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満腹中枢を失いし者

いつも飲んでいる薬の副作用で「満腹中枢を失いし者」になってしまった。ギャル曽根と胃袋をすり替えられたのでは?と思う程、どれだけ食べてもお腹がいっぱいになることがない。薬の効果はしっかりお腹にまで作用しているようで、これでは副作用ならぬ、腹作用である。

こりゃ一本取られましたわ、って、そんなのん気な冗談を言っている場合ではない。ギャル曽根との絶対的な違いは、普通に食べた分だけ太るということである。失われし満腹中枢と引き換えに、私は寸胴なお腹を手に入れてしまった。和服を着る時、寸胴だと補正をしなくて良い、というジャパニーズジョークがあるのだが(ウエストがくびれていると胴体を平坦にするためタオルで埋める必要がある)、これでは逆補正をする必要が出てきてしまう。胸とお尻の部分を埋めるのである。胸とお尻の部分を埋めるだなんて、こんな補正の仕方が今まであっただろうか。

人間の体というのは、基本的に胸とお尻が突出しているようにデザインされているものだ。ふくよかな肉付きの女性といえばよく裸婦画に描かれているイメージだが、このままでは私はボッティチェリにもお断りされてしまうだろう。ふくよか大好きボッティチェリにもお断りされてしまう、この呪われし体。我が肉体よ、時を超えボッティチェリに筆を取らせたまえ…!!

昔のヨーロッパの絵を見ていると、みんな裸婦といえばふくよかな肉付きの女性がモデルになっている印象がある。貧困層も多かったであろう時代、痩せているということは今ほど美しいことではなく、なんならガリガリであればあるほど、なんとなく悲愴感のようなものが漂ってしまったのかもしれない。脂肪は富の象徴だったのだろう。

そういう意味では、私はこの突出した腹部の脂身に感謝していかなければならない。失われし満腹中枢も、それに追いつけるほど余り有る食料も、全ては富のおかげなのだ。ありあまる富。そういうタイトルの曲が椎名林檎の作品にあった。こういう意味だったのか。私は薬の副作用をもってして、椎名林檎の真髄にまた一つ迫ることが出来たのである。ああ、ありがとう、飽食の時代。ああ、ありがとう、私の胃袋に吸い込まれていった食べ物たち。

今後も順調にふくよかな体を養い、いつかボッティチェリからモデルのオファーが来れば、大したものである。

HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞