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失踪したり、元気になったり、忙しい。

休職期間が延びた。
職場からは『病休明け、次休んだらクビな』的な内容の通知が来ていた。
まあもうこの職場は潮時なんだろうな、と思った。
それくらいしかない仕事への愛着。

タイトルにある通り、一度失踪して友人の家で2日ほどお世話になりました。軽々しく書く文言じゃないな…。
死ぬか、どこかへ行くかで迷った真夜中があった。
衝動性がそこまで高くなくてお世話になった友人の言葉があったから、こうやって時間の経った今、文章を書けている。
めちゃくちゃ冷静でした、あの逃げ出す時。
常備薬はきちんと持ってったし、服装は着替えやすいワンピースにしたし、連絡手段という手段、あらゆる人間のものを遮断して、出掛けた。
もうだいぶ日が経ったので推測になるけど、当時のわたしは、家族から、友人から、わたしから逃げること、全てが嫌で、でもお金も無いしってことで、友人宅に世話になった訳だけど、それくらい非日常に溶け込みたかったのだろうな。
この件に関して、あまりにわたしの意識の低さ…というか「さほどの大事では無い感覚」でいるのが、親族には良く思わない人も居て、仲が良かったのに少し今でもギクシャクしている。(自業自得が半端ない)

ボロボロな精神状態だったりしたのに、元気な時はめちゃくちゃ元気。なのだ、これが。
なんなんだろう、自分でもジェットコースター過ぎてびっくりする。日によって全然気の持ちようが違う。
だから、病院を変えて薬のメニューもだいぶ変更した。すると次は凪になる日が増えたが、「何にも興味がわかない」無気力でつまらない人間が生まれた。
わがままだなあ、極端だなあ、我ながら情けない。
何より今まで大切にしていた、他人への興味すら薄れてしまったことが怖かった。わたしは、何が楽しくて生きているのだろう、生きたいのだろう、と。

そこで、「わたしの主軸は常に他人」と「自分の自己肯定感の異常な低さ(というか自己批判精神の高さ)」という根底が分かった。一度行ったカウンセラーに話す中で見つけた事柄でもあり、わたしの幼少期(暗黒時代)の人格形成が大きく関わっていたのだ。

どうしたらいいのか、自己分析をするしか無かった。わたしはやっぱりまだ死にたくないから。詩は世にたくさん残せてないし、推しの成功をこれからも見ていたいし、わたしの幸せを、望んだので。
・出来る限り起きる(日中が好ましい)、早く寝る
・基本よく動く(外へ出るも室内でも)
・ご飯をよく噛んで三食ちゃんと食べる
・体を冷やさない
・忘れ防止のメモでもなんでも書く
この5ヶ条が一先ず必要なことだ、という結論になった。つまり規則正しい生活、無理しすぎない程度の、をしたらいいのだ。
ただでさえ自律神経がイカれる気候や気圧の変化なのだから、出来ることは意識してやらないと、心も体も倒れてしまうのだ。
なんだ、基本に立ち返ればいいんじゃないか、と書いてて思った。子どもの頃見た、ほけんだよりを思い出す。

わたしは「他人によって構成されるわたしの幸せ」を求めて生きている。だから他者の存在は必要だ。だけど、それを優先しすぎて、自分が消えたら意味が無い。それだけでも学べて良かった。だから、わたしは失踪しても、ジェットコースター心情でも、許せる。わたしはわたしが守るので。

にしても働き口、なかなか無いなあ。
理想を求めすぎたらダメなのか。
でもゆるくないと気持ちがやってけないしなあ。こういうところが、社会不適合者感あるんだよなあ。それでもいいけど。

あ、そんな訳で、裏垢的活動は出来ていないです。
他人様に語れる面白い出来事も無くなってきたので、基本的には書かなくなると思います。楽しみにしていた稀有な方々、すみません。
文章は書き続けるので、もしタイミングありましたら、よろしくお願いします。

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