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休職しました。

来るとこ来たな〜感が否めない。
いよいよ生きる元気が無く、歓迎条件が合わないような人間になってしまった、と自己分析では考えている。
あ、弱音吐きエッセイです。あまり言葉を選んでいないです。

毎日どこかぼんやりして生きている。
それがなんか悪いような気がしてならない、いや、本来それをする為に休んでいるのだから、全く間違ってないんだけど。
何も成さなかった日の悔しさが半端じゃないのだ。
何かを成さねば、と思い、過食をしている気がする。(身に貯めている、的な)
寝ていても消化しきれなくて、毎日変な胃の心地。
手首足首はまっさらぴんでも、内臓の自傷行為が止まらないので、今より年老いた時が怖い。…そこまで生きていられるとなぜ思うんだろうね。

わたしは今のところ自認しているラベリングが、
・双極性障害(二型)
・ADHD
・睡眠障害
・買い物依存症
なんだけれども、「境界性パーソナリティ障害」も加入しそうで笑っている。まあ、タイトルホルダーくらいにしか思ってないし、別に増えて構わないけど、どんどんわたしの面倒さを露呈して縛っては自分で可能性を咎めている気がするので、良いやら悪いやら、である。

にしても、どんどん我が国、ラベリングされた人間にとって住みにくく、生きにくい時代と国に変化している気がする。健常者(という言い方はあまり好きじゃないけど)が当たり前、と言いながら、「多様性」と騒ぐ、ポーズだけの見え透いた思いやりはいい加減やめて欲しい、迷惑というか、見殺しにしかしてませんが、という。
まあでも、人類実際増えすぎているから、ずるい人間達がこれまでの歴史上繰り返してきた、殺戮を、毒物使わずに行っているんだろうな。小癪過ぎる。
紙と声だけで人はこんなにも丸め込まれるのに。

なんで休職したか書いてないな。
なんでしょうね、自分でもわからない。
わからない、わからないばかりで考えるのを停止するのは良くないこと、とは思うけど、どうしてもわからない。
環境も人も優しかった、距離もまあ通えていた、でも止まってしまった。
そりゃ本音を言えば、嘘くさい仲の良さとか、面倒な土地勘とか、活動時間の向き不向きとか、いろいろあるはあるけれど…。それって「嫌になった要因」と認めていいんだろうか。正直社会、というか他者が集まれば生まれることばかりだと思うけども。
ともかく、『社会人のなりきりをするのに疲れた』が今のところ正確だと思ってます。人間性が強すぎるがゆえに。

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