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やることなさすぎNASA杉くん

今に始まったことではないが、やることがない。まるでやることがなく、一個もやることがなく、「やることがない」が山のように「ある」という一見哲学的とも思える状況に陥っている。

もっとも、このように「やることがない」「つまらない」「たいくつだ」などと騒げるのは健康状態がわりと良い証拠であり、やることがないということにすらも感謝していかなければならない。

やることがなさすぎると、このように日常の記録にも伝えたいことがなくなり、ただただ「やることがない」というテーマひとつで言葉遊びをしてみたりして退屈を凌ぎ、文字数を稼ぎ、されど日銭は稼ぐに至らぬ状況だ。日銭を稼いだところで下手に稼ぎすぎると確定申告の必要が出てくるなどのデメリットも脳裏にチラつき、事務処理の負担を考えるとむしろ日銭は稼がない方が良いという結論すらも出つつある。

タイトルの「やることなさすぎNASA杉くん」はもちろん、某CMキャラクターの「意識高すぎ高杉くん」のオマージュであるが、高杉くんが人であるのに対して、NASA杉くんは植物である。NASA杉くんは広大なNASAの敷地に立つ一本杉で、忙しなく働くNASAの職員と自分を比べては「やることがない」と嘆いているキャラクターだ。

NASA杉くんは「どうせオレなんて毎日毎日やることもなく光合成してるだけだし…」と自虐的なことを言って周囲の植物を困らせているのだが、よくよく考えてみると、植物の世界でもこういう「呼吸してるだけ」系の自虐的というものは存在するのだろうか。これは人でいう「どうせオレなんて毎日毎日やることもなく息吸ってるだけで…世間の役に立つこともしてないし…ホント酸素の無駄遣いだわ…」的な発想と根本は同じであるが、これが植物になると、いやいやちょっと待ちたまえ、と言いたくなる。

人間視点からいうと、植物は光合成をしているところこそが特に凄いポイントであり、「私たちの吐いた二酸化炭素から酸素を作ってくれてマジありがとう…!」と感謝の対象になる。なのにこれが植物視点になると、途端に人間と同等の「呼吸してるだけ」系自虐の材料になってしまうのだから驚きである。NASA杉くん、自信持ってよ。あなたは光合成してるだけで世界の役に立ってるよ。誰よりかけがえのない存在だよ…!

NASA杉くん(架空)の存在を全肯定したところで分かったのは、私たち人間もまた、植物視点から見れば「オレたちの出した二酸化炭素から酸素を作ってくれてマジありがとう…!」と言われるくらいには価値のある存在なのかもしれない。植物と人間、持ちつ持たれつ。そんな共存の在り方をやることなさすぎNASA杉くん、そして「やることがない」という状況は教えてくれたのだった。

…なんの話をしているのでしょうか?

HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞