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「あるべき街」をつくると「あるべき生活」が手に入るのではなく「あるべき生活」を実現すると自然と「あるべき街」に近づいていく、という話

昨日は「庭プロジェクト」の年内最後の研究会だった。レポートは来年公開することになると思うのだけど、今回は京都から松田法子さんに来てもらい、発表をお願いした。松田さんは『モノノメ』創刊号などで、度々僕のメディアには登場してもらっているのだけれど、一般的にはブラタモリに出てくる解説役の先生、といった印象が強いかもしれない。

さて、今回の発表では松田さんに、彼女が提唱する「生環境構築史」の立場から「庭プロジェクト」の「庭」についての考えを述べてもらった。

生環境構築史の「生環境」とは人間が生きる環境全般のことで「構築史」とはその環境を人間がどう生きるために改変してきたかの歴史、ということになる。結果的に人類学や歴史学、生態学、建築学などのハイブリッドな研究になっていくのだけれど、そこが面白い。

そしてこの「庭プロジェクト」の「庭」とは、これからの都市におけるあるべき公共空間のモデルだ。どうして「庭」の比喩なのかというと……ものすごく長くなるのだけれど、ここではとりあえず「コモンズ」(共有地)ではなく、私的な空間を公共に開いたものを僕たちが想定しているので「庭」の比喩を用いていると考えてもらえばいいと思う。

と、いうことで当日は松田さんなりの視点からこの「庭」について考えてもらった、というわけだ。松田さんの発表の細かい内容は後日アップされるレポートに譲るとして、今日はそこで僕が考えたことを書いていきたい。

僕は数年前から松田さんの議論に接していて、ずっと思っていた疑問がある。たとえば松田さんは東京の地形と歴史を分析して、近代以前の東京はその水脈によって人が住む場所が決定されていたと指摘する。そこには農業や災害対策など強い合理性が働いているのだけれど、現代はそれを上書きする鉄道網を中心とした都市設計がこの東京という都市を決定している……というものだ。

僕は以前松田さんの取材に同行させてもらって東京の水脈、とりわけ湧水の今も存在する場所を訪ね歩いたことがあるのだけれど、たしかにそれは普段は意識することのない、もう一つの論理で記述されたもう一つの街を歩いているような気分にさせられる、希少な体験だった。正確には、この東京という街(鉄道の町)はかつて存在した江戸という街(水の街)に上書きされることで成立したものであることを体感できた。

さて、その上で僕が疑問に思っていたことがある。

松田さんはどちらかと言えば人間は鉄道よりも湧水の論理で街を作っていくべきだと考えているようなのだ。つまり人間は自然にさからわずに住みやすい場所に住むべきであり、近代科学を駆使し強引に造成する現代都市はあまり好ましくない、ということだ。正確には、この先はもう少し地球の声に耳を傾けた都市開発が必要だ……ということなのだけれど、僕はこれがあまりピンときていなかった(過去形)のだ。正確にはまあ、災害リスクとかに強いほうがいいのでそうしたほうがいいよな……くらいのゆるい共感しかもっていなかった。そしてそれ以上に、しかしこれからの都市開発のコンセプトとして掲げるには「湧水」を中心にした街づくりというのはさすがにありえなく、もちろん「湧水」にあたるもの(人間の暮らしと土地をつなぐ鍵)を新しく見出すべきなのだろうな、と僕は考えていた。

しかし昨日改めて松田さんの話を聞いて考え直した。それはどういうことかというとかいつまんで言えば、

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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