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納得のいくまで人に聞く、まずやってみる 神戸大学 日出間 るり 先生

毛利先生にご紹介いただき日出間先生にお話しをお聞きしました。

毛利先生のお話しはこちら

複雑流体のレオロジー研究

—今、どんな研究をされていますか。

日出間先生:専門用語で言うと、複雑流体のレオロジーに関する研究をしています。
複雑流体というのは、簡単に言うと不思議な流れ方をする溶液のことです。高分子や界面活性剤など、柔らかくて大きい分子のことをソフトマターというのですが、このソフトマターが溶けている溶液は、複雑流体になります。

私は、溶液内でソフトマターがどのように変形すると、溶液全体の流れ方がどう変わるのかを研究しています。分子サイズの変化が、目に見えるサイズの溶液の流れ方に影響を与えるところが面白いところです。

—ところで、不思議な流れ方というのは、具体的にどういうことですか。

日出間先生:えっと、例えば、高分子は分子量が大きく、ヒモのように長い分子ですがこの分子を0.001%程度の濃度で水に溶かすと、その溶液は乱流になりにくくなります。

例えば、水道の蛇口を少しひねると、スーッと水が出てくると思います。あれはスムーズな流れ、ということで層流。もう少し蛇口をひねると、だんだんバシャバシャ出てきて、乱れた感じになると思います。あれが、乱流。水道の蛇口をひねったぐらいで、水はすぐに乱流になります。

ここにもし高分子が入っていたとすると、同じ程度に蛇口をひねっても、なかなか乱流にならずに、なったとしても乱れ方が少ないです。こういう効果が、高分子とか、ヒモ状の長いミセルを作ることができる界面活性剤を入れた溶液などで起きます。家庭科で習うミセルは、球状にしかならないので、またちょっと違うんですけど。

—高分子や界面活性剤を入れると、水を乱れにくくできる、ということはわかりました。でも、それってどんなときに役に立っていますか?

日出間先生:一言で言うと、省エネルギーです。例えば、同じ量の溶液(私たちは、流体と呼んでいますが)をパイプに流して運ぶとき、それが乱れるか、乱れないかで、流体とパイプ表面の摩擦ロスがかなり違います。乱れていると摩擦ロスが大きくなって、同じ力で流しても、ロスが大きいので少量しか流れません。このため、同じ量の流体を運ぶには、流すための力を大きくしないといけないので、エネルギーがたくさん必要になる、という。

流体を運ぶという場面は、原油などの資源を運ぶ、化学プラントなどの生産現場、はたまた、ビルの空調など、色々なところに関連しているので、ここでの省エネはかなり重要です。最近だとSDGsで省エネだ、と言われていますが、それにも関連しています。

あと、もう少し基礎研究っぽい話をすると、0.001%程度の濃度なのに、水とはかなり違う流れ方をする流体というのは、どうやって観察して、解析するのか、というところも難しいんです。

とても低濃度で、止まっているときには水とほとんど変わらないのに、動いた時だけ急に変わるわけなので。どうやって、動かしながら測定する?どうやってそれを定量化する?というのは、けっこう困る問題です。

こういう不思議な流れ方をする流体というのは、他にも、様々なところにあるので、色々な研究が進んでいます。言いそびれていましたが、私たちの体も、不思議な流体にあふれています。

例えば、涙、です。涙の中には高分子が入っているんですよ。瞼を閉じるくらいのちょうど良い力が加わることで、程よく動いてくれて、かつ開けているときは、動かないように目に留まっていてくれています。

そうでないと、ドライアイになっちゃう。涙だけでなく、血液も、関節に入っている液体も、複雑流体です。血液が細い血管で詰まらないのも、関節がスムーズに動くのも、複雑流体の不思議な流れ方のおかげです。

—そう考えると、めちゃめちゃすごいですね。考えたことなかったですね~確かに~。

日出間先生:すごいですよね。まあ、色々な例を挙げているだけで、私が全部研究しているわけではないんですけどね(笑)

あと、今までお話ししたような低濃度の溶液だけでなく、粒子が入っているような溶液も複雑流体になります。もっと高濃度のものだと、例えば、ファンデーションやクリーム。ファンデーションは、塗っている間はスムーズに流れて(動いて)、薄く伸びてくれます。でも、手を離したらちゃんとそこに留まっていてくれます。

よく考えると、流れるというのか、止まってくれて流れないというのか、ファンデーションの性質を一言でいうのは難しいです。また、手を動かすスピードによって、流れ方が変わってしまうとか、さらに複雑な…。こういう微妙な性質を持っているものを研究するのが、最初に紹介したレオロジーという研究分野になります。

ファンデーションの例で少し気が付いたかもしれませんが、日常生活で、複雑流体とか、レオロジーとかが関わっている製品はすごくたくさんあります。化粧水のとろっとした感じとかもそうだし、もう多すぎるのでやめますね(笑)

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日出間先生にインタビューをしてきました。

求めていたものを探して色々な先生に相談に

—あれ?日出間先生、農学部、出身・・・ですよね?

日出間先生:はい、工学部で働いているとよく疑問に思われるのですが、私は東京農工大学の農学部出身です。

—なぜそうなったんでしょうか?

日出間先生:高校生の時、大学の学部選びをどうしようかなと考えていて。化学は好きだったのですが、職業と直結はさせていなくて、ただぼんやりと。高校生ってだいたい化学好きなんですよ(笑)

—確かにです(笑)

日出間先生:あと、その時、環境問題がすごく話題になっていて。私は外国が好きだし、もし、環境問題を勉強したら、外国にも行けそうだし、実験室にとじこもる感じじゃなさそうだし。そんな科学者になったら、楽しそうだなって思いました。

そんなわけで、化学を使って環境問題を勉強できるところ、という学科を探していたら、東京農工大学の農学部の中に、そのような学科があることを知り、受験することにしました(笑)

でも、実際入学して授業を受けてみて、環境問題って分析はできるけど、その先どうするかの解決がとても難しいと思いました。環境問題と一口に言っても、対象はものすごく広いし、私は何を目指せばいいのか、わからなくなりました。

大学に入ったら、なんでも、真実が色々わかると思っていたんですけど、全然わからなかったという…。(笑)

やや疑問を感じつつも、前期は、大学生になった気楽さと、サークルの新鮮さで楽しく遊んですごしました。でも、後期になったら、なんか、私の求めていたものではないなという思いが強くなり、色々な先生に疑問を相談しに行くようになりました。

—へ~なかなかそんな子いないですよね。

日出間先生:そうですよね、いないですよね。1年生の後期とか2年生の前期に、話を聞いてくれそうな先生の研究室に行って、先生と色々なお話をしました。

そのうちに、この先生好きだなとか、話しにくいなとか、だんだんと先生の雰囲気がわかってきました。先生からすると、かなり面倒くさい、むかつく学生だったと思います(笑)。勝手に人を判断する、という。

そんなとき、見た目はやや怖いですが、授業でのコメントがとてもキレキレで面白い先生が居て。その先生と話していたら、「君みたいな人は、僕の研究室ではなく、隣の研究室に行った方が良いよ」と言うんです。

その「隣の研究室」の牛木秀治先生と、初めて会ったのは2年生の後期の化学実験の時でした。ちょうど運よく実験が失敗したので(笑)、その質問を口実に牛木先生を訪問しました。そしたら、先生の話が面白く、気づいたら毎日夕方遊びに行くようになっていました。

そんなこんなで、恩師である牛木先生の研究室に配属されたのが大学3年生秋でした。研究室に入ってからは、遊んでばかりいられないので、けっこう大変でしたね。恩師は、完全な放任主義でしたし、今の大学の先生みたいに指導も無いので(笑)。そこで高分子や流体の研究を始めました。

ちなみに、私に「隣の研究室」を教えてくれた恩人の先生は、毛利先生の元上司の先生でしたし、研究室の先輩には橋本先生が居ました。そう考えると、世の中、けっこう狭いです。

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日出間先生の実験の様子の一部

修士課程での達成感がなく、より真実を求めてドクターへ

—修士課程に行くか行かないか、ドクター行くか行かないかは迷われなかったのですか?

日出間先生:変な研究室で、先輩がほとんどみんなドクター行っていたので、そういうものかと思って、あまり迷いは無かったですね。

—へえ~珍しいですね~

日出間先生:あとは、修士の時までで、自分が何か達成できた感じが全然なかったんです。大学に入ったら真実が分かると思って入ったのに何にもわかってない、と思いました。

全然何も出来ていないし、このまま社会に出てどうする?と思っていました。しかもドクター行ったら、フランスに留学させてくれるので、私も留学したいな~とか思って、考えないで行っちゃいました(笑)

—それで、フランス留学はできたんですか?

日出間先生:しました(笑)

しかし、ドクターの間は色々と苦労が多かったです。もう、できないことだらけで(笑)とりあえず留学して、留学の間もあまり進まなかった。ほんとダメ学生でした(笑)

留学先のフランスで様々な分野の優秀な方に出会えた

日出間先生:フランスの高等師範学校に行ったんですけど、そこは、様々な国の優秀な人たちが集まっている場所でした。数学オリンピックに出た国費留学生とか。

そこでアジア、アフリカ、中東、ヨーロッパ、など本当に様々な国の優秀な人に出会ったことが、私の人生では大きな意味があったな、と思っています。私は遊んでばかりのダメ学生だったので、自分ももっと頑張らないとダメだなと思いましたし、出身の国によって色々な考え方があるということを知ることができて、本当に新鮮でした。
 
日本に帰ってきてからは、頑張りました。その時に、何でも、やるかやらないかだな、と決意しました。遅い覚悟でしたが、とにかく決意して論文を書きました。やっと投稿できたのがドクター3年間終わってからでした(笑)。

投稿したときは嬉しかったですが、リジェクトになったらどうなるのか、かなり不安でした。特に流体系の論文って査読がめちゃめちゃ遅いんですよね。結果として、フランスに一年行っている間も含めて1年半留年してしまっています(笑)

—おもしろいです~

友達の就職を手伝っていたら自分の就職先が見つかった

日出間先生:論文投稿した後、自分がどうなるかわからないのに、留学で出会った日本語の話せない友達が日本で就職したいということで就職先を探すのを手伝ってあげていました。今から考えるとバカみたいなお人好しな行動してましたね(笑)。ジェイレックインってサイトを知ってますか?

—科学者やポスドクが登録されているサイトですよね?

日出間先生:そうです。そのサイトに出ている日本語の情報を教えてあげる、というようなお手伝いをしていました。そうこうするうちに、ひょんなことから、自分自身の就職先が山形大学に決まりました。

結局、博士課程卒業前に働きはじめ、働いている間に論文がアクセプトされて、無事に卒業もできました。働き始めは、まだ博士も取得していなかったので、色々とかなり不安が大きかったです。

そして、その後2012年の4月で神戸大に来ました。

—なるほどです。ポストが空いて、募集したのでしょうか。

すぐに行動に移す、まわりが助けてくれる

日出間先生:神戸大に来たのは、人に公募情報を教えていただいたからです。山形大学のポスドクも任期付きだし、将来どうしようかな、と思っていた時に、知り合いの先生が、神戸大の公募を教えてくれたんです。教えられるがままに応募して、、、(笑)

困っている時には助けてくれる人がいて、、、ほんと運のいい人生を生きてます(笑)

—僕も、そうで。教師やめてどうしようかと思った時に、手を差し伸べてくれる夫婦がいて今があります。僕もラッキーな人生です(笑)

日出間先生: はい、本当ににありがたかったです。

—手を差し伸べていただけた時に、素直に聞けるかどうか、一回やれるかどうかが大きな境目だと思っています。僕も同じように、やったらいいなと思ってアドバイスしても、やらない方もいますもんね。

そこで素直にまずやってくれた人には、絶対失敗させたくない、というような、より成功させるために手助けする流れがあると思っています。

日出間先生:なるほど~。私の場合は、困っている時に助けてくれる方がいて、また色々な場所で上司にも恵まれ、本当に色々な人のおかげです。

—助けられる力も才能です。今のは自分にも言い聞かせています(笑)

プレゼンの仕方を覚えたことで未来が変わった

—今までで一番印象的なエピソードは何ですか?

日出間先生:えっと、なんだろう。うーん、働き始めてからの話…。えっと…、ポスドクの時、全然自信がなかったんです。今後、研究どうやっていく?研究資金はどうやって獲得していく?とか、本当に色々。

でもまず、研究を続けるには、研究資金が必要だし、そもそも自分自身のポジションを得るには、とにかく科研費を獲得しないといけないと思いました。

そのためには、分野も変わったし、学会で自分の研究を知ってもらわないといけない、何かしら賞をとらないといけないな、と思っていました。

そんな時に、日本機械学会の年次大会で発表の機会があり優秀講演発表賞にも応募しました。その学会での発表は、とにかく、この賞をとらない限り科研費はもらえないし、未来も無い、と思ってかなり頑張って準備して発表しました。

意気込みが伝わったみたいで(笑)、運よく受賞できました。そこからたくさんの先生に覚えてもらう機会が増えて、とても嬉しかったです。ポスドクの時の上司の先生には、良い発表の仕方というのも色々教えていただきました。

神戸大に来てからは、また分野が少し変わったので、とにかく海外で知られるように、と思って頑張ってきました。海外の有名な先生から、招待講演して欲しい、と呼ばれるようになったときはとても嬉しかったです。

—すごい!それはどうやって呼ばれるようになったのですか?

日出間先生:同じ分野の海外の学会に参加するようにして、色々な先生と知り合いになりました。地道ですが、人のつながりがまた新しい人とのつながりになるので。それですかね。

誰かの心をゆさぶる研究がしたい

—最後、これから挑戦したいことはどんなことでしょう。

日出間先生:自分が納得できる研究をしたいな、と思っています。最初の話に戻るんですけど、恩師が、「研究者の道は長い、まずスタート地点に立つまでに10年、その後自分らしい研究ができるようになるまでに10年かかる」と言っていたんですよ。

そろそろ自分らしい研究をしていないといけないんですけど、未だに悩み中です。有名な先生が書いている文章や論文って、本当に心を揺さぶるんです。将来いつか、私もできればいいな、と思っています。

自分の可能性を信じてまずは挑戦してほしい

—若手研究者にも一言いただきたいです。

日出間先生:女子学生の話を聞いていると、私は〇〇に向いていないから、とよく聞きます。例えば、あなたは理系に向いていない、あなたは研究者に向いてない、のような適正チェックがあまり良くないと思っています(笑)

適正チェックや思い込みで、自分で自分の可能性を潰すのが本当にもったいないと思うんです。すぐに答えを求めすぎている感じがします。少しでも興味があるとか、嫌いじゃないと思うなら、やってみてほしいんです。
 
例えば、研究の面白さは、かなり長いことわからないんですよ(笑)。時々面白いかも、と思うことはあっても、毎日、面白い!と思いながらやっているわけではないんです。むしろ大変な事の方が多く、その中に時々、面白いかなって思うことが起きるんです。

根気よくって言うと、今の人たちにはウケないかもしれないですけど、、、すぐに答えを求めるな!と言いたいです。

また、理系の人は、頭の中まで全部理系で埋め尽くされている、と思っている中学生もたまにいますが、これもよくある誤解です。私、趣味はノンフィクション読書で、社会学、歴史、経済学、などの文系の本も好きです。理系のノンフィクションも好きですけどね。自分の研究だけではなくて、広く世の中も見れるようになった方がいいかなと思っています。

—前回の先生も同じように世界史好きでした。古代を思い耽りながら、現代に繋がってる、って思うのがとても好きだそうです。

日出間先生:ですよね、わかります。とにかく、もしやりたかったら、自分の可能性を信じてやってみてほしいです。親御さんは心配なので、そんなことでやっていけるのか、と色々言ってくると思うのですが、生徒、学生の皆さんは、あまり人の言うことを聞きすぎなくていいと思います(笑)

自分がやりたいことは、自分で決めれば大丈夫。だから、私のこのインタビューも、話半分で聞いてください(笑)


日出間先生ありがとうございました。

先輩研究者の皆様の悩んだこと、どうやって乗り越えたか、成功の裏側などをどんどん発信していきます。
次回もお楽しみにしていてください。


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