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以後の進捗

8/6 忘れてはならない失われたたくさんの命。ご冥福をお祈りいたします🙏そして今日を生きたかったあの人の分まで与えられた命全うします。

前記のnoteを書くためにたくさん下書きが出来ていて、消しているうちに正規ポスト記事まで消してしまいました。もう前記事はないので見た方の心の中に事実としてしまっておいてもらえればと思います。変わらず長文になりますので気に止めていただいた方のみ読み進めてください。

HCUからの一般病棟、本気の痛みや苦しみから解放されると今度は暑さ「夏」が待っておりました。クーラーはついているものの設定温度は高く窓を開けての合わせ技、普通に外はなまら暑かったんだろうと思います。。休んでいる間、俺の分も働いて下さった方々、留守の家の観葉植物に水を与えてくれた方々、ナースステーションに差し入れしてくれた方々本当にありがとうございます!


ジャッジ前日

右肺の術後は順調に日々経過、明日に左肺の件で主治医と話す予定が迫っている中、たまに会う大切な相棒から連絡が取れない自分に対して凡ゆるアプローチでやっと電話がかかってきました。(表現がおかしい。)彼は完璧に感覚で生きていてその観点での話を俺に伝えたかったと。医大の准教授が付いている間にしっかり治して仕事や家族隣人になるべく迷惑をかけたくないという自分の見解に対し、酷かった右肺が術後で回復中なこと、その回復中の右肺で左肺の手術を戦うリスク、なるべく体に傷をつけない方がいい事、手術をして変に内臓を空気に触れない方が良い事を自身の経験を交え熱心に伝えてくれました。自分の持っていない意見や思考がとても有難かった。


ジャッジ

朝6:00、2日ぶりの准教授(主治医)の回診は早い。科の医師オールスターで、意を決して相棒が言ってくれた事をどのタイミングで言おうかと思っていたところ、主治医から左肺の回復が想像以上に順調でという話が始まった。心も少し安心して話を聞いていると相棒が心配してくれている事とほぼ同じ内容を伝えてくれ、手術は止めて左肺に刺さっているドレンの太い管を明日抜きましょうという事になった。そして右肺の通院で左肺の様子も見て行こうと。左肺の手術をすればプラス半月入院と腹を決めていたので思ってもいなかった展開に嬉しくなりました。

管からの解放

翌朝の回診でドレンの太い管を抜く。深呼吸してから大きく息を吸い込んだ状態で「行きますよ!」の合図で肌と肺を貫通している管を一気に引き抜く、変な鈍い音を立てて引っかかりながら管が抜けた。傷口は痛いもののそれよりも寝返りが出来る、1人でトイレに行けることの喜びの方が大きかった。2〜3日様子を見ましょうとのこと。以前の経験から1週間寝たきりだとどれだけ体力を失うか知っているので、すぐ様病棟内を歩き回った。下のスタバにも行った。レシート持って行くとドリップの2杯目トールは160円で飲める。


いきなりの急展開

心身ともにリフレッシュ感は物凄いのですが麻酔で40時間寝溜めしてるので一般病棟では眠剤を貰っても睡眠1〜2時間でした。そんな中、病室のベッドまで来るレントゲンを撮影し次の日の回診。回復が順調な様で「明日退院しますか!」2日前は手術をどうしようかという話だったので一気に光が見えました。気持ちをしっかり持っておくと良いことが起こります。ですが急展開!いきなりだったので関係各所への連絡、高額医療や保険の対応、迎えの方のスケジュール調整が一気に来たので大変でした。

退院

あれよあれよという感じで退院の朝を迎えます。長期入院の方々の4人部屋だったので一番若い自分が最初に退院が決まりみなさんに何て声がけをしようか気まずい朝でした。皆さん本当に良いおじ様達で連絡先を交換しなかったことを後悔しています。身支度、周りの整理整頓は朝食前には終わり会計と迎えを待つ段階。傷口は少し痛み、痩せて私服が大きく感じる。最後は6ヶ月入院のレジェンドがしっかり見送ってくれました。ここの病院にはもう戻って来ないと決めていたのにまた一つ思い出を作ってしまいました。


経過診断

家に戻ると出て行ったままで洗濯物もたくさん状態。実家に戻っておいでとか、世話してくれるとかの話もありましたが自宅療養で出来ることは自分でやろうと決めて経過診断まで過ごすことにしました。規則正しい生活、しっかり食事を摂る、当たり前のことが難しい。とりあえずしっかり食べることが大変で外食に連れ出してくれたり焼肉に呼んでくれたりみんな食べさせてくれてほんと助かりました。2023年8月4日(金)、各種検査を終えて問題がなく5か所の抜糸も完了。自分で生活しているので治りも早かったようです。満腹になったりすると抜糸部分が突っ張ります。起き上がったり高いものを取ったりするのが実は大変。気になる点は腹部にある血痕と右手二の腕の痺れです。右手二の腕の痺れは初め縫った部分のアクリルの様な糸で切れ端が刺さっているかと思っていましたが、そうではなく別の痺れでした。。手術で切った部分が神経に触れているかもしれないので通院で経過観察して行くことになりました。

これから

現時点で自社のミッションがたくさんあり大変迷惑をかけてしまいましたので自社業務への復帰、進んでいるミッションのフォロー、先送りにしてしまった業務の調整を優先で進行していきます。新規クライアントや新規案件はしばらく受付ませんのでパートナーさんはご相談ください。そんな中でも「心配するな」と言ってくれる代表の存在は大きかったです。これからは50%の再発率との戦いで自分で出来る対策は太ること。頑張れる強意識と弱った肺の戦い、自分との戦いになりそうです。病気は悪い事ばかりではなく自分に足りないものや気付けていないものを知らせてくれています。今生きているということは改善の余地ありということでみんなに生かされている事を忘れてはいけない。人に迷惑をかけないのは無理なのでしっかりお世話になってその分自分の力で隣人達を助けれることがあれば全力でフォローするという事を学びました。
今回一連のことはやはり本当の原因は不明でこの話をすると同級生は「後厄、終わりギリギリできたね」自分は信じてないですが厄年のせいにするのも良いかと。大先輩は言います、自分がどんどん身体を気に掛けた生活にシフトチェンジしているのを知っていて「好転反応で悪い血が一気に出たんだ」とポジティブな話ももらいました。こちらを信じようかと思います。実際今は良い事やこれから挑戦することがたくさんあってワクワクしていますので今の状況になってもそちらを最優先する世界線で生きていきたいと思います。多くの方に支えられ生かされた命をこれからも期待して見守っていただけたら幸いです。これからも自分の知見やスキルや人間性で周りの方々の為に精一杯がんばります!前回の投稿後にもたくさんのメッセージをいただき心の底から勇気づけられました。大変ご心配をおかけ致しましたが本当にありがとうございました!当たり前は奇跡であり、当たり前は有難い。これからのWARAもガンガン行きますのでよろしくお願いします。

以上

WARAZGRAF

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