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認知症と勘違いされる前頭側頭葉変性症という病

義母は、運動神経抜群でゴルフやテニスが得意で、音大卒でもあるためピアノを弾くこと、聴くことが大好きな方でした。
10年くらい前に狭窄症の手術をしてからは、背骨にボルトが入っているため違和感を感じてか運動はジムでスイミング、時々散歩などをして過ごしていました。
家では、ピアノを弾いたりクラッシックのコンサートなどに出向いたりと楽しんでいました。

ある日、言葉が出づらいことをきっかけに受診。脳の検査をしても脳は萎縮していないので、認知症ではなく「前頭側頭葉変性症」であることがわかりました。

難病であり、特に薬もなく、言語聴覚士と一緒にリハビリが始まりました。
このリハビリに行くための病院が遠い。もともと自宅がある場所が電車も通っていなく、バスかタクシー利用でないと不便な場所なので仕方がないことではあるのですが、病院までバスを2回乗り継ぎ、病院へ。これを月2回義父とともに行かれていました。義父も付き添いが大変そうでした。

義母自身は、新聞紙を隅から隅まで毎日2回音読するなど、努力をしていてほんとすごいなと感心していましたが、それも長くは続かず。

ついには言語聴覚士の先生のところへ行っても、何の進歩もないからと、中断してしまいました。中断したことが良かったとは思えませんが、高齢の2人が遠い病院に通うのはほんとに大変なことでした。

私の見立てですが、義母はフレイルで狭窄症の手術から体幹が弱く歩くのもふらふらで、つまずくことが多くなっていたので、心配でもありました。

その後、徐々に身体的機能が落ちていき、良くつまずき転倒することが増えました。言語聴覚士のところへリハビリに行ってから1年も経たないうちの出来事です。

そして、ついに転んでしまい右腕を骨折。
腕の骨折なので、歩くことはできるので、近くを散歩することはしていましたが転倒しそうで危なっかしい状況でした。

骨折が治った後は、転倒防止のためにノルディックウォーク用のポールを持ちながら歩くことになりました。この時の状況からすると、高齢者用の杖を持って欲しい気持ちでいっぱいでしたが、運動神経抜群だった義母のプライドが許さなかったのでしょう。
でもポール2本でもふらふら、やはりまた転倒し、2回目の腕を骨折。

転倒は、前頭側頭葉変性症という難病のせいもあるかもしれませんが、あきらかなフレイル。義母には、以前から食事をしっかりとってほしく、食べるように家族みんなが言っていましたが、ほんとに言うことを聞かない。
「食べることは生きることなんだよ。フレイル予防になるんだよ。」と言い続けても、食事を提供しても、受け止めてもらえないのは不甲斐ない気持ちでいっぱいでした。

言葉がだんだん発せられなくなってくると、恥ずかしそうに笑ったり、苦笑いしたりで何を思っているのか受け取りづらくなってきました。

そんなある日、話すことがままならないのに義母から私に電話がありました。出てみると、知らない男性からの電話でした。体が凍り付くほどドキッとしました。何か義母にあったのではないかと。
「今、小学校の門にいるのですが、ずっと座られており困っていそうなので、声をかけたところ、お答えにならず、携帯を出されたので電話をさせていただきました。親族の方でしょうか?」
「はい、そうです。ご心配とご迷惑をおかけして申し訳ございません。」
電話を夫に代わってもらい、「大丈夫なので、家に帰るように伝えていただけますか?」と回答。

たぶん、その親切な方は義母が認知症で徘徊していると勘違いされたのではないかと思います。

後からわかった話ですが、義母が小学校へ行った理由は、書道教室に行こうとしていたのですが、1時間も早く到着してしまったようでした。

認知症と勘違いされても仕方ない病だと思います。表情で区別できるようにも思いましたが、いつも一緒にいないと区別がつかないと思います。
と、思い出して書いてみましたが、あの時は、まだ表情で区別ができたな。

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