基本的に偉いという言葉は
他人を都合好く動かすための言葉で、
自分に対して使うときも
歪めて行為を好きにさせるための言葉。

ただ、
そうでもしなければ
やりたくないことはやりません。

偉いという言葉だけで
他人に毛づくろいをすることで
報酬を脳が感じるようになっていなければ、
社会は存続できなかったかもしれません。

他者に利益を与えることで、
喜びを感じる人たちの社会は
上手く行ったからこそ
わたしたちは偉いという言葉を使い
自分や他人を動かすのかもしれません。

偉いという言葉には、
そういった意味合いがあるからこそ
違和感を感じる人もいるでしょう。

ある意味では、
他人の思うように動かされてますから。

ただそうして主観を歪めることで、
幸せを感じられるなら
それでもいいとわたしは思います。 

しあわせの王子の寓話のような
人生も捨てたものではないでしょう。

名声という、
かけがえのないものが得られるのですから。


◆資本の意味


資本を獲得することに繋がる行為。

これがえてして
偉いと言われるものです。

しかしそれを理解するには、
資本が何なのかをわからなければなりません。

資本とは、

・他者から見て価値があると思えるもの

主観的なものではありません。

そうなれば資本主義とは、
他者との互助関係を作ることを
良いとする主義とも言えるでしょう。

自分がいくら価値があると言っても
道端の石ころには
他人は評価しません。

現代でゴッホがいくら価値があると言っても
その世の中で評価されなかったから
お金は貰えませんでした。

※研究が進んで違うとかいう話も
あったきがしますが無視します。

名声は他者が利益を享受できなければ、
与えられません。

ノーベル賞は人類に貢献をしたから
得られるもののように。

資本主義、
メリトクラシーは
評価する他人が存在することを前提に
成り立っています。

逆に言えば、
評価されるものしか
資本主義では生き残れません。

価値がないものに、
人は投資をしません。

少なくとも、
努力のような貢献を見せる
素振りがなければ。

自分至上主義、
のように資本主義をとらえる人もいますが
実は他人至上主義なのが
資本主義です。

評価されるものしか
生き残れませんから。

冷たいように見えて、
実は暖かさがあるのです。

全人類、
何もしないものを
生き残らせるほど
人はできていませんし、
そうであったら共産主義が
成り立っていたでしょう。

欲求を無視して、
聞き心地のいいことだけを
並べていたから
共産主義は成り立たなかった。

わたしは全ての人を救わないことは、
人の醜さというよりも、
厳しい競争を生き残るための
妥協案だと思っています。

何もしなくても生き残れるなら、
競争は生まれなかったでしょうから。

人類が全てLCLの海に溶けない限りは、
競争は無くならず
勝ち負けと優劣が
つけられないこともないでしょう。

それではまた。

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