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しょうもない話|栄養

病人は栄養にうるさい。栄養に過剰なまでの執念を燃やす。とにかく自分の不調の原因を栄養に見出そうとする傾向にある。カロリーの取り過ぎだとか、栄養が足りていないとか、栄養のバランスが悪いとか、礼に始まり礼に終わるかのごとく、栄養に始まり栄養に終わる。

現在、奇病の影響で私の脳はとても性能が悪くなっている。壊れかけのWindows 2000のように処理速度が著しく低下し、小1時間書き物をしただけで頭の中のメモ帳は強制終了される。画面はフリーズし、ジジジジジ…と不安な音が鳴り、もうこうなると電源ボタンをダイレクトに押し込むしかなくなる。脳の強制終了だ。

電源が落ちた脳は意識が朦朧として使い物にならない。仕方がないので定番アイテムの氷嚢を額に乗せ、ただ静かにベッドに仰向けになる。瞳を閉じて大の字になっていると、次第に大地と一体になったような壮大な気分になってくる。大地に水平になるのは良いものだ。人は大地に水平になるために生まれてきたのかもしれない…

などと朦朧とした意識の中で考えていると、気が付けば眠りに落ちている。1〜2時間眠り、ウトウトとこちらの世界に戻ってくると、身体が激しく火照ってたまらなくなる。寝起きの身体は熱っぽい。NEO・き…熱っぽい、のである。「のである」と言う程のことでもないが。

こんな時にチョコモナカジャンボは良い。いきなりチョコモナカジャンボの話になったが、チョコモナカジャンボというやつは、冷たくて、栄養が豊富で、大きくて持ちやすく、手を汚さずに済み、寝たまま食べられるところが魅力である。ちなみにチョコモナカジャンボは全部で6行ある。これはモナカ部分に刻まれたマス目の話であるが、横方向にマス目が3列並んでいて、それが縦に6行あるので、6行×3列で、計18マスのブロックから構成されている。

私の食事は配給制のもとに成り立っている。朝食・昼食・夕食からおやつに至るまで、配給を担当してくれている母に部屋まで運んでもらっている。冷凍保存が必須のチョコモナカジャンボは部屋に常備できるわけもなく、当然これも配給制となる。私が「チョコモナカジャンボを」などと所望すると、母は台所の冷凍庫から取ってきてくれたチョコモナカジャンボを私の枕元でパキリと割り、何行分かごとに配給してくれるのである。ああチョコモナカジャンボ、チョコモナカジャンボはすべてを受け入れる。

先日、テレビのバラエティ番組(『マツコ・有吉 かりそめ天国』)を観ていると、10代の視聴者からの投稿で、「大人はなぜ味のない食べ物が好きなのか?」というものがあった。味のない食べ物とは、大根、白菜、もやしといったお出汁しみしみ系の食べ物のことである。味がないということは素材自体の色素も薄いということだから、栄養もさほどなさそうだ。

考えてみれば、子供の頃は味のない食べ物に対して、さほどの価値を見出していなかった。大人になった今は完全に持論を翻しており、味がないからこそ美味しいのだと思う。大根や白菜といった味ないない系の素材は、それ自体を食べるためというより、出汁を口内に入れるために存在しているのではないかとすら思えてくる。大根はお出汁の受け皿であり、スポンジなのだ。ああ、お大根様。すべてを受け止める度量の深さを感じる。

味がない食べ物でいうと、最近のヒットはこんにゃくだった。こんにゃくなどという食材は、栄養的な観点からいえばもはや霞のようなものであり、食べる意味などほとんどない。娯楽のような食品である。おまけにそれなりに歯ごたえがある。咀嚼に費やすエネルギー量は食品から得られるエネルギー量を遥に超えているだろう。食べているのに体内エネルギー的にはマイナスになる、まっこと不思議な食べ物なのだ。

幼い頃は、大人が作ったり店で注文したこんにゃく料理を尻目に、「こんなにも無意味なものを食べるなんてどうかしている」とすら思っていた。しかし気がつけば私も大人になり、味も栄養もないこんにゃくを貪り、「食べる意味がないもの」を食べる喜びを噛み締めていた。

「食べる意味がないもの」を食べるなんて、もしかするとこれは究極の娯楽ではないのか。栄養を無視した食生活。先を考えない漠然とした生き方。なぜだろう、無栄養な食生活に無鉄砲な魅力を感じて仕方がない。まるで夏の浜辺を走る若い男女の奔放さのようだ。湘南の若者たちの水着姿が目に浮かぶ。湘南に行ったことはないのだけれど。

ところで、この個人的ヒット作のこんにゃくには、予め切れ目が入れてあった。もちろん味が沁みやすいようにである。こんにゃく自体がひと口サイズで、そこに1ミリ単位で刻まれたマス目を数えてみると、縦に5行×横に4列で合計20マスだった。私はチョコモナカジャンボの6行を思い出し、5行という割り切れない数字はなんだか新鮮だな、と思った。どうしてこんにゃくは5行なんだろう、と思いながら、ひと切れ20マス分、まるごと口に頬張った。栄養のなさを噛み締めながら。ああこんにゃく、こんにゃくもまたすべてを受け入れる。

ここまで語ってきて気が付いたのだが、チョコモナカジャンボとこんにゃく、この二つには栄養という観点だけでは判断できない大きな魅力がある。それは、味が美味しいということだ。今この瞬間まで忘れていたが、食事の醍醐味とは味の美味しさなのだ。栄養でもマス目の数でもない。大切なのは味。味である。

我ながら今まで何を考えてきたんだろう。栄養の守護霊に取り憑かれていたのかもしれない。
これからはあまり栄養に捉われ過ぎず、食事(配給制)を楽しんでいきたいと思う。

(2018年5月25日執筆)


HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞