見出し画像

時計物語⑦ 「幸せな生き方 」

 
和歌山県。日本最大の半島である紀伊半島の西側に位置し、県南部には大規模な山地を有する。

 同県・田辺市で引きこもり支援を展開する「一般社団法人・Gifted Creative」の代表・峯上良平(30)も深い山々に囲まれた地域から仲間を受け入れた。10年間の引きこもりを経験した男性。しかし、男性はシェアハウスに移り住みわずか2週間で様々な人と会話を楽しむようになった。

 良平は「テレワークをしてもらっています。彼の担当は、テレワークのやり方を引きこもりの人に教える仕事。人に教えることで自尊心が上がる。教えるとなると勉強しますし。なにより彼は引きこもりの人の気持ちがわかる。とてもいい関係です」。居場所を得つつある男性は、コーヒーを片手に得意の理数系の知識を語る。老若男女、誰もが真摯に彼の話に耳を傾ける中、男性の声が弾み、笑みがこぼれる。

 良平の部屋には多くの専門書が並ぶ。専門知識を持つことは必須とし、良平は「それでもその知識をいったん、脇に置かないといけないときもあります」という。試行錯誤の連続。でも、生きづらいという本人を抜きに、支援策や就労移行などを決めてほしくない。うつ病、引きこもりの当事者だった良平の強い思いだ。「支援の関係、上も下もないです。幸せな生き方という本人にしかないものを伴走しながら、一緒にあーでもない、こうでもないと時に笑い、時に泣きながら歩いてくれる、僕らはそんな仲間が欲しいのです」

 シェアハウスでは、「おい、ここに洗濯もの置いとくぞ」と、愛想のない声がしたかと思うと、ギターの演奏が当然のように始まる。冬の田辺市の夕刻はまだ少し明るく、海風が吹き抜ける。良平は仲間の一人にいつも聞かれる。「峯上さん、今、幸せですか?」。良平は応える。「それなりに幸せ」。
 
半年前、良平が修理を請け負った時計は、デザインを東京都の支援施設の利用者が担当した。小ぶりなアンティークの時計は多くの人の手で息を吹き返した。 

2年前、一人の若者が田辺市で立ち上げた支援の波は県境を越えた。「自分一人の力では何もできませんから」。穏やかに語る良平。またこれからも、時計の針が刻まれる。その針が止まっても、また立ち上がればいい、誰かの力を借りて。(終わり)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?