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セクシー老若介護|一糸まとわぬすっぽんぽん!全裸と私と、時々、オトン。

30歳にもなって、父親にお風呂に入れてもらっている。まさかこの歳になって衛生面でまで父親の世話になるとは思ってもみなかった。3歳の頃の私が聞いたら笑うであろう。もっとも、3歳の頃の私にそこまでの理解能力があるとは到底思えないが、3歳児というのはだいたい、むやみに泣いているかむやみに笑っているかのどちらかだ。なので、むやみに笑う確率としては五分五分だろう。泣くか笑うかのルーレットだなんて、感情の振り子がフルスイングすぎて怖くなってきた。怖い。私は、3歳の頃の私が怖い。もっとも、30歳にもなって父親にお風呂に入れてもらっている私の方が、よっぽど怖いのだが。

父親とのバスタイムは、バスロマンのCMには決して採用してもらえない、日陰者たちの戦いの場だ。これまで半年の間、母親にお風呂に入れてもらっていたが、母親まで病気になるという苦境のため敢え無く選手交代となった。母親とのバスタイムは、手術室の外科医とナースのような強固な連携プレーのもと成り立っていた。ところが、今回の父親との現場は、新人バイトと二人きりでピークタイムの居酒屋を回すような、悲惨なとっちらかりぶりである。「おい新人、そこのピッチャーを取ってくれ!」「店長、ピッチャーって何ですか!?」「ピッチャーっていうのは、ピッチャーだよ!」こんなやり取りとだいたい似たようなことが、我が家のバスルームでは毎日繰り返されているのだ。

おまけに、我が家の新人は74歳だ。「新人(74)」と書くとその異常性が際立つが、父親はゴリゴリの高齢者なのである。まさか30歳にもなって父親にお風呂に入れてもらうとは思ってもみなかったが、こんなに早く父が高齢者になってしまうだなんて、更に思ってもみなかった。3歳の頃はもちろんのこと、13歳の頃も思っていなかったし、23歳の頃も思っていなかった。もっとも、高校生の頃には既に父は還暦を迎えていたので、単純に私がぼーっとしていただけとも言える。人はすぐに年をとる。ぼーっとしていると時間は経過する一方だ。決して巻き戻せはしない。だから、ぼーっとしている場合ではない。

高齢者となった娘・息子が、高齢者となった父・母を介護する「老老介護」が話題だが、私たちのケースに名前を付けるとしたら、「老若介護」だ。スタンダードに若老介護をする心構えはできていたが、まさか老老介護も飛び越えて、老若介護をしてもらう側に回るだなんて。3歳の頃に戻れたら、私は私に言ってやりたい。今のうちに親の介護をしておきたまえ、と。もちろん、3歳児はむやみに泣くかむやみに笑うかのどちらかなので、親の介護などできるはずもないのだが。

ところで、当たり前ではあるが、たとえ肉親とはいえ、父親の前で全裸になるのは恥ずかしい。一糸まとわぬすっぽんぽん。一糸まとわぬすっぽんぽんなのだ。恥ずかしいに決まっている。脱衣所に入り、服を脱ぐときは、必ず全ての感情をシャットダウンすることに決めている。慣れれば慣れてしまうもので、新人(74)と仕事を始めて2週間ほど経った今は、恥ずかしさを殆ど感じなくなってきた。たとえ一糸まとわぬすっぽんぽんであろうとも、人は心に服を着ている。私の心を脱がせることなど、たとえ老若介護にだって出来はしないのだ。

「一糸まとわぬすっぽんぽん」という言葉の面白みに取り憑かれてしまったが、これからはバスタイムのたびにこのフレーズを思い出し、苦し紛れに笑ってみようと思う。

三十路きて
一糸まとわぬすっぽんぽん
これを喜劇と
人は呼ぶなり



※様々な事情によりヘルパーさんが頼めないため、このような事態(一糸まとわぬすっぽんぽん)に陥っています。決して趣味の一環ではございませんので、ご心配なきよう。

HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞