見出し画像

我が家の優秀な猫の話。

我が家の猫は優秀である。

名は「オセロ」。アメリカンショートヘアに似た顔立ちをしていて、背中は黒が多め、お腹は白が多めの配色だ。体重6kg近い堂々たる体躯の、なかなかイケメンなオス猫である。

およそ9年前、息子が生後半年ぐらいの夏の時期に、オセロはどこからともなく我が家の庭に湧いて出た。それから今に至るまで、息子の兄とも弟とも呼べるポジションに居座っている。

オセロは幼少期から、実に優秀な猫だった。
素晴らしい身体能力とハングリー精神を併せ持つ、野生動物としてのこの上ない優秀さを、私はこれでもかと見せつけられてきた。

あらゆる食べ物という食べ物を虎視眈々と狙い、隙があるとみるや電光石火の勢いで突進し、驚異的な俊敏さで獲物を仕留めては持ち去るその能力。体重2kgに満たない子猫と比較して、人間わたしの何と無力なことか。

食卓に並べた夕食をはじめ、台所の戸棚に置いた食パン、仏壇に上げてあった焼き菓子、はては私がうっかり息子に持たせたまま回収し忘れていた哺乳瓶のシリコン乳首まで。
間抜けな私を嘲笑うかのようにオセロは次々と獲物を持ち去り、食い千切ってバラバラにし、毎日のように部屋の中に残骸を散乱させ続けた。

名付けるならばそう、『黒い悪魔』。
当時の彼はまさに、そう呼ぶに相応しい爆発的な欲望とエネルギーを、愛らしい体に秘めていた。いかなる食べ物の気配も遊びのチャンスも逃さず捉える彼の全力の「狩り」の前には、初めての乳児育児でヨロヨロしている一介の主婦など敵ではなかった。

夜も明けきらぬ午前4時半に目を覚ます息子、呼応してエサを請求すべく咆哮を上げるオセロ、オムツ替えを嫌がって3点倒立をしながら泣き喚く息子、使用済みオムツを狙って駆け回るオセロ、そのオセロを捕まえようと更に叫びつつ私の拘束から離脱を試みる息子、その頭といわず手といわず猫パンチを繰り出すオセロ、両手両足で息子をホールドしながら無言でオセロを払いのけ、あるいは首根っこをつかんで機械的に放り投げる寝ぼけた私。
まさに阿鼻叫喚の地獄絵図を日々繰り広げながら、私はオセロへの対策に知恵を絞った。

当時の平穏な日中の写真。息子:生後9か月、オセロ:生後3か月(推定)

夜間の仁義なき戦いはともかくとして、人間用食料の強奪事件だけでも、何とかして阻止せねばならない。
台所の出入り口に簡易鍵を設置して彼の侵入を防ぎ、また全ての食料品を扉のある棚や冷蔵庫に押し込み、入りきらない分は缶の入れ物などの中にしまう――という地道な水際作戦は一定の戦果を上げた。オセロの凶行は徐々に減っていき、やがて止まった。そう見えた。

しかしオセロの優秀さは、私ごときが制御できるものでは到底なかった。
ある日、買い物から帰った私が目にしたのは、部屋いっぱいに散乱した、鳥の羽だった。

な、何事!?

明らかに羽毛布団の中身とは質感が違う。細く、長く、茶色の模様が入ったその色合い。どう見ても「小さな鳥」の羽だ。そう、ちょうどスズメぐらいの……

ヂー!!バタバタバタバタ!!

私がそこまで考えた瞬間、カーテンの陰から転がり出てきたのは間違いなくスズメだった。そして床の上でのたうち回るスズメに飛び掛かる黒い影。舞い上がる羽、羽、羽。

「オセロ、やめなさい!!」

慌ててオセロの首根っこを摑まえ、オセロが口にくわえていたスズメを取り上げる。が、一足遅く、スズメは既に事切れてしまっていた。

――ど、どうしよう。

まだ温かいスズメの体を手のひらに乗せたまま、私は呆然とした。
オセロは私の大声に驚いたのか、部屋の隅へと一瞬逃げて行ったが、そこから私をじっと睨みつけて不満の声を上げている。「なんだよ、折角ボクが捕ってきたのに。返せよ、ボクのだぞ!!」――と、そう言っているようにしか聞こえない。

「ダメです、こんなの食べちゃダメ。病気になったらどうするの!」
通じないとは分かっていたがそうオセロに説教し、私は庭の隅にスズメの死体を埋め、大量の羽が散乱する殺人現場――もとい、殺スズメ現場の証拠隠滅作業を行った。

話にだけは聞いたことがある「ネズミやスズメを捕る猫」。都市伝説かと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
まだ成猫にもなっていない、家人の膝に乗っては撫でろとしょっちゅう要求してくる甘えん坊のオセロの野生を、改めて目の前で見せつけられた私は、ただただ圧倒されるしかなかった。

田舎暮らしだからと甘えて、オセロが自由に家の内外を出入りできるようにしていたのが間違いだった。が、時すでに遅しである。

オセロはその後も次々と、獲物を咥えては運んで来た。
カエル、カナヘビ、スズメ、手のひらサイズの可愛らしいネズミ。一度はなんと、ハトまで。流石にハトを咥えたままでは猫用ドアを通過できなかったようで、家の中に持ち込む前に確保できたが、その亡骸は当時のオセロ本人の7割方の体積があった。
私がどんなに頑張ったところで、一切何の道具も使わずに素手で、自分に迫るサイズの野生動物を捕獲することは不可能だ。いや、それどころかスズメやネズミでさえ、素手では捕まえられないだろう。人間の中でも運動音痴な私は、もう一生オセロには敵わないことは明白である。

もう仕方ない。私には、オセロの「狩り」を止める手立てはない。
せめて、屋内に持ち込まれるのだけは防ごう。

そう諦めの境地に至った私は、網戸に設置していた猫用ドアを封鎖し、オセロが獲物を持っている場合は家に入ることを許さないようにして、家人にも徹底させた。
オセロは優秀な猫である。すぐにルールの変更を理解し、屋内には獲物を持ち帰らなくなった。

こうして我が家には表面上の安寧が訪れた。
愛玩動物としても優秀なオセロは、家の中では家人に甘え、腹を出して転がりながら喉を鳴らす、可愛らしい姿だけを見せている。
だが朝な夕な彼が出かけていく度、恐らくは一定周期で、下手をすれば毎日欠かさず、「狩り」は行われているはずだ。

時折庭に、首のちぎれたネズミの死体や、スズメの羽が散らばっていることがある。そして、オセロが不自然にエサを食べない日も存在する。
胸の内でこっそりナンマンダブと唱えながら、私は昨日もネズミの死体を一つ、庭の隅に埋めた。
そして家の中に入り、私の足に擦り寄って可愛らしさをアピールする彼を撫でながら、その野生の優秀さ、同時にペットとしての優秀さに嘆息するのである。

我が家の猫は、本当に優秀だ。
頼むから、食べるのはキャットフードだけにしてくれ――と祈りながら、私は今日も、9歳を超えて一層丸々と、そしてたぷたぷとしてきたオセロの腹を、複雑な気持ちで眺めている。

この記事が参加している募集

我が家のペット自慢

ペットとの暮らし

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?