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既視感のない主張を作るために、私たちが持つべきマインドセットとは。

こんばんは、わたろうです。


記事を書く。


そのために
必要なマインドセットは
なんだろうか?


記事は
書き続けることで
鋭さを増していく。


そして、


書くからには
ちゃんと読んでもらいですよね。


読まれるように書く。

伝わるように書く。

これは
私たちnoterたちの永遠の願い。


読んでもらえるような
ライティングは
一朝一夕では、身につかない。


でも、読んでもらえるように書くための
「マインド」はいまからでも
身につけることができる。


そのマインドが


「こじつけ」であるのです。


この「こじつけ」とは

なにも「ヒネくれろ!」と
言っているわけじゃありません🥺


「理由」をねじ込こんでこそ、”らしさ”が活きる


こじつけ、と聞くと
悪いように聞こえるかもしれません。


難癖つけて
悪いことを言うような感じ。


私が言いたいのは
そうではなく。

理由を深掘りしましょうね、って
話です。

記事には、「主張」があります。

伝えたいこと、

つまり、

主張があるから
私たちは記事を書くわけです。

しかし、

主張を書いて、

「はい、お疲れ様でしたー」、とは
ならないわけです。

その先に
ついてくるのが、「理由」


主張 + 理由


これらがセットになって
初めて意見は形になるんです。


私はカレーが好きだ!
私はトンコツラーメン派だ!

猫派だ!
賛成だ!
反対だ!


そっかー!
「どうして??」


すべての意見に
必ず”理由”が存在する。

しかし、

記事で一番むずかしいと思われる部分。

それが、

自分自身の
”なぜ”を説明するところである。



主張より理由づけの方が3倍むずかしい


好き or  嫌いに限らず

心のなかに
意見を必ず持っている。

しかし、

”なぜか?”と聞かれると
「なんとなく」と言ってしまうことは
ないでしょうか?


どうして猫派なの?
「なんとなく」

どうして甘口が好きなの?
「なんとなく」

どうして賛成なの?
「周りが一緒だから、なんとなく」


これは極端な例かもしれませんが


パッと言葉で説明できないことって
よくあると思います。


なぜ、
理由を深掘りする必要が
あるのでしょうか?


それは
理由を掘ることによって


✅ 書き手の考えがハッキリする
✅ 書き手らしさがでてくる


ひとことでいえば
「らしい文章」になる。

その人”らしい”文章って
あると思いますが、

理由の部分に
書き手の”らしさ”が詰まります。


なぜなら理由とは


今まで生きてきた
経験からしか、導き出されないからです。



人は経験のなかでしか判断できない


人が答えを出すときは

過去の体験からの
最適解を選択しがち。


なかなか
突拍子のないアイデアを採用することは
ないと思います。


理由だってそうです。


いままでに経験をしたから
意見が生まれるのであって、


経験したことない出来事について、
賛成することはなかなかありません。


例えば、
あなたの「好きなドーナツはどんな形ですか?」
と聞かれたら、どう答えますか?


私なら”丸いドーナツ”と答えます。


なぜなら、
それしか”知らない”からです。


それと同じで、


私たちは
経験した内容の中でしか
判断できないのです。


理由とは
自分の経験を掘っていかないと


「これだ!」という答えに
たどり着けません。

そう、

あなただけの理由、

「これだ!」という理由に
たどり着くために


あらゆる理由を
こじつける気持ちが必要なんです。



「こじつけ」は間違っていてもいい


おさらいです。


あなたなりの主張に「理由」が加わると、
それが「意見」になります。


主張 + 理由 = 「意見」


この「意見」を
強固にするために


理由を育てる。


だからこそ、

過去の経験を
ひっくり返してみて、

「なんとなく」という
理由を打ち消していかねばなりません。


理由をあれや、これやと
考えていくうちに

かなり強引な理由、

つまり、
「屁理屈」みたいな
ものになることもあります。


しかし、安心してください。


こじつけに正解はありません。


先ほども言いましたが、
理由とはその人が経験したなかで
出せる「最適解」でしかないんです。


そして、
経験は、他人と100%一致しません。


みんな違うんです。

私が言う「賛成」と
あなたが言う「賛成」。


同じ響きでも、
理由がまったく違うことだってあるんです。


正解か、不正解かは
関係なく、


それぞれの経験から
導き出された理由。

だからこそ、
意味があるんです。


その理由が
証拠がなくても、


論文的根拠がなくても、


関係ありません。


そんなこと言ったら
私の記事は
間違いだらけでしょう🤣


きっと、
お偉い人がみたら
怒るかもしれません。


でも、
私がこの記事で書いた内容も

1つの意見なんです。


私”らしさ”を
追求した、結果なんです。


それは、
皆さんも同じ。


そんな感じで、


この記事の主張に
こじつけた理由とは、


”こじつけ”こそが
”らしさ”に変わるから、です。

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