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超訳 宮沢賢治「雨ニモマケズ」〜あるOLのA子の場合〜

○はじめに

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、どこの学校でも音読する時間があったり、多くのひとが基礎的な教養として知っている詩です(実際には、詩というよりはノートに書いていたメモのようなものだったそうです)。多くのひとに親しまれ、時代を超えて愛されているのには理由があると思います。そのことについてすこし考察していきます。

宮沢賢治は、農業を営んで生活をしていたといいます。気候に苦しませられることも多かったと思います。しかし、現代の日本で第一次産業に従事するひとは4%程度です。多くのひとがそれほど雨風に苦しむような生活を強いられてはいません。
それでは、なぜ「雨ニモマケズ」が、時代を超えて現代でもこれほどまでに愛されるのか。それはそれぞれが雨や風、寒さ、暑さ、を他の比喩として自分自身の生活に当てはめて共感しているからだと思います。

そこで、この記事では「雨ニモマケズ」を架空のOLであるA子の生活に当てはめて、A子にとっての個人的な翻訳をしてみようと思います。

原文を大幅に改変した超訳となるので、不快な気分になるかたもいるかもしれませんが、宮沢賢治への愛、また作品を紐解くための試みゆえと理解してくだされば幸いです。さっそく始めていきます。









宮沢賢治「雨ニモマケズ」
A子(都内在住・独居・会社勤務)の場合


雨ニモマケズ 風ニモマケズ
上司からの叱責に負けず、お局からの小言にも負けず。

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
満員の通勤電車にも、休日出勤にも負けない。

丈夫ナカラダヲモチ
疲れていてもスポーツジムには出来るだけ通うようにしたい。

慾ハナク
給料日だからって散財しないように心がけたい。

決シテ瞋(いか)ラズ
怒るだけ損と思って、あきらめるようにする。

イツモシヅカニワラッテヰル
どんな事態にも、平静に笑顔で対応できるようになりたい。

一日ニ玄米四合ト
ごはんは食べすぎず、食べなすぎず、ちょうどいい量だけ食べる。

味噌ト少シノ野菜ヲタベ
せめてコンビニのサラダでもいいから野菜を摂るようにしたい。

アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ
たまにはボランティアとかひとのためになるようなことがしたい。

ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
仕事中に言伝を頼まれたら、ちゃんとメモをする。報連相を忘れない。

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
駅から遠くて古くて狭いアパートに住んでいます。家賃は高いです。

東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ
困っているひとがいたら積極的に声をかける。知らないひとでも、見て見ぬ振りはしないようにする。

西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
後輩のミスは、出来るだけカバーしてあげる。

南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
友だちが病んでいたら、飲みに誘ったり電話したりする。

北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
セクハラやパワハラを見かけたら、加害者に注意するか、または人事部に報告をする。

ヒドリノトキハナミダヲナガシ
ほんとに辛くて、たまに部屋でひとり泣いてしまうときがある。

サムサノナツハオロオロアルキ
休日なのに恋人と会えない、友達とも予定が合わないときは辛い。

ミンナニデクノボートヨバレ
今年度はちょっとくらい昇給するだろうか?

ホメラレモセズ
あまり期待されても、失望されるのが怖いからほどほどの評価でいい。

クニモサレズ
せめて、仕事できないやつとかお荷物とか思われないくらいには頑張りたい。

サウイフモノニ ワタシハナリタイ
そうなれたら、いいな。今日も明日も、仕事を頑張らなきゃな。



○結び
自分は地元が宮沢賢治とおなじ花巻なのですが、はじめて宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を知ったとき、なんだか説教くさいなと思った記憶があります。しかし、次第にこれは自分自身に言い聞かせるための文章だと理解しました。そして詩として発表されたものではなく、ノートにメモしていた文章だと知ったとき、とても腑に落ちたことを覚えています。「雨ニモマケズ」には、斎藤宗次郎さんというモデルがいるそうです。宮沢賢治は、辛いとき、何かに迷ったとき、自分を奮い立たせたいとき、こうなりたいという理想を自分自身に言い聞かせていたのではないでしょうか。

宮沢賢治が生きていた時代から100年の時が経ちますが、相変わらず多くのひとが苦しい生活のなかにいます。学校や会社で、「無理しないでね」と優しく言われても、無理をしなければいけないという状況が多々あります。「本当に辛くなったら辞めてもいいんだよ」と親しいひとから言われても、辞めてどう生きていけばいいのか分からないよ…と思ってしまいます。それに心のどこかで、もうすこし頑張りたいとも思っています。そういう時、「雨ニモマケズ」はそっと心に寄り添ってくれるのではないでしょうか。

「雨ニモマケズ」から時は流れて、我々の日常はがらりと変わり、価値観や倫理観すらも変化していきます。現代では「夏の暑さにも負けない」と気丈に振る舞うよりも、エアコンをつけて熱中症対策をするほうが望ましい時代です。時代の移り変わりとともに文学も、解釈や読みかたが変化していくことで、よい文学が煌めきを失わずに後世に残っていくのではないでしょうか。

最後に、ただでさえ生きにくい現代なのに、流行病の影響でだれも彼もが苦しい日々ですね。あなたが自分なりにでも頑張っていること、きっと誰かが見ていてくれているような気がします。「雨ニモマケズ」を読みながら、会えずにいる親しいひとたちのことを思い出して、そんなことを考えました。

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