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VTuberに彼氏がいると火炎瓶を投げられるのはなぜ? 〜キャラクターへの役割期待とアクターとの相関性〜

はろーこんにちわ。
わたしです。

今回はVtuberのアクターとキャラクターの関係性について。
わたし自身はVTuberの配信を殆ど見ないのですが、
友人と話していたら話題に出たので知りました。

体調が悪くて漫画が読めない。
るしあファンと俺、かわいそう

―――タワー下でAFKしながら漫画読んでるブラッドミア

それでは、概要からいきましょう。

Vtuberに彼氏が居ることで火炎瓶を投げられるのは、
キャラクターに対する役割期待をアクターが裏切ったから

アニメのキャラクターは声優とそこまで相関性がないが、
Vtuberはアクター自体とキャラクターが密接に繋がっている。

だからこそ、
アクターはキャラクターに準じた振る舞いを求められ、
それを裏切ると火炎瓶を投げられる。

1.Vtuberのアクターとキャラクターの相関性

まずは、
アクターとキャラクターの相関性について考えてみましょう。

Vtuberは、キャラクターが配信しているという体裁。
基本的には中の人などいないというスタンスですよね。

しかしながら、
当然のごとくキャラクターの設定だけでは、
配信が成り立ちません。
3秒でネタ切れします。

なので、
大抵雑談とかでは自分の話をすることになります。
ゲームとかでも、個々人の色が出てくる。
かなり密接にアクター自身と、
キャラクターが関わっていますよね。

キャラクターになりきって配信をする、
というよりもキャラクターの範疇で、
自分自身を出して配信をする。
隠していても自分自身が出てしまう、
といった面もあるでしょう。

あくまでもキャラクターが配信している、
という体裁でありながら、
実際にはただ顔がきれいになっただけの配信。
それがVTuberの配信であるともいえます。

ただし、
視聴者はあくまでもキャラクターの配信として、
受け止めています。

そのキャラクター自身が、
自我を持って行動をし、配信をしていると受け止める。
まあアクターがいるので当然なのですが。

ですので、
アクターとキャラクターが密接に関わっているとはいえ、
視聴者は配信においてキャラクター、
いわば偶像を見ている。
自身のこうであるだろうという偶像。
このキャラクターであれば、
こういったことをするといった期待。

それらを持ちながら、VTuberの配信を見ています。

体裁がそうなっていますからね。
あくまでもキャラクターの配信であり、
そこにアクターはいない。

だからこそ顔出しはしない。

2.キャラクターであるとしているから、それに沿った期待を持たれる

先程言った通り、
視聴者はアクターではなくキャラクターを見に来ています。

キャラクター紹介 一例

このキャラクターを見たとき、
わたしたちは、
どういったキャラクターだと思うのでしょうか。

アニメやゲームだったら途中で仲間になる、
サブヒロインの一人みたいな感じですよね。

人ではなく、キャラクターであるからこそ、
そこに偶像を描き自身の理想像の投影をする。
アイドルや偉人、全ての他者にもするのですが、
キャラクターであればアニメやゲームの影響もあり、
この顔であれば、
この設定であればこういった人物だろう。
そういった偶像を描きやすい。

人は他人が役割期待を裏切った時に腹を立てます。
部下が思ったとおりに仕事をしてくれない。
子供が勉強をしてくれない。

であれば、キャラクターに対しても同じです。
視聴者の中には理想像があり、
それが裏切られてしまったら。

あくまでもVTuberはキャラクターの配信という体裁ですが、
アクターは密接に関わってきている。 

声優がどんな人でもアニメのキャラは変わんないですが、
VTuberは違う。 
アクター自身の行動によって、キャラクターが動く。

ですので、
アクターがその期待を裏切る行動をしたとき、
VTuberのキャラクターも同じものとして見られます。

ユニコーンはもう、
るしあちゃんを背中に乗せることはできません。

キャラクターであり、
アイドルとして売り出している。

だからこそ人気が出て、
たくさんのユニコーンが魅了されてきました。

一生一緒のエンゲージリングとペアマグ

この商品からしても、
どういった期待がキャラクターに抱かれているかわかりますね。

しかしながら、
そういったキャラクター像の売り出し方をしているが故に、
アクターはそれに準じた行動を求められてしまう。

なかなかに難しい話ですね。

3.VTuberのアクターは代替可能な価値なのか

ちょっと失礼な話ですが、こちらも考えてみましょう。

あくまでもキャラクターを売りにしている配信。
そうであれば、
アクター自体が変わってしまっても、
顔とキャラクターは一緒であるから変わらなさそうにみえます。

ちょっと声が違うるしあちゃんMk2が、
明日から配信をしても良さそうに思えますよね。

しかしながら、
VTuberは先程言った通り、
アクターとキャラクターの相関性が非常に高い。

いくら視聴者がキャラクターしか見ておらず、
そこに自身の理想像を投影しているとしても、
もはや何年も配信をしているうちにアクター自身が、
VTuberのキャラクターと同一視されます。

許されなかったやつ

確かにアクターが変わることによって、
ある意味ではるしあちゃんのキャラクターは保たれるでしょう。
キャラクターだけであればそれでも良いのかと思いますが、
そもそも設定が深く作られてるわけではなく、
そういったものはアクター自身の行動と、
ファンの交流によって作られてきた。

全く別のものになってしまうわけです。
キズナアイも四人に増えましたが、
あんまり振るってないらしいですしね。

というわけでまとめると、

火炎瓶を投げられるのはアクターとキャラクターが、
密接に繋がっているがゆえに、
キャラクターへの期待をアクターにも求められるから。

そして、
その期待はキャラクターと売り出し方によって、
アクターと異なる形で歪められる。
キャラクターに対する理想像が、
アクターの人間としての形と離れた、
アイドル的な形として、
視聴者の中での理想像が作られていってしまう。 

故に同一視されるアクターが、
その理想像と離れた行動をすると火炎瓶を投げられる。

それではまた!


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