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読書記憶③“ほどよさ”は人間を考え続けること。「ほどよい量をつくる」

1月に入ってから、ペットボトル飲料を買っていない。

強く心がけたわけではないけれど、この記事を読んでマイボトルに切り替えたくなったのだ。

マイボトル習慣スタート

塩谷さんがご紹介されているボトルを買ってみたのだけれど、とてもいい。シンプルなデザインで落ち着くし、比較的軽く、洗いやすい。

基本的に白湯を入れているのだが、先日スタバでチャイティーをこれに入れてくださるよう頼んだら「かわいいボトルですね」と店員さん。お店ではよくあるやりとりだと思うが、愛着を持ち始めたものを通じてちょっとしたコミュニケーションが生まれるのも嬉しい。そしてなにより飲みたいものを好きな量だけ持ち歩くので、自分を大切にできている感覚がある。

『ほどよい量をつくる』を読んで

同じ記事のなかで紹介されていた『ほどよい量をつくる』(甲斐かおり、株式会社インプレス)という本も気になり、読んでみた。

とても素敵な本で、「いいお仕事とはこういうことを言うのだなあ…」とため息をついてしまう。甲斐さんがこれまでされてきた取材、そしてこの本の執筆もそうだし、この本に登場する数々の企業や人のお仕事もそう。

中には、元々自分が知っている企業もあった。

長野県の「パンと日用品の店 わざわざ」は、友人と以前訪れたことがある。おいしそうなカンパーニュを購入して生活用品を見たあとは、新店舗の「問 tou」でのんびりとランチをした。

地元の方も遠方から来た人も混ざり合って読書やおしゃべりを楽しんでいて、普通なのに、どこか普通じゃない居心地の良さ。それがこの本を読んで「ああ、あれは偏愛がテーマになっているがゆえの文化度の高さが出す雰囲気だったのか」と納得した。

昨年吉祥寺にオープンした「ブックマンション」も登場。店主の中西さんが最初に始めた無人本屋の話から、みんなでつくる本屋をやろう、と決めた経緯、ビル全体の今後の展望まで。こちらも昨年、オープンして少し経ったころに友人とお邪魔した。当然だが、棚主によって置いてある本がまるでちがう。甲斐さんも書かれているとおり、人の本棚を除いているような不思議な感覚になる場所だ。読みたかった本と出会い、棚主さんにメッセージも書かせていただいた。

『ほどよい量をつくる』の中で特に心に残った言葉がある。

まずは4章「プロセスを見せる」にある、“ものの成り立ちを知らないとは、その価値をわからないこと”という言葉。本当にそうだな…と己を省みた。

どこでどうつくられているか、誰がどんなに手をかけてつくっているかを知らないものについて、その価値を本当に感じることは難しい。

別の本だが、松浦弥太郎さんの『100の基本 松浦弥太郎のベーシックノート』(マガジンハウス)の、ある1頁も思い出す。

値段を見て、ものの価値を判断する癖をつけてはいけません。高いものには高い理由があり、安いものには安い理由があります。お店に行って値段を聞き、「ええっ、高い」と言うのは、本当に失礼な態度です。安いものが並んでいるお店で、「ああ、安い安い」と言うのも、ちょっと品がないと感じます。

甲斐さんが紹介する「プロセスを見せる」方法、オープンファクトリーによって生まれているのは、使い手側の変化だけではない。

オープンファクトリーの効果として「地元の人たちがその価値に気づく」意味合いも大きいと新山さんは話す。外からつくり手が見えないということは、長年、つくり手からも使い手が見えていなかったということでもある。
訪れる若い人たちが「何これ」「すごい」と賞賛すればそれは職人の喜びになる。問屋や小売などから価格のみで価値をはかられてきたつくり手が、技術を“見せる”舞台を得ることで、誰かの役に立っているという仕事の本質、働く喜びを思い出す。

そう、仕事の本質を考えるとき、そこには自分以外の人間へのまなざし、想いがあるはずだ。しかし自分の仕事を受け取る相手があいまいになったり、磨いてきた技術やプロセスを評価されないとき、これらは行き場を失う。

まなざしが届かない中で作り続けざるを得ないとしたら、“こんなものは役に立たないのだから捨ててしまえ”ともなりかねない。すると、つくり手の仕事はどうなるだろうか。

視点としては少しちがう話になるかもしれないが、西村佳哲さんの『自分の仕事をつくる』(ちくま文庫)にはこんな文章がある。

人間は「あなたは大切な存在で、生きている価値がある」というメッセージを、つねに探し求めている生き物だと思う。そして、それが足りなくなると、どんどん元気がなくなり、時には精神のバランスを崩してしまう。
「こんなものでいい」と思いながらつくられたものは、それを手にする人の存在を否定する。とくに幼児期に、こうした棘に囲まれて育つことは、人の成長にどんなダメージを与えるだろう。
大人でも同じだ。人々が自分の仕事をとおして、自分たち自身を傷つけ、目に見えないボディブローを効かせ合うような悪循環が、長く重ねられている気がしてならない。

引用してみて感じたが、『つくり手→使い手』『使い手→つくり手』という一方向の関係がいくつもあるのではなく、関係は双方向なのだと思う。

つくり手が想いをこめて働いたり、その喜びを感じているとき、使い手もきっと、その仕事の価値や受け取る喜びを感じる。反対に、使い手側の感動は、つくり手に「届いた」という喜びをもたらす。だから使い手の「すごい」「素晴らしい」という素直な驚きをつくり手が感じられるようにする工夫は、もっとたくさんあってほしいと思う。

大切に取り組んだ仕事は、受け取る人だけを大切にするのではない。取り組んだ人自身も、自らが発信する『大切』を受け取る。与えているようで、同時に与えられている。そう考えると、自分とか相手とかそういった枠組みさえも超えて、『人間』について考え続けることが仕事の喜びに繋がるんじゃないだろうか。

2月のテーマは“ほどよさ”を考えること

今回は、甲斐さんが取材を通して考えてこられたさまざまな視点からの“ほどよさ”を自分なりに咀嚼して、『ほどよい量をつくる』という本の読書記憶を伝えたかったのだが、それはもういいかなと思えてきた。

もうぜひ読んでいただきたい、にとどめておくことにして、自分は2月のテーマを設定してみたい。

2月の私のテーマ:自分の“ほどよさ”を考える

ずいぶんとざっくりなテーマにも思えるが、生活習慣にせよ買う物・食べるものにせよ、自分にとっての“ほどよさ”を考え始めたいなと思う。

「これが人気だから」あるいは「あれが正解らしいから」ではなく自分自身が感じられる、ほどよさを見つけるということ。量がたくさんあること、早かったり安いことだけが価値ではないと再認識すること。

きっと人生をかけて考えるテーマになる気はするけれど、今この本を読めてよかったなあとじんわり思うのだった。



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