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<私のスケッチポイント/作品紹介あれこれ> 仙台城・大手門跡の桜と片平の夕暮れ


 前回に続き仙台のスケッチを紹介します。
 訪れた仙台のスケッチポイントを下に示します。

仙台のスケッチポイント

仙台市内の風景

(1)仙台城・大手門跡のソメイヨシノ

仙台城・大手門跡 (2010)
ワットマン F8 ペンと透明水彩

 前回も書きましたように、東日本大震災の前後で仙台に単身赴任していました。このスケッチを描いた時は2010年。1年後にあの大災害が起こるとは知る由もありません。平和な日々が過ぎていました。
 右側の石垣は江戸時代からあった石垣で、その上には土塀がありましたが、1年後、石垣ごと地震で半壊してしまいました。
 バスが昇っている道路は、左に曲がると仙台城の天守に向かう道路ですが地震後は途中の石垣も崩れて通行禁止になったことを覚えています。

(2)片平・櫻小路の夕暮れ

片平・桜小路の夕暮れ (2011)
アルシュ 全紙 ペンと透明水彩

 前回の記事で紹介した絵での中でチンドン屋が練り歩いたサンモール通りを南へまっすぐ進み五橋通りを渡ると細めの道路に入ります。
 そこから東北大学片平キャンパスの門までの小道を桜小路と言います。実は勤務先の大学へ毎日通う道でしした。

 道が狭く感じるほどの高いユリの木が並び、西側にはレトロな民家があって若い人が古着屋を営むなど雰囲気がよい通りでした。以前から描いて見たかったところです。

 絵は丁度東北大学片平キャンパスの方向を向いて描いています。ユリの木の間から黒松の並木が見えます。並び具合、枝ぶりが浮世絵で描かれた松と似ているので江戸、明治を感じます。
 キャンパス内は魯迅が学んだ学舎など昔の建物が残っており、当時をしのぶことが出来ます。

 さて、注目していただきたいのは、右側の古着を売っている古民家の壁です。大きなひび割れがあります。

 この絵を描いたのは、2011年12月、そう、あの東日本大震災があった年です。
 しかし、考えてもみてください。震度7が何度も襲ったにもかかわらず、木造古民家でもこの程度の被害ですんでいるのです。神戸の震災では、木造の古い家屋は壊滅しました。

 あくまで私の推論ですが、ここ片平地区(東北大学のキャンパスも含めて)は次に述べる理由で被害が軽微で済んだのだと思います。

 実は、この片平地区の仙台高等裁判所の敷地内に、「樅ノ木が残った」の主人公原田甲斐の屋敷跡の案内があるように、キャンパスの西側を通る「片平丁通り」は仙台藩重臣が済んだ屋敷跡なのです。

 これまでの各地の地震災害の例を見てきましたが、つくづく昔の人はかなり周到に地盤が安定している場所を選んで家を建てていると思います。おそらく片平地区もその理由で選ばれたと思います。

 事実、同じ東北大学でも、1960年代に山の上に造成された東北大学青葉山キャンパスでは、建物の被害は大きく、皮肉なことに当時の最新の建築土木技術をもとに設計・建築されたはずの「建築・土木系」の鉄筋のビルが長期間使えなくなるほどのダメージを受けたのです。

 陳腐ではありますが「昔の人は偉い」という言葉が口をついてでてしまいます。

 地震の話になると、どうしてもつい長くなります。この辺でおしまいといたします。

(おしまい)

 前回の記事は下記をご覧ください。


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