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どうやって見る/好きになるVtuberを選ぶのか ~価値付けとイデア論~


はろーこんばんわ。

Vtuber、とても人気がありますよね。
その人気からか、手軽さからかVtuber自体もとても数が多いそうです。

あまりにもたくさんいるので、見る人たちにとっては、選択肢が多すぎる気もします。

そのことがふと気になったので、今回はその選択をされる理由について書いていこうと思います。

ちなみにわたしはほとんど、というよりまったく見ないです。

まずは簡単に結論から言ってしまうと、

・視聴者は自身にとって価値があると判断したモノを見ている

・価値にはさまざまなモノがあるが、大半のモノは視聴者にとって判断できないので、価値があるかは見た目上と評判からしか判断できない

・見た目と評判とは、キャラクターの外見、再生数や人気、そのキャラクターに付随された物語。要するに、デパートのショーケースに飾られた商品と同程度しか判断するものはない

・だからこそVtuberは、認知度とある程度の人気が出る要素、つまるところブランディングによって選択とその後の人気は左右される

・視聴者たちは愛着が湧くため、彼らの物語は視聴者たちが勝手に良い方向へ脚色していく


◆選ぶ理由、見出す価値


たくさんあるものからどれかを選んで見るとき。

なにも考えずに動画をクリックをするにしても、どれを見るかという判断を、わたしたちは行っています。

その判断は、時間、つまるところリソースを費やす、対価を支払うだけの価値があるかどうかで決めています。

ちょっと離れた例えに思えますが、お店やAmazonで商品を買うときにどうやって商品を買うかを考えてみてください。

まず、商品の外見や、そこから思いつく機能を考えるでしょう。
そのあと、値札や作っている会社、いままでに似たものを買ったかどうか、周りやインターネットの評判を考慮します。

インターネット通販を日頃使っている人なら、ほしい機能があるものを、とりあえず検索結果の上の方をみて、よさそうな見た目で値段を確認し、その後レビューを見て決めていると思います。

この価値の判断をもう少し詳しく書くと、

・自分が所有することで、機能自体が役に立つか
・自分が所有することで、所有しているというステイタスを得られるか

この二つを考慮して、判断しています。

自分だけが得をする、漫画や小説、CDだとしても、周りからの視点というのを考慮するのです。

わかりやすい例えを出すと、ブランド品を買う人っていうのは、ブランド品を所有していると思われることをもっとも重視しています。
そうじゃないと言っても、それは無意識的な判断なので、気にしていないというのはそういうふうに見せたいだけです。

同様に、こういう好みがあるとか、こういうモノを購入するという、ステイタスを呈示するものとしてもモノは扱われる。

Vtuberを見るにしても同じで、自分がこういうVtuberを見るというふうに見られる、というのも考慮して見ています。

・自分自身が楽しく思えるか
・周りから良く見られるか

これらが選択肢に入ってくるわけです。

なので当然、

・社会的な価値があるVtuberは人気になる

再生数、見た目、キャラクター、物語性が社会的な価値が高ければ高いほど、クリックして見るようになります。

なので、格好がよさげな印象があるVtuberや、既に再生数が多いVtuberというのは、他のものよりも人気が圧倒的に出やすい。


◆価値付けは誰がするのか


そういった仕組みがわかると、Vtuberの人気というのはある程度簡単に操作されるものというのもわかります。

なぜなら、

・見た目を良くするのは現実の人よりも圧倒的に簡単

・既に人気がある企業に所属すれば、初動の再生数を稼ぐのは簡単

・アクターはある程度EQが高ければ、他に要求される要素は少ない

・物語は視聴者が勝手に作っていく

アクターの生得的な要素に縛られる、ブランディングの要素というものがほとんどなく、もし仮にキャラクターが気に食わなくても、代わりにする人も用意することが難しくない。

個人がそれらをすることは難しいのですが、企業であればリアルのアイドルに比べて、比較的簡単に理想通りのブランディングをしたVtuberを作り出せます。

ぶっちゃけ歌なんて、歌枠だろうが本人が歌っている必要はまったくありませんからね。

そもそも、多少既に上手である人を雇えば、その人に投資をすれば伸びる見込みは非常に高い。

ある程度EQが高く、配信で他人と話せるというのも、既存の配信者を引っ張ってくればいい。

更に言えば、既に体力があり、そういった知識を持っている企業の方が、個人よりも圧倒的に選ばれやすい外見、キャラクターを持ったものを生み出せます。

というわけで、人気のあるVtuberが企業ばかりなのは仕組み的にそうなります。

それによって、

・人気のVtuber

というわたしたちの価値も、ある意味企業によってされていると言っても過言ではないでしょう。

再生数、登録者数、スパチャの額といった、ある程度開かれて、たくさんの人がした公平な評価で選ばれたと思えるのですが。

実際には資本があり、能力がある人たちがそれらをされやすいように市場をコントロールしています。

また、再生数、登録者数、スパチャの額というのは、Vtuberを見ている人や、二次元的なキャラクターがあまり好きな人でも理解できる一般的な価値です。

商品でいうとこの値札みたいなもの。

そこに社会的に望ましい価値、歌が上手いとか喋りが上手とか、そういうのが加われば誰にでもわかる価値がある。
見ない人にも見られるようなところにいるVtuberは、そういった誰にでもわかり、恰好がよいものばかり。

そういった価値が高いからこそ、時間やお金という、代価をみんな払う気になるのです。


◆人はイデアを追い求める、しかし現実には影しかない


わたしたちは色々なモノを追い求め、それらを所有したり、もしくはそれらの側に所属しようとします。

でもそのモノは、個々人が持つ理想のモノではなく、あくまでもイデアの投影でしかありません。

見ているのは、ただの影。

なので、そのモノをできる限り自身の理想の形、イデアに近づけようとします。

自らが外見的なモノで判断をし、見ていたVtuber。
見ているうちに愛着が湧いて好きになってくる。

そうすると、そこに物語性を付与し、自身の理想、イデアへと近づけようとする。

行動に意味を見出し、キャラクターに価値を見出す。

人気が出たVtuberは、時代の先駆けとか概念を変えたとか、壮言大語なことを言われるでしょう?

それらはキャラクターを、自身のイデアに近づけようとする努力なのです。

愛着が湧いたのが先で、理由は後付けなんですけどね。

輝き煌めく蠱惑的な光、大多数の群衆の支持という価値という見栄えの良さ。それがたとえお金に彩られものであったとしても。

自分が好きになったものだから、その光に魅入られた人々は、そこにイデアを見出したいのです。

例えすべてが、アンバーの影にすぎないとしても。

それではまた。

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