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公明党と共産党が「まとも」になると日本がかなりマシになる……のかもしれないという話

先日、あの「公明党」の機関誌のインタビューを受けた。テーマとしては「AIと活字文化」といった類の、まあ、メディア論的なものだったのだれけど特定の政党の媒体の取材を受ける限りは言うべきことを言うしかないと考えて、「そもそも」の問題についてあれこれ注文をつけるようなことを話してきた。取材を担当した記者たちは面白がっていたのだけれど、媒体の性格や紙幅の関係上、どこまでこうした要素(公明党への注文)が記事に残るか分からないので、ここでそのエッセンスを記しておこうと思う。

僕がその日公明党につけた「注文」を要約すると概ね以下の3点に集約される。

・(無理だと思うけれど)創価学会と距離を置いて、あくまで「支持母体の一つ」にすべき。
・その上で左派の視界に入らない「弱者」の代弁者になるべき。
・政権に残るなら自民党の「ブレーキ」にならないと意味がない。ちゃんとやるべき。

では、一つ一つ説明していこう。

まず、最初の「創価学会と距離を置く」だけれど、これは言い換えれば世代交代の問題でもある。最近僕が一番がっかりしたニュースの一つに共産党の田村智子新委員長のことがある。田村新体制への移行は、固定客と一緒に年老い、政策内容レベルの批判力がどんどんゼロに近いてしまっている現状の共産党が、「ちゃんとした左派政党」に生まれ変わる大きなチャンスだったはずだ。共産党の組織力を背景とした権力監視機能が、特に地方政治に果たしてきた役割は大きい(その分、負の影響も大きかったとは思うが……)。僕はこの国の民主主義には共産党(もしくはその遺産)が必要だと思っている。共産党が事実上の新宗教からまともな左派政党に脱皮することは、この国の民主主義の成熟を大きく前進させるはずだ。

だから僕は、田村新体制にたとえば志位体制末期の最大の汚点である執行部の独裁体制に批判的な地方党員の「粛清」をしっかり批判して欲しかった(まあ、到底無理だったのだろうが……)。しかし実際にはそれどころか、田村新体制が最初にやったことの一つがこの「粛清」の「徹底」だった。これには心底がっかりした。今の共産党に必要なのはフルシチョフによる「スターリン批判」のような世代交代と負の遺産の精算だと思うのだが……

まあ、共産党のことはさておき、公明党だ。高齢化による組織弱体化と硬直化を抱えるのは、ライバル共産党とまったく一緒だ。というか、どちらも戦後の高度成長に取り残された相対的な弱者階級を支持層にするという点では同じだ(共産党は、そういった「弱者」の味方でありたいと考える優等生的な中流も取り込んでいるが)。この点において、戦後の共産党には実質的な新宗教としての側面があったと僕は考える。そしてここからが重要なのだけど、共産党も創価学会でもその意味では、というか戦後の新宗教(的なもの)自体が、その役割を既に終えているのは明らかだ(というかこれらが最後の「新宗教」だったのだ)。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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