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『死の講義』橋爪 大三郎 (著)  宗教について死について「中学生にも分かるように」しかし根源的網羅的に知識を整理しつつ、「自分の死」についてどう考えたらいいのか「自分で決める」ためのガイドをしてくれるものすごい本でした。国民的必読書だぞ。

『死の講義』 2020/9/30 橋爪 大三郎 (著)

Amazon内容紹介

現代の知の達人がコロナの時代に贈る必読書。
「死」とは何か。世界の大宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、ヒンドゥー教、仏教、儒教、神道など、それぞれの宗教は、人間は死んだらどうなるか、についてしっかりした考え方をもっている。本書は、現代の知の達人であり、宗教社会学の第一人者である著者が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明するコロナの時代の必読書。

Amazon内容紹介

Amazonにはいろんな人の推薦文もあるけど、僕もそう思ったのだけ引用する。

〈とんでもない本だった、あっというまに読んでしまったが長いこと手元に置いておいたほうがいいかもしれない。死のことを、数々の宗教を踏み台にして考える。うーむこの本からいろいろはじめられる。(病理医ヤンデル(@Dr_yandel) twitterより転載)。〉

この人、本の帯では〈語彙が消失するほどよかった。〉とも書いているが、同感である。

ここから僕の感想

 というか読んだきっかけというのが。先日、さとなおくん (佐藤 尚之くん 広告業界関係じゃない読者の方に紹介すると、 『ファンベース』などコミュニケーション論で有名なコミュニケーション・ディレクターで、そのほかにも若い頃から食通グルメ本などたくさん著作があり、震災の時には様々な支援団体を立ち上げたり、最近はアニサキスアレルギーになっての体験を語るなど啓蒙活動する人としても有名な、電通入社同期友人である。新入社員のとき大阪支社クリエーティブに一緒に配属されたときからの。彼はnoteもたくさん書いていて、特に聖書解説のやつは猛烈に面白い。下のシリーズ、僕が人生で読んだ聖書について書かれた読み物の中で一番分かりやすくて面白い。


  話は脱線したが、そのさとなおくんと久しぶりに長く話すことがあり、そのときに僕が「子育てもほぼ終わり、考えるのは『死』のことがほとんどなのだ」という話を彼にしたところ、この本と、もう一冊、死についての本を教えてくれたのだな。

 僕の感想を読まなくても、さとなおくんおすすめの本なら、ぜひ読もう、という人がたくさんいると思う。うん、それでいい。僕の感想を読まずとも、本屋かAmazonやら楽天ブックやらで即注文するのが良い。すぐ読むことおすすめである。本を買わないという人は図書館へGO。でも買って損は絶対にない。手元に持っておくべき本である。死について宗教についての本だが、いや全然、それ以上のことをいろいろと教えてくれるスゴイ本でした。「中学生にも分かるように、分かりやすく書きます」と「はじめに」で著者も書いているので、心配ありません。ということで、ここにリンクを貼ってしまうか。

 あとね「いや別にまだ死について、そんなに考える必要を感じていない。ので、僕は、今は、いいです」という人も、「宗教について別に、ぼくは、いいです」みたいな人にも、この本は実は、おすすめなのである。それは僕の長い感想の最後の方に、その理由は書いておいた。知りたい人は、最後まで読んでね。

ここからほんとに僕の感想

 あのね、まず章立て、まとめ方がすばらしく分かりやすい。これだけ膨大、網羅的な範囲のことを、ここまで簡潔にまとめるその構想力にぶったまげる。大切なことをすこしも飛ばさず解説してくれている。

1章「死ぬということ」、死について考えること、語ることがなぜ難しいかの解説である。実は本書の中でここがいちばん難しい。言葉は平易なのだが、哲学的な難しいことを、やっぱり語らざるを得ないのである。ここは、わからなくても、飛ばし気味に読んでもいいように思う、初めは。次の章から、具体的に宗教それぞれについて考えていくところが抜群に面白いから。全部読み終わってから、この初めの章に帰ってきてもいいように思う。

2章「一神教は死をこうして考える」で、「イスラム教とキリスト教とユダヤ教」をまとめて、さくさくとその本質とそれぞれの違いをおそろしく簡潔に解説してくれます。

3章は「インドの文明は、死をこう考える」で、もともとの輪廻と多神教、バラモン教からヒンドゥー教、さらにその根源にある「因果論」を明解に解説した後、それに対する合理的批判者としてのブッダのもともとの教え(スーパー合理主義である)、それを弟子たちがどうコネくりまわしたかをサクサクと整理解説していく。その手際の見事さと分かりやすさたるや。

 4章は「中国文明は、死をこう考える」で、あんまり宗教っぽくない儒教と、それの裏補完バージョン道教をこれまた極めて明快に整理解説してくれる。これがね、なんで共産主義が中国にだけ残ったか(今、残っている共産主義の国って気がつくとキューバ北朝鮮という例外的な国を除くと、中国だけでしょ)なのかも、なんかすごく納得できてしまうのだな。

 5章は「日本人は、死をこうして考える」で、もうほんとうに縄文時代から現代までの宗教の変遷を、神話の成り立ちから、仏教の様々な枝分かれとそれぞれの特徴と、国学あたりからの神道と仏教の関係。例えばね、そんだけ仏教宗派がいろいろ違う教義、教えなのに、別の宗派のお葬式に出ても、だいたい同じ段取りだから誰も困らないようになっているのはどういう歴史的経緯からなのか、みたいなことも納得の説明がされているのだな。
 それから、明治以降の政治と宗教、例えば「靖国神社に、戦争で戦死した兵士が英霊として祀られていると同時に、兵士の遺族家族が戦死者のことを仏教でお葬式していることの2本立てが受け入れられてきた経緯」みたいなことまで、日本人の死生観と宗教についての大事なところはひとつも漏らしていないのに、しかしほんとうにクリアに解説していくのだな。これはもう奇跡的神技としか言いようがない。日本の仏教にはいままでほとんど興味が無かったので、すごく勉強になりました。

 そして6章「死んだらどうなるか、自分で考える」で、ここまで世界の宗教と日本の宗教の歴史から普通の人が漠然と考えて生きている「死」にまつわるいろいろの現状からを全部きれいに整理した上で、どれでもいいけど、「いろいろあるね」で終わらせずに、宗教をひとつ、選んで生きるのがいいよ。なんで選んだほうがいいかもちゃんと分かりやすく解説してくれる。
 しかも、いままで分析してきたそれぞれ宗教のエッセンスを、2行にまとめて、見開きに10個選択しやすいようにまとめてくれるのである。すごい。これ、ほんとにすごい。

ここからは、つらつらと自分語りの長話になる。

 僕が人生の中でまじめに宗教について考えたのは、中学生の頃、なんでだか、エホバの証人の人が毎週家に来て、エホバの証人的な聖書の読み方を勉強した期間だった。この本の「ユダヤ教キリスト教イスラム教」のところは、なので非常によく分かったというか、正しい。聖書には死後の世界は書かれていない。一神教では人は死んで、みんな例外なく復活するのである。日本人が「キリスト教でも人は死んだら天国に行くんでしょう」みたいなことを考える、そんなことは一神教は教えていないのである。ちょいと引用する。キリスト教の説明ね。

〈ロンドンで1800年に生まれたジョンを例にしてみる。
(創造)神が、ジョンを造ろうと思う

無機材料から、ジョンを造る(神は設計図を持っている)

(復活)神が、ジョンを復活させようと思う

無機材料から、ジョンを造る(創造の時の設計図をまた使う)(中略)
ジョンが知らないうちに、ジョンの精神のバックアップが刻々神に送信されている。そのバックアップデータがあれば、ジョンはすぐ再現できるだろう。
(中略)まとめると、こうである。
 人間はひとり残らず復活する。復活は、死んだあと、「もう一回だけ」「自分に」生まれることである。復活したら、自分が復活した、と自覚できる。意識が持続する。人格が持続する。責任が持続する。ジョンは、いちど造られたら、もうこの世界から消えてなくなることはない、のだ。

本書P55~57

 そう、聖書にはこういうふうに書かれていて、エホバの証人の教えもこの通りであり、天国だの死後の世界だのは一切言わないのである。この地上に生きて復活するのだな。

 ちなみに僕がエホバの証人への入信を拒否したのは、「復活した側のジョンから見れば、意識も記憶も人格も連続しているが、一旦、死んだ方のジョンから見て、復活したジョンと人格、記憶の連続性が担保されているかどうかは不可知である。保証されない。死んだ側のジョンは、死んだらそれっきりかもしれない。」という、哲学的疑問が解けなかったからである。SF的に考えて、クローン肉体複数保管しておいて、今生きている奴が事故で死んじゃったりしたしたときに、記憶を随時バックアップしたのをインストールした別個体、というのを考えればわかりやすいと思う。14歳の僕は、まあ、そういうことを考えてしまったわけである。

 この本、この調子で、どの宗教についても、「本来、こういう教え」「弟子がこう解釈を付け加えたり変更したりした」でも本質はこういうこと。というのをずんずんと書いていくので、もう分かりやすいことこの上ない。

 ブッダのもともとの教えはどうだったかのパートもすごい。引用します。

まず、ゴータマはほんとは出家したり宗教について考えたりしちゃいけないクシャトリアなのに、出家したのである。引用するね。

〈ゴータマのまわりに弟子たちが集まった。初期の仏教は、つぎのようだった。
a ゴータマは真理を覚った。ゴータマは仏(ブッダ)となった。
b ゴータマは、輪廻などないと思っている。
c 弟子たちは、輪廻を待たず、現世で真理を覚るため修行している
d ゴータマは死んで、存在しなくなった
e 弟子たちは覚っても覚らなくても死んで存在しなくなる
ヒンドゥー教の輪廻の考え方を否定するのが、初期仏教である。
 輪廻を否定すると、ほぼ唯物論になる。
 仏教は、霊魂などないと考える。霊魂とは、身体がなくても存在できるその人間の精神活動や同一性のこと。身体が滅び霊魂もないのなら、人間は、死んだあと、完全に存在しなくなる。

本書p124

 わはははは。この潔さ。その後、弟子がいろいろこねくり回し、小乗だ大乗だと発展し、中国に伝わり、日本に伝わり、いろいろな死後の世界のことだの菩薩だの阿弥陀仏だの死んで何になるだのというのが付け加えられたが、初期仏教のこの潔さ。死んだらなくなるだけである。

 そして誤解なきように言っておくと、もともと開祖がこうだったから、後から弟子や後世の人発展したものが間違っているとか意味がないとか、そういうことは著者は言っていない。それぞれの教義の発展には意味があり、それを信じることの意味がそれぞれに異なりある。そのことを丹念に解説していく。

 その上で、そうやっていくつものものを並列にして満足する「相対主義」のことも徹底的に批判する。引用する。

 この本では、さまざまな宗教をとりあげてきた。一神教、インドの宗教、仏教…。横並びになっている。
 いくつかのものを、横並びにするのが、「相対主義」である。
 相対主義はものわかりがよい。でも、問題を解決しない。問題は、自分の死である。自分は、世界にひとりしかいない。「このわたし」だ。「このわたし」が死ぬ。どう死ぬか。それに対して、あれもありますね、これもありますね、では話にならない。どれかひとつを選択しなければならない。
 どれかひとつを選択しないとだめですよ、が本書の言いたいことだ。
 どれかひとつを選択するから、ほかの選択肢がよく理解できますよ、とも言いたい。
(中略)
 マルクス主義が退潮し、いまはポストモダンが主流だ。でも、世の中は元気がない。ポストモダンの本質は、相対主義だからだ。
 相対主義は人の足を引っ張る。あなたの生き方には何の根拠もありませんよ・高みに立って、偉そうにそう言う。
 でも、相対主義にこそ、何の根拠もない。相対主義からは、何も生まれない。まじめに生きることの価値を、復権しよう。
(中略)
 個人が、自分の生き方を選択する。自分なりの価値や意味で、自分の生き方を基礎づける。それが相対主義でできるはずはない。
 相対主義は知識である。あれもこれも、ありますね。知っていますとも。知識なら学校で習うこともできる。情報として、ネットで探すこともできる。
 でも、自分の生き方を選択するのは、知識ではない。知識を超えたことがらである。
 それなら、昔ながらの宗教の方が、まだ参考になる。宗教は、問題が、選択であることを、わかっているからだ。

本書P253~255

引用、おしまい。というわけでね。

 まだ死について考えるのは早い、宗教にも別に興味はない、そういう人にも、この本は、すごくおすすめなのだな。相対主義の罠にはまっている人(僕がまさにそう)に、そこを抜け出すヒントをくれるのである。


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