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綿生家の生活「ホームステイがやってきた!」

春の疾風が吹き荒れる夜、暗がりの路地を潜り抜け、その「影」は音も立てずに綿生家の一室へと近づいていた……

その夜、私はベッドに横たわり、ぼんやりとテレビを眺めていた。うとうと眠くなり始め、ふと時計に目をやると、1時半を指していた。
「そろそろ寝よっかな……」
掛け布団を掴もうと、身を動かしたその時である。
「をッ……!!!」
声にならない声をあげ、私は息を飲んだ。テレビの上の天井あたり、そこには「名前を言ってはいけないあの人」がいた。

ホームステイだ! ホームステイが来たぞ!

名前を仮に「ホームステイのG君」としよう。G君は、壁と天井の間、直角になった辺りで、カサカサ、いや、サラサラと自慢のロングヘアをなびかせていた。

私はちょうど数日前、ベッドの上に1ミリほどの小蜘蛛を見つけ、指先や手のひらに這わせ、愛おしく外へと逃して行ったところだった。
生身の生物との接点がない私の生活。久々の生との遭遇に、あらゆる命がいつもより尊く感じられた。虫も殺さぬ共生生活に、「このままいけばブッダにでもなれそう」だなんて、悟りを開いたような気持ちでいたところだったのだ。

ところがどうだろう。目の前に留学生のG君が現れると、私の心は面舵いっぱい、逆方向へと急旋回した。
いくら生物が愛おしくても、G君は違う。私はどうしてもG君のぬめっとした肌や、過剰に風になびく茶髪、そして彼の生まれ育ちを愛せなかった。
人はきっと私のことを責めるだろう。都合が良いと怒るだろう。それでもどうしても、私はこのG君というホームステイを歓迎することができなかった。

招かれざる客であるG君は、そのまま天井を這って私の方へと近づいてきた。ベッドのほぼ真上へとやって来ると、歩き疲れたのか足取りがふらつき始めた。
このままでは重力に従って、私のベッドの真上に転落してしまいそうだ。頼む、それだけはやめてくれ。何もそんな場所で止まらなくても良いのに。G君、頑張って!!

私はG君がこの家まで来た経路を想像して、大きく身震いした。この部屋の横にはトイレがある。手を洗う小さな洗面台もある。きっとG君はその辺りからやって来たに違いない。水の流れに逆らって、這い上がって来る様子が脳裏に浮かんだ。

情景だけを想像すれば、まるで『レ・ミゼラブル』のジャンバルジャンや、『ショーシャンクの空に』の脱獄シーンのようだ。どちらの映画もとてつもなく感動的で、私は胸が千切れるくらいに号泣した。
それなのに私は、G君の脱獄だけは受け入れることができなかった。私は残酷な、酷い女だ。彼をどうしても愛せなかった。もしも彼が、ひとっ風呂浴びてきてくれれば。どんなにか感じ方も違っただろう。

私はそっとベッドから体を起こし、部屋の隅にあるソファへと身を移した。G君がどうか、ベッドの上にだけは落ちませんように。もしそうなったとしても、決定的瞬間だけは見なくて済みますように。

あとはもう願うしかない。G君の自主性に任せて、私はソファで漫画を読むことにした。眼鏡も外して、視界の片隅にG君が映り込まないようにした。あの茶髪にはどうも人も身震いをさせる力がある。

漫画に没頭しながらも、私は定期的にG君の状況確認を欠かさなかった。G君は足をふらふらさせながらも、なんとかベッドの真上を通過して、ややギリギリ圏外、というあたりまで移動していた。

20分ほど時間が経ち、短編を2本読み終わった頃、ふとあちらに目をやると……

そこにG君はいなかった。次の瞬間、私は全身の毛がジブリ映画のように逆立つのを感じた。
慌てて立ち上がり、現場の方へと静かに静かに近づいていくと……

いた!
G君は1畳サイズのラグの上に乗っかっていた。クッションの山の死角に隠れて見えなかったのだ。この様子だと、どうやらベッド真上への落下は免れたらしい。

私はG君に「どうかもう、お帰りください……!」と、ただただ願った。まるで祟りにあった村人が山の神に祈るかのように。厄介な客が来た店の店主のように。

私だってG君に手出しはしたくなかった。黙ってトイレの方に帰ってくれれば、来た道を戻ってくれれば、窓から外へ逃げてくれれば……。この数十分間、ずっとそうなることを願ってきた。通路だって開けておいたのだ。
それなのに、G君はいつまでもラグの上から移動する素振りを見せなかった。間近にG君の体を直視すればするほど、私の心が、頭が、G君を拒絶していくのがわかった。気持ち悪い。無理だ。どう考えても我慢できない。

私は一旦トイレに避難した。動揺してなぜか用を足しながら、これからどうすればいいのか、考えをめぐらした。
こんな夜中に家族を起こすわけにはいかない。もう時計も2時を回っているだろう。絹代も羊三も疲れて眠っている。ここで騒げば彼らの眠りも台無しになってしまう。ホームステイの事ぐらい、自分で何とかしなければ。一人で何とかしなければ。

その時、私は視界に"ある物"の姿を捉えた。赤白青の配色の、昔懐かしいスプレー缶。ひんやりとした金属の佇まいが、深夜の廊下で発光しているように見えた。
こんなところにあっただなんて。掃除機の陰に隠れて気付かなかった。これは小さな奇跡だろうか。私が装備すべき道具は、廊下の片隅で息を潜めてこの私を待っていたのだ。

手を洗いながら意識を正し、私はいよいよそのスプレー缶に手を伸ばした。何が正しいかなんてわからない。私みたいな普通の人がブッダになれるわけもない。これからG君に行うことは、たった一つだった。

静まり返った部屋に戻ると、G君はまたしても姿を消していた。あたりがしんと、嫌な静寂に包まれた。

どこだ。ホームステイはどこへ行った!
私は興奮していた。自分の今の体では、長時間の戦いは厳しいだろう。早くしないとボトルを持つ手も上がらなくなってしまう。こちらだって我が身の健康をかけて戦っているのだ。だからG君よ、頼むからもう勘弁してくれ。

私は出来うる限り息を潜めて、そっと、G君がいたあたりを探索した。ラグの上、ゴミ箱の影、そして、まさか……

「ぃやあ!!」
咄嗟に剣道部の朝練くらいに太い声が出た。家族に聞こえなかっただろうか。私は咄嗟に息を殺した。

視線の先にはG君がいた。それも、私が毎日使っているクッションの上にだ。突然の登場に背筋がギュッとこわばった。私の大事なクッションになんてことを。
しかも、そのすぐ横には連なるようにしてベッドがある。G君がフローリングの方へと移動してくれるのを待とうか。いや、そんなことをしてるうちに予想外の動きをされるかもしれない。もしもベッドまで汚染されてしまったら、私は今晩どうして眠ればいいのだ。

もう我慢の限界だった。そうして、今しかないと思った。

G君、さよなら。

これが私とG君との攻防の顛末である。私は結局、突然のホームステイを受け入れられなかった。良いホストファミリーにもなれなかった。

どんなに生物を愛(いつく)しんだつもりになろうとも、生理的嫌悪感には勝てないことを私は学んだ。もちろん勝てる人もいるのだろう。その道の先にいるのがブッダなのだろう。
しかし、私が悟りを開くだなんて、300年は早かった。悟りというのは、人生を3回やってようやく見えてくるような道なのだ。どうして私は何かとすぐに「悟りが開けるかも」だなんて考えてしまうのだろう。実に愚かなことだと思った。

G君を殺めることに葛藤がなかったわけではない。だけど殺らないわけにはいかないのだ。そういうものなのだ。

昭和の頃の本を開くと、虫を叩いたりネズミを捕ったり、そういう描写が普通にあることに気が付いた。当時は住居に隙間が多く、生き物の侵入も多かったはずだ。
私はその時代を生きてはいないけど、きっと生き物と人間の距離が近く、やらねばやられる関係性にあったのだろうと思う。人々の暮らしや価値観が、昔と今とでは随分違っているのだ。

地球上の生き物は皆、多かれ少なかれ互いに殺し合って生きている。ところが人間は、何の因果か知能と理性を持ってしまった。時代が進めば進むほど、私たちは知識を蓄え、やがて理性が本能を凌駕するようになった。

そうして出来上がったのが、私のような人間だ。あれこれ考えては葛藤し、ゴキブリ1匹相手に延々と悩み続ける。人間社会と「それ以外」の生きる世界が遠くなり、切り離されることで、思考にがんじがらめになって身動きが取れなくなってしまったのが今の私だ。

この物語は、最初はジョークのつもりで書いていた。しかし、ゴキブリ退治の一連の動作をつぶさに描けば描くほど、客観的に見ると「なんて私ってむごいヤツなんだろう」と、殺る側の残虐性が高まっていくことに気が付いた。もしも何食わぬ顔で、漫画のたったひとコマに納めるみたいに、シュッとスプレーする描写だけ描いたなら、G君との攻防はさほど残虐な光景には見えないはずだ。

外に出れば何万もの蟻が列を成していて、夕暮れ時の川沿いでは羽虫が宙を舞っている。人間だってそうだ。何千何万もの人が、毎日あちこち歩き回って、遠くから見ればその姿は蟻の行進とそう大差もないだろう。

人間は体が大きい。一方、虫は小さい。人間が普通に生きていれば、小さな生き物を踏んでしまうことは普通にある。宙を舞う羽虫が、勝手に目や口に飛び込んでくることもある。私たちはその度に、一匹一匹、お経を読んで詫びることなどできないはずだ。

命の重さってなんだろう。図体や重量が大きい方が、それに比例してなんとなく大切なような気がしてしまう。実際は、虫一匹と牛一頭の命に差があるのかどうかといったら、よくわからない。牛は家畜として優れているから人間にとって大切にすべき要素があるし、食肉として食卓に上がってくれば、面と向かって命の重さを感じる。

私はブッダにはなれない。虫も殺さぬ人にはなれない。だけど少なくとも、毎日の食事をもっとありがたく、感謝していただくことはできる。牛肉のスライスにも、鮭の切り身にも、その向こうには一つ一つの命があった。それを想像することができる。

私はたまたま人間に生まれたから、本能よりも理性をもって食事をする。生き物同士が連鎖していく中で、私は自分がその頂点だなんて思わない。自分ではなんの食糧も作ることができないし、狩りもできない。野生に放っぽり出されたらすぐに死んでしまうだろう。

だからせめて、誰かが代わりに殺めてくれた命を大切にいただこう。

ホームステイとの対峙の末、私はそんなことを思ったのだった。

HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞