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「小村雪岱」展・補遺1:春信は知っていた!「線遠近法」とその「ハイブリッド描写」

はじめに

 昨年末、12月31日付で「小村雪岱」展(清水三年坂美術館)の訪問記を投稿しました。

 当初は短く書く予定でしたが、予想外に長文になってしまいました。なぜなら、ある項目を記述するたびに、展覧会当時だけでなく作品をもう一度見直すと、気づくことが次々と出てきたからです。

 気づきですから、そこから出るのは思い付きです。それをSNSに書くには、現在の一般常識や学術的な裏付けをとってから書く必要があるのですが、NOTEの記事は学術論文ではないのでよいだろうと自分に言い訳をしながら裏付けがないまま私の思い付きを書いています。

 とは云え、言いっぱなしのままだと後ろめたい気持ちがあり、その後分かった修正すべきところは<補遺>の形で書いていこうと思います。

 さて、さっそくですが、書いてからたった二日なのに修正しなければならないことを見つけてしまいました。

 それは、正月に次の本を読んだことがきっかけです:
諏訪春雄著『日本人と遠近法』ちくま新書(1998)

 それでは、以下本題にはいります。

鈴木春信《笠森お仙と団扇売》:西洋と日本の遠近法ハイブリッド

 前述の昨年末投稿した記事の中で、私は展示されていた《習作尼僧》を見てその遠近表示に対し違和感を抱いたこと、さらに探ると、泉鏡花『遊里集』表見返しの版画では、二階の部屋は消失点がない伝統的な平行線による空間描写、一方外の風景は一点透視図法による描写、すなわち

 日本の古典的な空間描写と一点透視図法のハイブリッドで構成されている

と指摘しました。

 そして、それは小村雪岱新たに工夫したものだと。

ところが、それを修正しなくてはなりません。前述の諏訪春雄著『日本人と遠近法』ちくま新書(1998)の記述の中に見つけました。

 なんと、鈴木春信西洋の遠近法伝統的な視点移動法との併用をすでに行っていたのです。

 次の絵をご覧ください。

図1 鈴木春信《笠森お仙と団扇売》 中版 錦絵
 出典:国立博物館所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-142?locale=ja)

 上段のニ本の樹木根元鳥居根元が、線遠近法で描かれていると著者は指摘しています。一方、参道の敷石から下の部分はすべて、平行線による伝統的描写になっています。

 おもしろいことに、この絵は本書の中では、錦絵で描かれる美人立ち姿ねじれの由来を論じている中で、立ち姿だけでなく座っている姿もさらにそれが極端に表れていることを示すために採用された図なのです。

 その本質的な理由は「視点の移動」にあり、日本の画家は、自由に移動する視点を持ち、それが、浮世絵師の遠近法にも反映されていくとの記述につながっていきます。

 そしてこの絵に見られた西洋の遠近法と日本の伝統的な遠近法併用春信以降も幕末まで続いていくことが紹介されています。

 以上から、私の記事の中で、「小村雪岱新たに工夫した」との文は一旦保留にします。

 小村雪岱がどこまで浮世絵版画遠近法を研究したか分かりませんが、もし知っていたとしても、そのデザイン感覚は江戸時代の浮世絵師とは少し違う気もします。現時点では、新たな工夫だったのかそれとも春信に倣ったのかはっきりしません。

 なお、本書で後期浮世絵における「三部構図法」についても知りました。これも、私の記事の別の修正に関係するので補遺2で改めて記事にしたいと思います。

おわりに

 以上、鈴木春信西洋の遠近法と日本の伝統的な遠近法併用を行っていることを知り驚きました。
 私の常識では、浮世絵師西洋の遠近法を知ったのは、春信よりもっと後の時代だと思っていたからです。
 しかも、併用を行っていたとは驚くしかありません。

 このことから分かるのは私の常識のベースは、若かりし頃(今から4-50年前)の常識であり、現在の学問の進展についていかに不勉強だったかということです。

 とはいいつつも、この50年間のこの分野の学術的な成果を追うのは大変です。専門家の一般向け著書を当てにするしかありません。何とか見つけ出してあせらずに追いつこうと思います。

(おしまい)

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