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「病気」という言葉の面白くなさでスベってる気がする 〜笑えるエッセイを書く難しさについて〜

病気というやつは本当に面白くない。これは闘病生活が退屈だとか、つまらないという意味ではなく、お笑い的な観点で見て面白くないという意味である。「病気」という言葉自体が面白くないのだ。

例えば「ひょうきん者」「おとぼけ野郎」などの楽しげな言葉は、それそのものが面白い。一方の病気はどうだ。「病気」。なんだこれは。お笑いを舐めているのか。画数も多いし、仰々しいし、見ただけで気が滅入る。どうして見ただけで気が滅入るのか、心理的な仕組みはよくわからないが、そんなことはもはやどうでもいい。

そもそも概念としての病気というのは、現象としても状況としても大変深刻なものであり、面白さ重視でそれに対応する言葉を生み出したわけでもないのだから、面白くないのも当然だ。しかしだ。そんなこと言ったって私は笑いに命を捧げると決めた女なのだからして、自分の中にこの面白さゼロの「病気」とやらが入り込んでくるのが許せないのだ。

例えば全く同じ状態を表すのでも、「病気」という言葉ではなく、「ポキョム」とか「ぷのま」とかいう呼び名だったら、まだ面白みもあるし許せたかもしれない。ところが現実はそうではなく、やたら画数の多い「病気」の野郎が、我が物顔で我々の体内に侵入してくるのである。

私は病気が許せない。私からユーモアを奪いやがって。だいたい、「病」という漢字も面白くない。読み方が「やまい」なのに、その中にご丁寧に「やまいだれ(疒)」まで入っている。丁寧というよりはもはやしつこいのだ。丁寧さはやりすぎるとしつこさに変わる。そんなことはビジネスマナー研修でも教えられているだろうに。まったく、面白くない。

「病気」の他にも、医学用語はたいてい面白くなく、そのせいで私は面白くない病名や病状をいかに面白く言い換えるかに心を砕いている。「視覚過敏」のことは「バルス」と呼び、「聴覚過敏」のことは「ジャイアンリサイタル」と呼んでいるが、なぜいちいち私が正式名称の面白くなさをフォローせねばならないのか。

病気の面白くなさのせいで、私はどんなに面白いエッセイを書いても今一つウケず、滑っている感じになって、もはや心まで病みそうである。私がお笑いBIG3とか、芸歴30年目の芸人とかだったらどんな病気も面白く言い換えることができるのだろうけど、私は笑いの分野においてまだ若手だ。

おまけに、病気に関しては体内を侵略されて2年しか経っていない。それなのにどうしてこんなに病気の面白くなさについて悩まなければならないのだ。ますます病気が許せなくなってきた。くそう。病気の野郎め。私を翻弄しやがって。

そういうわけで、今日は病気の面白くなさについて心ゆくままに書きなぐってみた。少し気が済んだ気がするし、この投稿で、病気の面白くなさに苦しめられている人が少しでも救われればいいと思う。そして、「病気」の面白くなさに文章を乗っ取られないよう、これからは病気のことを「ポキョム」と呼ぼうと思う。

ポキョムが面白いかどうかはまた別の問題である。

HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞