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知的障害の実母から、出産直後にかけられた言葉が予想外だった

私は2022年の初夏に第一子を出産した。

以前の記事でも言及したが、高齢出産ということもあって私はちっともハッピーなマタニティライフを送れなかった。

望んだ妊娠だったが、新しい命をみごもった幸せよりは不安の方が大きかったし、その不安の1番大きな要素は“遺伝”で、この不安がいつも私の頭をよぎっていた。

私の実母は知的障害かつ耳が不自由だ。

調べても調べても正確な“確率”なんて知ることができなかったし、おそらくマタニティブルーと相まったこの不安定な気持ちをかかりつけの産婦人科医に触りだけ相談しても、保健師・助産師さんに相談しても、これっぽっちも心の不安は解消されなかった。

そんな私の不安なんて知るよしもなく、遠方に住む無邪気な実母は、孫の誕生を120%楽しみにして、元気に健康に生まれることを微塵も疑わず、能天気に電話口で私に話すのだった。

性別は分かったのか?
もし分かったとしても今は生まれるまでそういうのは言わないのか?
希望の性別と違うと悪いから聞かない方がいいね!

と何度も何度も言われた。

その度に十中八九性別は女の子だということや、今はどの先生も聞けばすぐに赤ちゃんの性別を教えてくれるという旨を説明したが、

耳が不自由な母にはうまく伝わらずもどかしかった。

さらに、私は別に生まれてくる子が男の子でも女の子でもどちらでもよかった。

どちらでもいいから、多くは望まないから、
5体満足で健康で生まれてきてさえくれればよかった。

でもそんな私の思いを伝えたところで母にはその言葉に含まれる本当の意味まで伝わらないだろうし、

ただでさえ情緒が安定しないマタニティライフなのに、いちいち事を荒げて余計なモヤモヤを増やしたくなかったから母との電話でのやりとりでは適当に受け流した。

そんなこんなで、出産日はやってきた。

予定日から10日超過して、出産当日は21時間半の長丁場の苦しいお産で娘が誕生した。

それでも出血量は少量で、会陰の裂傷もほとんどなく、これを世では「安産」というらしいと知り、めちゃくちゃ驚いた。

文字通りお産は命懸けで「死に物狂い」だと感じたのに、この産みの痛みが「安」「産」の2文字で表現されるなんて、とてもとても凄まじい違和感を覚えた。

その一方、生まれてきた我が子を目にした瞬間、愛おしくて可愛くて、私にも自然と“母親”というアイデンティティが確立された。

「何があってもこの子を守らなければ」

心の底からそう思った。


スマホを所有する父に「生まれたよ」とすぐに生まれたてほやほやの娘の写真をLINEしたが、LINEを使いこなせない父はその写真に気づかないようだった。

デジタル弱者で、今か今かと私からの連絡を待つことしかできない両親。

産後の後処置を終えて、入院するお部屋に戻れるようになった頃、「無事に女の子が生まれたよ」と両親に電話をした。

実母はとても喜んでいた。

そして、数秒の間のあとに

「痛かったでしょう…りさちゃんもお母さんになったんだねぇ…」

と私に言った。

能天気に孫の誕生をただただ待ち侘びているだけだと思っていた母だが、
生まれたばかりの孫の誕生を喜ぶよりも自分の娘(私)の体を気遣い心配した。

これには正直驚いた。


「孫が可愛いのは、自分の娘がかわいいからよ」

どこかの誰かが言っていた。

私には全く無関係の言葉だと思っていたが、実際はそう思っていたのは私の思い込みだったみたいだ。

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