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地球の裏側の、谷崎イズム。

我ながら、鼻が利くなあ、と感心する。
全く予備知識なしで適当に手に取った本でも、必ずといっていいほど谷崎潤一郎臭がするのだ。
あまたある本の中から、無意識に嗅ぎ分けてしまう自分。
これも、読書を続けてきて得た技能なのかもしれない。

谷崎潤一郎の作品に出てくる人物は、みな歪んでいる。
特にその性癖が、ぐにゃぐにゃでドロドロで、今風に言えばサイコパスである。ヘンタイ、とも言う。
大好きな人と同じ境遇になりたいから、目に針を刺して盲目になったり。
理想の女の足に、死後も踏まれつづけたいと切望したり。
まあ、とにかくぶっ飛んでいる。
現実世界にいたら確実に「お縄」になるであろう人々ばかりだ。

にもかかわらず、谷崎作品を読む時、私の心は青空のように澄み渡るのである。淀みが晴れるのだ。
なぜなら、そこに描かれている人々は、誰に咎められようとも怯むことなく、己の性癖を貫き通すからだ。

ああ、羨ましいなあ。私にもそういう強さがあればいいのに。

私は、小さいころからアリが好きだ。
30歳すぎて、道端にうずくまってアリの行列を見続けていたことがある。
一時間ほどそんなことをしていたら、知らないおじいさんに声をかけられた。
「どうしたい、具合が悪いんかね? 救急車呼ぶかね?」
以来、私はアリの行列を見かけても、さも興味なさそうに通り過ぎるように努力している。
本当は、一日中だって見ていたいのだが。

こんな自分とは違って、谷崎作品の人々は、なんて開放的で、自由で、自分の気持ちに正直なんだろう。本当に清々しいくらい、正直だ。

『寝煙草の危険』(マリアーナ・エンリケス 著 / 宮崎真紀 訳/ 国書刊行会)でも、同じような「歪んでるけど幸せ」な人々が、人生を謳歌していた。


装丁がめちゃくちゃお洒落。

この本に収録されている12編は、ホラーである。
そう帯に書いてあるんだから、ホラーなんだろう。
というのも、私にはそれがホラーには思えなかったのだ。

だって、本当に、出てくる人が「ハッピーな狂気」で満たされているのだもの。

タイトル作の『寝煙草の危険』の主人公は、寝煙草の火で焼け死ぬことを夢見ているし、『どこにあるの、心臓』では、心音マニアの女と心臓病で余命いくばくもない男とのラブストーリーが描かれるのだが、これがまさに谷崎イズム全開なのである。お互いめちゃくちゃ幸せに狂っている。
(すごい結末が待っているけれど、私はこの作品がいちばん好きだ。究極の愛ってかんじがして、ロマンチックだわ~)

『肉』なんて、帯にもあるけれど、憧れのロックスターの墓を暴いて、その屍肉を喰らう少女たちの話だ。
あらすじだけ聞くと「うげー、気持ち悪い」と思うかもしれないが、谷崎潤一郎的、倒錯した愛だと解釈したらば、あら不思議。
少女たちが、なんだか神々しくさえ見えてくるではないか。
その肉を喰らって、自分の一部にしたい!
そんな激しい愛情を誰かに抱けるだなんて。むしろ羨ましいくらいである。

本書の著者は、ブエノスアイレス出身だそうである。
だからなのだろうか。情景描写だったり、出てくる幽霊の行動だったり、主人公の内面だったりが、日本のホラーとは違って、どこか明るいかんじがする。
朗らか、というのかなぁ。ジメジメしていない。
全編を通して「結局、生きてる人間が一番こわい」のだが、それでもなぜか強い陽光を感じるのだ。

あけすけ。

そう、この作品では悪意も、憎悪も、グロテスクさも隠さない。
闇に包み込むのではなく、日の光のもとで、くっきりはっきり細部まで見せつけてくるのだ。

いやあ、狂ってるなあ。
でも、それが堪らなくそそる。ゾクゾクする。

ブエノスアイレスという地球の反対側にも、谷崎イズムを感じる作家がいるなんて。
ふふふふ、なんて素晴らしいのかしら。
こういう出会いがあるからこそ、予備知識ゼロで手にする海外文学あさりをやめられないんだよな。



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最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。