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「我慢」は基本的に報われない、という話。

我慢に、意味なんかない。
そう私が思い知らされたのは数年前。自分の母親が『毒』だと気付いた(思春期あたりに気付くべきだった。めちゃくちゃに遅い)勢いに任せて、その毒母本人に、長年我慢してきたことを叩きつけた時だった。

小学校低学年のころの、実に細かいけれど間違いなく私のトラウマになっているあれやこれやを泣き喚くようにしてぶちまけ、更には時間をすっ飛ばして、息子の母乳育児を辞めたいと言ったのに(以下略)とかなりホットな話まで持ち出した私に、母はどこか困惑した様子で言ったのだ。

「そんなに嫌だったなら、そう言ってくれればよかったのに」。

私は絶句した。

「要望を伝えたら却下され、場合によっては怒鳴られ叩かれ、〝そんなことを望む方が間違っている”という理論で2時間コースの説教を食らったので、仕方なく諦めた」という幼少期の私の無念は、母にとっては存在しないのと同じことだったらしい。

母乳育児についてはともかくとして、小学生時代の私は、つまりどうすれば良かったのか。
どんなに母親に怒られても、諦めずに何度も何度も「髪を切りたい」「ズボンで学校に行く」と言い張り続け、場合によっては登校拒否やハンガーストライキも辞さない姿勢で、断固として自分の要求を押し通すべきだったのか。

そんな無茶な、だ。
「スーパーにはついて行かない、本読んで留守番してる」と言っただけで引っ叩かれ、「母から声がかかったら何時いかなる時でも嫌な顔をせず同行せよ」という鉄の掟を言い渡されていたのだ。
母の怒りを買わないように、息をひそめ気配を殺し、あるいはご近所の噂話をにこやかに聞いては最大限に忖度した相槌を打ち、とあらゆる努力をしていてすら、3日に1回は何らかの逆鱗に触れて、怒鳴られたり平手打ちされたり家から閉め出されたりしていた当時の私が、「髪を切ってくれなきゃ学校に行かない」なんて主張が通るまで耐えられたわけがない。

しかし、だ。
母とのバトルを終えた私は気づいた。のんきに育った私の息子はそもそも、「怒られないための努力」なんか出来ない。正確には、記憶している間はできるが、その記憶が数分から数日でリセットされる。そのため、毎日ランドセルは放り出されたままだし、トイレの水も流されていないし、ご飯に呼んでも返事がない。
そのことに思い当たった瞬間、私の中でようやく何かが繋がった。

一般的に、子供は、不満があっても口に出さずに我慢するなんてことはできないものなのだ。不満を述べて怒られたとしても、怒られたことを忘れてまた不満を口に出す。
そして間違いなく、私の母も、黙って我慢なんてできない。外ではどうだか知らないが、家族に対してはほぼ不可能に近い。不満が存在する限り、何日でも何時間でも、聞いてくれる相手(つまり私)を追いかけ回しては、言い方を変えた同じ不満を垂れ流し続ける。
従って、母の概念では、小学校低学年だった私が「怒られたのでその時は我慢した」ことはギリギリ理解できるとしても、「その後も黙っていたけれど、毎日ずっと我慢し続けていた」なんてことは、ありえなかったのだ。

他人の「我慢」に気付けるのは、「我慢が出来る人」だけ。
つまりは、そういうことなのだろう。

「我慢が出来る人」は、我慢の辛さを知っている。だから我慢している人に気が付けるし、きちんと評価することができるし、自分が他人に我慢を強いる場面が発生すると、強烈な罪悪感を持つ。そのため、他人に我慢させないように努力しながら生きていく。たとえ自分が我慢しても、だ。

しかし、「我慢できない人」は、我慢の辛さが分からないどころか、自分が他人に強いた我慢さえ認識できない。自分が我慢出来ないが故に、他人が「我慢できる」ならばその人にとって大したことない負荷であり、つまり存在していないようなものだ、という話になる。
だから平気で他人に我慢を強いるし、強いた我慢も光の速さで忘れていく。
彼らの世界には、「大量の我慢に押し潰されそうになりながら生きている人」など存在していない(いるとすれば、多少の我慢をしているときの彼ら自身であり、比較対象である他人は一切我慢していない前提なので、「私は世界で一番我慢している」となる)。

我慢は美徳だ。特に日本人にとっては。
我慢強い、忍耐力がある、それらは紛れもなく強みだ。そのはずだ。

だが、他人に我慢を強いる人――毒な親、モラハラやDVをする家族、あるいは「ちょっとワガママな彼女」など――は、強いた我慢を認識しない。よって感謝もしないし、罪悪感も持たない。
なので、彼らに対してする「我慢」は、目の前の彼らが怒り狂うのを避ける、以外に意味はないのだ。

私が我慢した意味は、なかった。
あの日あの時、彼らと戦うことを避けられた。ただそれだけの意味しか、なかった。

我慢しろと言われて我慢する。諦めろと言われて諦める。
息を吸うのと同じぐらい、それが当然必要なのだと刷り込まれて育った。
母に反対されない範囲でのみ、今日着る服を、遊ぶ友達を、通う学校を、結婚する相手を、子供の育て方を、選択することができる。
それによって保証される幸福が、そうしないと回避できない不幸が、必ずあるのだと。万一私が感じられる「私の幸福」に繋がらなかったとしても、私より正しい尺度で測った「私の幸福」になるはずで、それこそが絶対的な「正しい幸福」なのだと。それを知るのは私でなく母であって、「正しい幸福」を私が手に入れることが、母の幸福を作るのだと。そういう概念で、疑うことなく生きてきた。
今なら分かる。そんなわけがあるか。
我慢して我慢して我慢した結果、「子供が思い通りになった」幸福、あるいは安堵を、母に差し出していただけだったのだ、と。

しかも、母は「子供が我慢して思い通りになってくれた」とは思っていなかった。「子供が自分の思った通りになった、自分は正しい」と、「自分自身の力で幸福になっている」と思っていた。
私の我慢に感謝するどころか、認識さえしていなかった。

我慢に、意味はない。
少なくとも、我慢しろと言われてする我慢には。
「我慢しろ」と平気で言ってくる人のために「してあげる我慢」には。

恨みや怒りを遥かに凌駕する、やるせなさに打ちのめされるけれど。
それでも、せめて前を向いて生きていかなければ、あの日の私が報われない。
気付くのが本当に遅すぎたけれど、私が死ぬまでに、残された時間はまだそこそこあるはずだ。
平均寿命で計算すれば、ざっと残り50年。健康に自信がある方ではないが、例え還暦で死ぬとしても、まだ20年残っている。

我慢は、もうしない。
自分自身で決めた、自分自身のための我慢だけして、生きる。
あるいは、「我慢させたくない」と私自身が思う人のための我慢を。
私が自分の手で、したいと思える我慢を選ぶ。そう胸に唱えながら、今日もこの世界を生きていく。








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