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コーチングを受けたら、虹が見えた。

コーチングというものに興味がある。
するほうも、受けるほうも。

そして昨日、コーチングを「受ける」という体験をした。
簡単ではあるが、その忘備録としたい。

ただ、この忘備録では対話内容の詳細を残すのではなく、コーチングというものを体験した私が、体験する前と比べて変化した感覚について残すことにする。
そのため、“コーチがこう言いました。私はこう返しました”という紹介はほとんどない。まだ内に留めておきたいし、自分でも一言一句を正確には覚えていないからでもある。


コーチングを受けた理由

コーチは、“まっきー”さんこと牧田拓也さんという方。
お仕事とは別に、個人でコーチングの修行をされている。

まっきーさんとは昨年秋に、NaCC(Narrative Carrier Camp)という2日間のワークショップで知り合った。私は参加者の1人で、まっきーさんはその場のファシリテーションをされていた。

その2日間でたくさんお話したわけではなかったが、SNSで自分の近況を書いたときにコメントをくださったり、転職活動に際して、私の話を聞いていただく機会があった。

昔からよく知っている方というわけではないけれど、なんとなく「見えている世界が広そう」「メタ認知能力が高そう」「人の話を聞くとき、その内容に簡単に評価や判断をしなさそう」というような印象を抱いていた。

そのため、「コーチングの修行始めたので
よかったら」とメッセージをもらったときも「ぜひ受けてみたい」と感じた。
根拠はないが(あると思うが言語化できていない)まっきーさんに対して、一定の信頼感があったのだと思う。 


チェックイン

場所は都内のコミュニティスペース。
冷蔵庫だったか電子レンジだったかわからないが電化製品の稼働音がうっすら聞こえていて、まったくの静寂よりも落ち着いて居られた。

最初は、チベットシンバル風の、涼しげでちょっと重さのある音を聴きながら、瞑想。

瞑想が終わったら「今、自分はどんな状態か、何を感じているか」「今日、この場にどんなことを期待しているか」を共有しようということだったので、深呼吸をしながらぼんやりと自分を観察してみた。チェックインともいう。

浮かんできたのは2つ。
自分の根本的な悩みというか、コンプレックスみたいなものがある。それに対して、前向きに向き合えるようになりたいということ。これが期待。

もう1つは「コーチングってなんだっけ」という若干の不安。自分がもっているイメージとしては、「コーチに話を聞いてもらって、自分がどういう状態にあるのかを、コーチとのやりとりを通して、自分でもわからない心理を紐解いていく」というような、うすぼんやりとしたものだった。

どれくらい詳しく話していいのかな?
深く話し過ぎて(私が)泣いちゃったりしたらどうしよう。重くない?きもくない?
…とまだ話し始めてもいないうちから、「どう“居る”のがいいのだろう」という漠然とした不安はあった。そわそわ感ともいう。

ただ、その不安を正直に言って、まっきーさんに共有すると、かえって安心した。

期待することと、この場に対してわからないことの両方を共有できたのは、話しやすくなるきっかけになったと思う。 


答えではなく、“問い”で気づく

詳細は残さないのでとても断片的になるが、
まっきーさんのコーチングを受けて印象に残ったのは「答えではなく、問いを差し出されることで、自分の思考に気づいた」ということだ。

「“自信”という言葉が何度か出てきて、それがキーワードになっているのかなと感じたけれど、それを聞いてどう思う?」
「さっき言っていた短気な自分というものに、今の自分からかけたい言葉はある?」

などなど。

不思議なことに、私は“問い”そのものに対して答えながらも、別のことに意識が向くようになった。そして、こういう言葉が何回も出てきたと思う。

「〇〇というよりは、△△って感じている、というほうが近い気がします」
「もしかしたら、気にしているのは〇〇かどうかなのかもしれません」

差し出される問いと向き合ううちに、自分に対する感覚が少しずつクリアになっていく。

クリアになるといっても「ピーン!(💡)」というひらめきが浮かぶというより、テンポとしてはコトコトじっくりポトフを煮込んでいくかんじ。

煮込んでいくうち、くねくねうにゃうにゃしていた迷路を歩いていた自分に、「こことここの道はつながってるかも?」と、見えなかったものが見えてくるかんじ。
いつのまにか、見える世界が広くなっている。「自分の思考」という迷路の解像度が、上がっている。

ポトフやら迷路やらを例にしても、これだ!という表現がいまいちできなくてもどかしい。


チェックアウトと新しい目標

2時間くらい対話を続け、最後は最初と同じように「今感じていること」を互いに共有して終わった。チェックアウトと呼ばれる時間だが、私にとって新たな目標が生まれた時でもあった。

まず、「今感じていること」として共有したのは、「コーチングには、人が自分の中にあるものに“気づく”というプロセスを生む力がある」ということ。

今回感じた限り、コーチングの目指すものは「答えの獲得」ではない。

〇〇が嫌なら、△△したらいいよ。
Aさんが〇〇なら、あなたは△△した方がいいんじゃない?

これらは、“アドバイス”と言う。
おそらく毎秒毎時、世界中で行われているだろう。

しかし、コーチングでは、コーチがクライアントにアドバイスをすることはない。

クライアントの受け取り方によってはアドバイスになるということがあるかもしれないが、それでもやはり「〇〇したほうがいい」「〇〇すべき」「あなたは〇〇だと思う」と答えを提供したり、クライアントを評価したり一定の枠に収めようとすることはないのではないか。

そのかわりコーチは、クライアント自身ではないがクライアントに寄り添う者としてその人を受けとめ、見えたもの聴こえたものを問いにして差し出す。

だからクライアントは、受け取るものを「アドバイス(=それを採用するかしないかを決めなくてはいけないもの)」と感じることなく、コーチはただ自分(クライアント)の言葉に耳を傾け、自分がどういう状態にあるのか、どう感じているのかを静かに見つめ、その解像度をより上げていくための問いを差し出している、というふうに感じるのではないか。

何が言いたいのか自分でもわからなくなってきたが(すでにコーチが必要)、今の私の思考レベルではコーチを「答えを与えず、問いを差し出す人」という認識でとらえている。

今後、まっきーさん以外の人のコーチングを受ける機会もあると思う。いろいろな人のコーチングを体験することで、現時点の感覚がアップデートされることもあるかもしれない。

でも、今回は根拠を言語化できない信頼感のあるまっきーさんのコーチングを受けられてよかった、と思う。ありがたいな、と思う。そう思えたのは、きっとその2時間、心理的安全が感じられて、コーチからの「聴いているよ」「受けとめているよ」というメッセージを受け取れていたからだ。

私は今回の2時間の対話で、コーチングというものをもっと知りたくなった。クライアントとしての自分がどう変容していくのか。また、もしも自分がコーチという立場になったら、何を感じるのか。何をできるのか。

はたして、コーチとは何なのか。“誰”なのか。私はそれを知りたい。

新しい目標というのはそこだ。コーチとして、目の前のその人の世界をワントーン明るくできたらいいなという目標。その人がその人自身の内側をのぞき込むとき、ちょうどいい位置からいっしょにのぞき込める人になれたらいいなという目標。

こんないっちょまえに「誰かにとっての〇〇目標」を描こうとはしているが、その前に…いやその過程で、「コーチとは誰なのか」を学びたいのだと、私は思う。

コーチングを職業にすることを今すぐ考えるわけではないけれど、これからも、興味のあるイベントや勉強会には積極的に参加していきたい。

対話を終えて家路につくとき、心の中に虹が見えた。ただハッピーるんるんという気分とも違い、静かな喜びとでも言うような感情が湧いてきていた。

私の中に、コーチングを待っていた私がいて、今回その願いがあおやぎわかこという人間の行動によって叶えられ、そのことを喜んでいるような気持ちだった。私の中の小さい私が喜んでいる。

また何を言っているのかよくわからなくなったが、今回のコーチングは、私に静かな喜び、安心してこれからも迷ったり絶望したりできるという喜びをもたらしたと思う。

たとえ他人から見てわかりにくくても、私の中には日々カラフルな感情があふれている。そして、わかりにくいと感じる他人ばかりではなく、そのカラフルさに気づいてくれる人もいる。

今の私に大切なのは、他人から見られることを意識して私の色を統一したり、他人に見せるために色の豊かさを誇ることでもない。ただ、自分の心は誰と比べなくてもカラフルであるということ、明るい色も暗い色も、味わって味わって味わい切ることで、それはきっと自分やだれかの心をのぞき込むときの助けにもなってくれるということ。そのままでいい、ということ。

自分の中には虹がある、と知っておくことができた2時間だった。


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