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人生は不要不急

おはようございます。
しょうもない言葉遊びをしたいがために書いている27日目。
読んでくださっている稀有な方々、ありがとうございます。

兎にも角にも、バスケ日本代表お疲れ様でした。そしておめでとうございます。
ニュースでは河村・富永の22歳コンビがこれでもかってほど取り上げられていますね。間違いなくリーグ通してはホーキンソンですよね、絶対。
それから昨日は途中交代の原、めちゃくちゃいい仕事してたと個人的には思いました。

さて、主体的・対話的で深い学びなんてことについて、やっぱり授業を大切にしたい私はいつも考えてしまうわけですが、それと同じくらい注目されているの「探究学習」だと思っています。

総合的な学習がその役割を大きく担えるところではあるのですが、残念ながらカリキュラム踏襲、テーマ学習の域を出ない総合的な学習もまだまだ現場ではたくさんあります。

この総合的な学習が導入されたこ危惧されたのが
「這い回る経験主義」なんですね。
「這い回る経験主義」って聞いたことはあるでしょうか、きっとありますよね。 簡単に言ってしまえば、活動が目的になっていて学びがないですよね。ってことでいいと思います。

この言葉が出てくる文脈は、基本的に何かを批判する文脈で、それじゃあだめだよねってメッセージが基本的にセットなんですが本当にそうなんでしょうか。

コロナ禍を思い出します。
「不要不急の外出は控えるようにしてください」と声高にテレビや新聞で叫ばれ、自粛警察、マスク警察がたくさん生まれました。
あのとき一番感じたのは「人生なんて大抵のことは不要不急でできてるのにな」ってことでした。
で、人ってのはそうした不要不急がいつか意味を見出したり、何かのきっかけになったりしていくんじゃないかなってことです。
目的だけを達成するために生きているわけじゃないですよね。そんな生き方が現代人はいいんでしょうか。

そうなったときに、さっきの「這い回る経験主義」にも同じことを思うんですよ。

「這い回っていいんじゃない?!這い回らない経験主義なんてないんじゃない?!」
って。

学校でやることには、いつも全てに学びがあって、教師はそれを意図的に計画していてって、本当に理想なんでしょうか。
遊びや探究の中で生まれる偶発さえも意図することなんてできるんでしょうか。

そうやって目的的になんでも取り組めるから良しでもなくて、這い回ることで見える世界もあるんじゃないかなって思ってしまうし、何が這い回っていたことで、何が這い回っていなかったかなんて、その後の行動との結び付きでしかないような気がしてしまいます。

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