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ドイツ日記|海外留学という家出② 2024.04.20

(加筆修正していたら、長くなってしまったので二つに分けました。)

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 コミュニケーションの希薄さにせよ、政治的な関心の低さにせよ、女性の生きづらさにせよ、戦後復興と経済成長を急ぐあまり、社会が未成熟なままここまだ来てしまったのではないかという気さえしてくる。ここでは、バスはストライキで止まり、教会広場で集会やデモがよく開かれているのを見る。シャイで、協調を重んじる国民性で片付けられる問題か?と思えてくる。事の元凶は「皆疲れていること」なんじゃないかと思う。

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 仕事している時は、その職業ごとのあるべき姿を演じていて、人間関係も建前と忖度のオンパレードなのに、おまけに長時間働いていて、そりゃ疲れるよ、と思う。社会の中で人と話す時は、気遣いとマナーでがんじがらめになってるから、自然体ではいられなくて、関わらないようにすることが最適解として落ち着く。

 疲れている時は、生活するだけで精一杯だし、政治のことなんて考えてられない。自分が無理して仕事しているから、人にもちょっと無理して働くことを求めがちになる。なるべく人とも関わりたくないし、とにかく面倒ごとに巻き込まれたくない。

 このように、仕事の疲労、人間と話すことの疲労があまりに大きいんだと思う。日本は社会にいることのコストが高いから、余暇を楽しむとか、政治のことを話してアクションを起こすとか、そんな余裕がないんだと思う。ただでさえ、他人の前ではシャイで繊細で、人と本音で直接関わることがちょっと苦手な国民性なのに。

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 暮らしの記録をしている動画をYouTubeで見た時、たとえば、鎌倉で恋人と穏やかに暮らして、朝ごはんでちょっとした贅沢をしたり、高価な茶葉でお茶を淹れたり、休みの日はロマンスカーで箱根に行ったりしていたら、日本を出ることはなかっただろうかと思った。もし日本で自分の居場所を見つけて楽しくやっていたら、こんなことは言わなかったはずだ。

 だから、その方が日本で幸せな生活をしていることが、ただただ羨ましかった。日本が何となくいやで、キャリアも上手に組み立てられなくて、ドイツに転がり込んだ自分が惨めだった。日本不適応で日本から出るしかなかったのに、こんなに幸せそうに暮らしている人がいるなんて、受け入れられなかった。

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 でも、そんな惨めな気持ちがどうでもよくなるくらい、俺はヨーロッパが好きだなと思う。実家を出て、大学で一人暮らしを謳歌し始めた時のように、自由という自由を体いっぱいに浴びて、羽が生えてきそうなくらいだ。

 哲学やりたいと思ってるんだよね、と言っても「なんか難しそうだね」で会話が終わらずに、「クールじゃん!」「誰読んでたの?ニーチェ!まじか!」と盛り上がるから、哲学という言葉を出すのが怖くなくなった。

 高校の時に、死にたいと思う人に何て声をかけられるか?という問いに背中を掴まれて以来、ずっと哲学と一緒に生きてきたけど、日本では変な人だと思われないように、常識があるふりをして擬態しながら生きてきたから、ぶっ飛んでても良い、むしろそれが面白いと受け入れられるのが嬉しかった。

 俺は、好きなアーティストを話すみたいに推してる哲学者の話がしたかったし、先生が「谷崎の暗がりの美の感覚って素敵ね」とうっとりしているのを見たり、「あなたの亮太の亮はドイツ語だとaufklaren(晴れる)でありaufklären(明らかにする)なのね」と言葉の意味を友達と一緒に探究したりしているのが楽しい。

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 三苫がキッズに「どうやってドリブル上手くなったんですか?」と聞かれて「ドリブルをしてきました」と返しているのに触発されて、哲学するってどういうことだろうね?と友達と話したりもした。

 哲学するっていうのは、GoogleやWikipediaでは簡単に見つけることの出来ない知識を、見つけようと思うことなんじゃないか、と話した。昔、地球は丸いのか?と考えていた人は、「難しいね、分からないよね」「そんなこと考えても仕方ないよ」と言われていたはずだし、今はGoogleアースで一発でわかるようなことを、本当はどうなってるんだろう?と探求していた時代があった。それは哲学していた、と言っていいんじゃないかと思った。

 今も、宇宙とは何か?どこまで広がっているのか?という問いは哲学的であるだろう。哲学とは、まだ誰も知らないことを知ろうとする試みであり、本当にそうなの?どうしてそうなるの?と疑問を持ち続けることでもあるだろうという結論になった。

 哲学は一人でも出来るけど、疑問を持ち続けて考えを深め続けるためには、常に哲学書であれ生きた他人であれ、他なるものを必要とする。こういうことを脳がクラクラするまで人と一緒に考えられるのを、ずっと待っていた。

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 それから、「なぜドイツに来たか?」という問いにはその人の人生が詰まっていて、仲良くなった友達には必ず聞いてしまう。

 「ダンスは僕の母語で、ロシアでずっと踊ってきたけどドイツにいて初めて自由を感じてる」と舞台監督のエルネストが話してくれたり、「もう自分の国にいられなくて、世界旅行してドイツだって思ったの、勢いで決めちゃったのよ。でも心理学を勉強したいってわくわくしてる」とパレスチナ出身のマイスから聞いたりする。

 自らの人生を生きようとしている様が心地良い。そのひりひりした切迫感に、生きている感じを見て取る。自分がウィーンで哲学をやろうとしていることが、全然不自然じゃなく思える。

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 哲学することも、精一杯生きることも、全部ここでは当たり前で、それは心身ともに健康であることが大前提でもある。ここの人たちは、コミュニケーションも話す内容も生き方も、全部素直で人間らしい。

 規範を自分の中に取り入れて自分を押し殺すようにして生きることを、多かれ少なかれ求められる日本が不健康に思えてくるほど、ドイツは明るくて健康的だ。ここで生きてみたい。心の底からそう思う。

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 多分、ドイツならどこでもこれが当てはまる訳ではないだろうと思う。マンモス大学と教会を中心とした、中規模ののどかな街であるミュンスターが特別であるのだと思う。

 芸術と学問が市民に親しまれ、市民が団結しているような都市は恐らくそう多くない。それから、今は語学学校にいて、世界各国からドイツ語を学びに人が集まってくるこの環境も特殊なんだと思う。ここに来れてよかった。


おまけ
1
 ここに来て、日本が好きになったのも確かだ。成田空港からフランクフルト行きの飛行機に乗った時、隣にいたのはメタルギアとリザードンが好きなドイツ人だった。

 フランクフルト空港に着いた時に、大規模ストライキで困っていた俺を助けてくれたのは、日本が好きなオーストリア人だった。呪術廻戦の2期が辛すぎて見れないと言っていて一緒に笑って、一日かけてケルンまで列車の旅をした。

 今は「海賊王に俺はなる」は Ich werde Piratenkönig. だよと伝えるだけで、教室が沸いたりもする。「本物の寿司ってどんな感じなの?」「旅行したいんだけどどこ行ったらいい?」「お前はもう死んでいる」と大盛り上がり。パキスタン出身の友達には「戦後復興と高度経済成長を遂げて、経済大国になった日本を尊敬している」とリスペクトまでしてもらっちゃった。

2
 若者にはNARUTOや君の名は。が人気で、大学生には芥川や太宰が読まれていて、大人には村上春樹や是枝裕和、坂本龍一やイッセイミヤケが受け入れられている。東京で遊んでみたい、京都を歩いてみたい、日本食を食べてみたい、そういう人はすごく多い。日本、特に東京の地位は世界でトップクラスにあると確信する。

 ドイツに来て初めて、自分が日本人であることを誇りに思うようになった。バブル崩壊から景気が立ち直らず、リーマンショック後の失われた平成という子供時代を過ごしてきて、日本に対する残念さを心のどこかで感じてきたのに、日本すげーじゃん!とここに来て思う。

 F1でHondaを知っている友達やKawasakiのバイクを愛する人にも会った。自分が日本人であるというだけで、ここにいる人達と話題に困ることがない。

3
 それと同時に日本社会の矛盾もはっきり見えるようになったというのは皮肉なことだなと思うけれど、弘明寺のみうら湯に入って、風呂上がりにプルーピリオドを読んで、お寿司を食べて、そのままラーメン食べに行きたいとも思っている。瀬戸内海と湘南、与論島、奥入瀬渓流、霧ヶ峰。

 日本が好きなんだよな、、ああ実家帰りたい。

(おわり)

最後まで読んでくれてありがとう〜〜!