続・『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』と「性欲」の問題
昨日、ニッポン放送吉田尚記アナウンサーの司会で、石岡良治さん、有田俊さんの4人で『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』の座談会(ネタバレ全開)を行った。この作品に関してはこの放送に加え、先日の記事でも言及しているのだけれど、今日はその続編というか、放送を経て追加で考えたことを記したいと思う。
僕が改めて考えているのは、この映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』はものすごく「中年」の物語だったということだ。たしかに、登場人物のほとんどは若者の外見をしていて、設定的には少年から青年とされている。しかし実質的にこれは中年期の物語であり、そして観客の中核もまた、もはや「中年」なのだ。実際に僕自身、このシリーズがはじまったときにはまだ大学生だったのにもう40代半ばを迎えている。
比喩的に(そしてネタバレ全開で)言えば、これは倦怠期の中年夫婦(キラとラクス)が、擬似的な「寝取られ」プレイを経てヌーディストビーチでの発散に落ち着くまでの物語だったのだというのが、いまの僕の感想だ。
どういうことか。前回指摘した通り、この物語における主要登場人物の行動原理は恋愛(というか、性欲)だ。
要するに、これは部下(シン)を持ち、立場もできたけれどイマイチ成果を出せない中間管理職(キラ)が実質的な上司に当たる妻(ラクス)との釣り合いのとれなさに悩みながらも、かつてのホモソーシャルな絆(アスラン)に支えられそれを受け入れるまでの物語なのだ。
その過程の恋愛劇(モビルスーツ戦)は、擬似的な不倫や寝取られプレイのようなものだと考えればいい。当時、『SEED』や『DESTINY』を毎週楽しみに見ていた中高生はもう堂々たる中年になっているはずで、本作でのキラたちの悩み(部下との接し方とか、パートナーとのセックスレスとか)にはある意味等身大のリアリティを感じられるはずだ。そして、こうしたモヤモヤを、贅沢な作画によるアクションと安心して笑える公式パロディで吹き飛ばしてくれる中年のためのサプリメントーーそれがこの映画だった。そんな気もするのだ。
しかし、だ。その一方で僕はこうも思う。当時(ゼロ年代の前半)このシリーズを真剣に観ていた人たちのなかで、こうした「スレた中間管理職」「倦怠期の夫婦」的なメンタリティを身に着け「なかった」人たちもいるのではないか、と。そして当時のキラやアスラン、あるいはシンのような青臭さを保持したまま30代になった人たちは、この映画を見たらどう思うのか、と。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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