見出し画像

「ダメな親と思われてもいい」発達障害アーティストの母が見つけた才能を伸ばす子育て法

「過去の私は“ダメな親”と思われたくなかったんです」

二児のシングルマザー・馬場裕子さんは、かつての子育てをこう振り返る。発達障害をもつ我が子には、育児マニュアルの知識は通用しない。思うように周りの理解を得られず、何度も絶望を味わう日々……。しかし、肩の力をぬいたとき「自分らしさ」を大切にする考え方が腹落ちした。馬場さん親子はいったいどんな試練を経てきたのだろうか? その生き方を取材した。


母が見つけた才能。
数式の世界観をアートに昇華

訪れたのは、新潟県長岡市にある一軒家。ここで馬場さんは二人の息子と一緒に暮らしている。家中のいたるところに、色鮮やかな絵や造形作品が飾られており、まるで小さな美術館のよう。アート作品は大胆な色づかいや繊細な表現が印象的で、思わず見入ってしまう

馬場さんの自宅。日向さんが幼少期から現在までに制作した作品がいたるところに飾られている。

これらの作品を手がけたのは、馬場さんの長男・日向(ひゅうが)さんだ。年齢は21歳。広汎性発達障害をもっており、こだわりが強く言葉数が少ない。今回の取材を歓迎してくれたようで、おもむろに一冊のノートを見せてくれた。

机に向かい、何時間も数学に没頭する日向さん。
細やかな文字でびっしりと数式が書かれたノート。

ノートを開くと、一面びっしりの数式で埋め尽くされている。「これは全部、日向が書いたんですよ」と馬場さん。日向さんは誇らしそうに微笑んでいる。

中学生の頃から、数学の魅力に惹かれ、その世界に没頭していた日向さん。空間認知能力が高く、論理的思考が発達しているが、コミュニケーションは苦手分野だ。それは、常に一定であることを好むために、イレギュラーな事態を不快に感じるから。自分を不快にさせるかもしれない相手との会話に強いストレスを抱えている。

対照的に、数学は規則性がある絶対的なものだ。日向さんは、数学に没頭して机に向かう日々を送る。
 
彼から生まれる数式の美しさに、はじめて気づいたのは母である馬場さんだった。Instagramにその数式画像を投稿したところ、「これは天才的!」「数式をグッズ化しては?」と絶賛するコメントが寄せられた。

そこで、馬場さんは、知人のファッションデザイナーの協力のもと、日向さんの数式をプリントしたグッズを制作した。ピアスやバッグ、シャツなど、数式のデザインはユニークで目を引く。イベントやインターネットで販売したところ、世に類を見ない数式アートはたちまち注目を浴びた。

数式がプリントされたTシャツ。
数学は難しいイメージがあるが、カラフルな数式アートにするとポップで親しみやすい雰囲気に。

また、「日向さんの数式は美しい」と数学に造詣が深い人は口をそろえる。知識がない人には理解が難しい世界だが、その美しさとは、証明過程の流れがスムーズ、展開に納得性がある、単純明快でムダがないなど。彼が紡ぎ出す数式の世界観は数学マニアをも惹きつけている。

日向さんが書いた数式。

日向さんは「Artist Hyuga(以下、アーティスト日向)」の名で活動する芸術家だ。よく発達障害をもつ人は才能にあふれているといわれるが、その才能とは世に発信する人がいて、はじめて日の目を見るもの。発信役であるマネージャー的役割を果たすのが、母の馬場さんだ。一般的な就職ではない新しい働き方を実現できたのは、馬場さんのサポートあってこそ。しかし、現在の境地に辿りつくまでには、数々の困難を乗り越えてきたそうだ。

息子はグレーゾーン……?
葛藤と向き合いながらの子育て

幼い頃の日向さんは、癇(かん)が強く、激しく泣く子だった。泣きやむまで30分以上かかり、内出血で目周りが赤くなることが何度もあった。馬場さんは、親として適切な対応をしたいと思いながら、身近に理解者がおらず“心の孤立状態“に陥る。しかし、周りの子との違いについて、不安を感じたことはなかったという。

「おそらくこの子は『グレーゾーン』だなと薄々感じていました。こだわりが強く変化が苦手で、一人の世界に没頭しているのです。独自の世界観をもつ絵や造形物は、素直にすごいと思いました」

幼少時の日向さん。折り紙や工作などのモノづくりが大好きだったそう。

日向さんは次第に「保育園に行きたくない」と意思を示す頻度が増えた。送迎時に激しく泣く様子から、園生活でストレスがあるのではと相談したが、保育士は「わかりました。見ておきますね」と言うだけで何も変わらない。馬場さんは「なぜ理解してもらえないのだろう……」と保育士への不信感でいっぱいになったという。それでも、大きな問題が起きなかったことから保育園に通わせ続けた。

学校に行ってほしい
それは親のエゴだった

 月日は流れ、小学生となった日向さん。入学して2週間で「学校に行きたくない」と登校をしぶったが、なんとか通学を続けた。事態が大きく変化したのは、小学4年生の頃。担任教師の対応に馬場さんはショックを受けた。

「当時、日向は学校へ行きしぶる日が多くありました。親の気持ちとしては、子どもががんばって学校に行ったら、担任の先生には『よく来たね』とポジティブな言葉がけをしてほしかったんです。ですが、先生は無言のまま日向をかつぎ上げ、校内へ連れて行きました」

その後も寄り添う気持ちが感じられない対応が続き、不信感でいっぱいになったという馬場さん。「発達障害と診断されたら、先生も理解してくれるかも」と、市の教育センターに相談したところ、WISC検査(知能測定検査)を勧められ受診した。判明したのは、日向さんは「聴いて理解する力」が極端に弱く、「視覚から理解する力」「空間認知能力」が高いこと。さらに医療機関を受診したところ、医師から「広汎性発達障害」と診断名を告げられた。

医師の勧めもあり、学校に特別支援学級への移動をお願いするも、すぐに対応してもらえず……。受診から数カ月経った頃、ようやく日向さんは特別支援学級に移った。しかし、そのプログラムや対応は、日向さんの個性や気持ちに即した対応とは思えなかったそうだ。

そして、「学校が楽しくない」「信頼できる先生がいない」ことから、日向さんのストレスは爆発した。家では些細なことからパニック状態になり、物を投げつけて激しく暴れた。事態に輪をかけるように、2歳年下の弟も登校しぶりとなる。「このままでは家族も日向も壊れてしまう。本当の日向を取り戻したい!」と危機感を募らせた馬場さんは、別の病院を受診し、医師から「学校に行かなくて良い」との言葉をもらった。

「不登校が肯定されて、すがすがしい気分でした。本当はずっと前から、もう日向は学校に行かなくて良いと思っていたんです。気持ちとしては99%不登校でいいとさえ思っていたのに、残り1%は親のエゴとして登校してほしかった。ダメな親と思われるのが怖かったんです。
お医者さんから『学校に行かなくて良い』とお墨つきをもらえて、私の考え方は間違いじゃないとわかりました。スッと肩の荷がおりた気がしましたね」

日向さんがストレスを抱えていた時期、制作したねんど作品。独創的な世界が毎日変化していった。

そしてはじまった不登校生活。日向さんはパニックから解放されて、ゆっくりと自分を取り戻していった。自宅にて絵を描くなど創作活動に浸る日々は、彼にとって心地良い時間だったのだろう。「学校に行かなければ」という呪縛から逃れることで、馬場さん親子は穏やかな日々を過ごせるようになった。

「彼らしくそのままでいい」
そう思えたら道が開けた

憑きものが落ちたように、世の一般常識を捨てた馬場さん。時は流れ、日向さんは中学校の普通科クラスに進学した。馬場さんは「彼らしさ」を守るために覚悟を決めて「学校には通いません」と伝えたところ、校長や担任教師は、その個性を尊重して快く不登校を受け入れてくれた。

また、中学・高校時代は理解ある人たちに恵まれたという。

「嬉しいことに、日向のアート作品を認めてくれる方にたくさん出会えました。美術を専門とする中学の担任教師は、日向の描いた絵を一目見て『生徒が描く絵で購入したいと思ったのははじめて!』と絶賛してくれましたし、アトリエを運営する手芸作家さんには『彼には才能がある』と褒められました」

臨床美術の作品。日向さんが描く絵は、表情豊か。ニンジンのヒゲ根やカサッとした質感を見事に表現している。

この頃、日向さんは絵を描く以上に、没頭していたことがあった。それが数学だ。問題を作り、問いては楽しむ。この数学への情熱は、週に一日通い始めたフリースクールにて、周囲から大いに歓迎された。

「他の生徒たちが数学の問題を解くのに悩んでいると、先生が『日向くん、教えてあげて』と声をかけてくれたそうです。すると、ていねいにわかりやすく教えてあげるんですって。私は実際に見ていない光景ですが、『彼らしさ』が発揮されているなと感じました」

保育園・小学校時代は教師たちの理解を得られず、「自分らしさ」を押し殺していた日々――しかし、まるで世界が開けたかのように、日向さんがいきいきと過ごしていることに馬場さんは大きな喜びを感じたという。
 
「思い返せば、日向の小学校時代は私の価値観を押しつけていたと思います。お友達を大事にしてほしい、時間を守ってほしい、茶碗を持って食べてほしい……。そこには『いい親と思われたい』私のエゴがありました。
でも、そこから脱却したら、『日向が生きているだけでじゅうぶん』と心から思えるようになったんです。彼の個性を尊重したら、世の常識を捨てられました。子どもを育てるなかで、逆に親こそ成長させてもらっている。感謝しかないです」

「どん底を味わったからこそ今があります」と馬場さん。

「自分らしさ」というキーワードは、その後の高校進学や就職先選択の際にも、大きな判断基準となった。日向さんは通信制の高校を卒業する少し前、職業訓練校の障害者向けコースに参加したが、体裁的な対応に親子ともども直感で「なにか違う」と感じ取り、その選択肢をなくした。
 
そんな折、知人から「こぎん刺し作品をつくる仕事をしてみませんか?」とオファーを受ける。喜んで受けたものの、日向さんの作業はていねいで緻密するがゆえに量産には向かなかった。作品の美しさへのこだわりが強く、その姿勢はまさにアーティスト……。そこで、馬場さんは彼が生み出す数式に着目して「アーティスト日向」のブランドを立ち上げ、作品をつくり発信すべく舵を切った。

発達障害児の子育てにおける
根深い悩みとは?

「発達障害者には隠れた才能がある」とよくいわれるが、実際にその才能を伸ばせるかは親のサポートに依存する部分が大きい。馬場さんの場合、日向さんの個性を認める子育てを実践できたが、発達障害児を育てるには課題が多そうだ。

発達障害児を育てる親たちの現状や抱える悩みについて、障害者雇用施設の運営を行う社会福祉法人「桐鈴(とうれい)会」理事長の黒岩秩子さんに話を伺った。

社会福祉法人「桐鈴会」理事長の黒岩秩子さん。7人の子ども、18人の孫をもつ子育てのベテラン。日向さんとは数学仲間として意気投合している。

「発達障害児を育てる親のみなさんは、苦労しながらもがんばっています。特に多い悩みは『周囲が理解してくれないこと』。親が不登校を肯定しても、祖父母がそれを認めないケースは多く、意見の違いから家族の縁が切れてしまう場合もあるようです」

発達障害を理解するためには、世の一般常識とは異なる考え方が必要となる。両親で子育ての方針や負担について意見が衝突しやすく、離婚にいたる夫婦も少なくないようだ。さらに黒岩さんは、経済的な問題も深刻だと語る。
 
「子どもが低年齢で不登校の場合、親は仕事のセーブを余儀なくされるので収入が減ります。公立学校は無償化されていますが、民間フリースクールや療育サービスは自費なので、経済的に余裕がないと通わせるのは難しいです」

馬場さん一家の場合、日向さんが不登校になったのは小学校5年生の頃。馬場さんは早朝アルバイトやNPO職員業務などを掛け持ちしていたが、経済的に不安定だったそうだ。また、民間フリースクールは貧困家庭対象の市の補助制度を利用することで負担を免れたが、全国すべての自治体で支援をしているわけではない。いずれにせよ、経済的に安定していなければ、親が子どもに手を焼く余裕はなさそうだ。
 
発達障害児を育てるために、さまざまな壁はあるが、一番やるべきことは「親が変わること」だと黒岩さんは語る。

「いままで自分が信じてきた常識を手放す。そして、我が子の『らしさ』が発揮できる環境を用意してあげる。これができなければ、一生苦労することになるかもしれません」

数式アートの展開で
生まれた化学反応

馬場さんは自身の「常識」という殻を破った。それゆえに生まれたのが「アーティスト日向」だ。これまでにリリースした数式デザインのグッズは、バッグ、ピアス、シャツなど。そのほか、こぎん刺しブローチや絵画のポストカード販売も行う。


2023年5月に発売した「数式×音楽」Tシャツ。

2023年には新プロジェクトが始動。「数式×音楽」のTシャツを販売した。数式デザインのTシャツは、背中面にQRコードが印刷されており、それを読み込むと、日向さんの数式にインスパイアされて生まれた音楽が流れる。

このユニークなTシャツが生まれたきっかけは、楽曲を手がける男子高校生作曲家からの熱いオファーだった。数式愛好家である彼は、日向さんの数式を一目見たとたん「今までに見たことがない!純粋にかっこいい!」と全身のエネルギーが湧き立ったという。

一見、音楽と数学の関係性は薄いように思えるが、目に見えない美しさが人々の心をつかむのは共通している。日向さんの生み出す数式は、世に発信されたことで化学反応をおこしている。

親ができることは
「その子らしさ」を受け入れること

活動を続けるうちに、発達障害アーティスト日向はメディアから注目される機会が増えた。本当は話せる日向さんだが、カメラを向けられてもほぼ言葉を発しない。その理由は本人しかわからないが、注目されるのは嬉しいらしい。「日向は注目されるのが当然とばかりに堂々としています。嬉しいとニヤリと笑みがこぼれるんです」と馬場さんは話す。

日向さんはピュアでまっすぐだ。自分の好き嫌いに正直で、いつも自分がやりたいことに全力で取り組んでいる。世間の人の多くは平穏に生きるために、自分を押し殺すクセがついているが、彼はそうでない。静かに情熱を燃やし続ける姿がまぶしく見える。

日向さんは、嬉しいときはニンマリと笑顔になり、嫌なときはハッキリと意思を示す。

 馬場さんの子育て人生は壁だらけだったが、逃げずに向き合ってきた。人生のどん底で絶望したときも腐らなかったのは、我が子を愛するパワーを糧に自身が成長できたからだろう。馬場さんは、同じく発達障害児を育てる親たちに、こうエールを贈る。

「私たちは“いい親”をめざさなくて良いんです。親自身がどんな自分も大切だと認めてあげること。子どもの出来不出来をジャッジせず、そのままを受け入れること。これが腹落ちすれば生きやすくなるはずです」
 
子育ては親育て――それは発達障害児をもつ親にとって顕著だが、どんな子育てでもその真髄は変わらない。「その子らしさ」を尊重する姿勢を持つことこそ、親として一番大切なことではないだろうか。

日向さん作『スイカ』。臨床美術作品。ポストカードにもなっている。

※この記事は【第46期・宣伝会議編集ライター養成講座】の卒業制作として執筆しました。

終わりに

宣伝会議の講座で卒業制作を書くことになり、最初に頭に浮かんだのが馬場裕子さんでした。10年ほど前から、シングルマザーで不登校の子を育てていると聞いていましたが、今回じっくりお話を聞いて、たくさんの壁を乗り越えてきたことを知りました。

ここ最近、発達障害児のお母さんと出会う機会が何度もあり、みなさん口をそろえて「今までの常識が通用しない」と言ってます。世間で言う「普通」にとらわれすぎると苦しくなるので、子育てを楽しんでいるお母さんは肩の力をうまく抜いているなぁという印象です。

子育てのやり方は十人十色。一般常識にとらわれると楽しめないのでは本末転倒…これってすべての子育てに共通することですよね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
この記事が良かったなと思ったら、「スキ(ハートマーク)」を押していただけると励みになります。コメントも大歓迎です。お待ちしております!


▼アーティスト日向さんの情報はこちら

▼馬場裕子さんの活動はこちら


ライター仕事に関する情報を発信しています😊kindle本発売中!少しでもあなたの役に立てたらうれしいです。