見出し画像

家族関係を示す必要から言語=シンボルが始まった。 ーテレンス・ディーコン著『ヒトはいかにして人となったか』より

テレンス・ディーコン著『ヒトはいかにして人となったか』を引き続き読んでいる。

この本は、われわれホモ・サピエンスの「言語」の元になったであろう「シンボル」を扱う「脳」の仕組みがどのように進化したのかを問う。

ホモ・サピエンスもまたある日突然今日のような姿で現れたわけではなく、少しづつ進化して、今のような姿になっている。

その長い時間を通じて、人間を現在の人間のあり方へと形成する圧力になった環境、進化の「選択圧」は何であったのか?

それを考察した一冊である。

突然変異で脳に言語モジュールができた…のではない

ディーコンの説では、言語の能力を、突然変異で脳内に生じた特別な神経機構によって始まるとは考えない。はじめに脳に何かの一撃があって、その上に言語の世界が開闢した、とは考えないのである。

言語は、脳の中に言語を専門に扱いうる部位が突然変異で進化したことをきっかけに生まれたのではない。というのがこの本の主張である。

言語を喋ったり、聞いて理解したり、書いたり読んだりすることは、脳の様々な部分が連携して動くことでなされている。脳の部分部分を見れば、その成り立ちは例えばチンパンジーのような遠い親戚と大きく異なったものではない。脳の中に特殊な部位があるというよりも、他の類縁の動物と同じような中身でありながら、その部分部分のつながり方、ある部分が他の部分を圧倒できるかどうか、といったことが言語を操る力を支えている。

では言語に適した特異な脳神経のつながり方が、世代を超えて選択されていくように、私たちの多数の祖先たちに圧力をかけたモノとはなにか?

ディーコン氏は、それを言語(およびそれに先立つシンボル)である、とする。

共進化、選択圧

鍵になるのは「共進化」という概念である。

脳と言語は共進化した二つのシステムである。互いが互いの進化をドライブする。

言語は、人間の脳、特に人間の生まれたばかりの子どもの脳の特性に適合した形へと進化したシステムである。またそうして進化していく言語のシステムをよりうまく動かせる神経のつながり方の特長をもった個体が、他の個体よりもほんの僅かに多くの子孫を残せたこと、それが今の私たちの脳のシステムをもたらした。

進化ということを、ランダムな突然変異”だけ”で説明するのではなく、たまたま生じた突然変異のうち何を世代から世代へ伝え続けるのかにバイアスをかける「選択圧」の方も見ていく、というのがディーコンの話の進め方である。

そして、現在の言語という代物と、その言語をベビーのうちに学習できてしまう脳が共進化の関係にあると論じる。

言語と脳。しばしば先に脳があり、後から言語が(その脳によって)作られたと考えられるが、その仮説は否定される。

ディーコン説では、言語によって、言語という強烈な選択圧にさらされることで脳の進化は方向付けられる。

また言語システム自体も、脳の特性、脳が「できること」という問答無用の選択圧にさらされることで、より人のベビーの学習の特性に適合した形に進化していく、とされる。

イコン、インデックス、記号

ディーコン氏はこの脳と言語の共進化の仮説を紡いでいくうえで、パースの記号論のイコン、インデックス、シンボル、という3つの記号過程の区別を手がかりにする。

言語は人間に特有のものであるが、犬や猫を見れば明らかであるように、人間以外の動物もまた様々な記号通信を用いている。

鳴き声だったり、匂いだったり身体の姿勢や、色や、形だったり、表情だったり、巣の出来栄えだったりを「記号」にして、異性にアピールしたり、敵を威嚇したり、仲間との絆を確かめたりする。犬や猫あたりであれば、そうした鳴き声や記号を介して私たち人間とある程度の「意思疎通」をすることもできる。

しかし、長年人間と一緒に暮らした犬のような動物たちでさえ、人間のようにはコトバを喋らない。全てを悟ったような「目」でこちらを見つめてくることはあるが、しかしそれでも、理路整然と喋りだすことはない。

動物の記号通信と人間の言葉。何かが決定的に違うのである。これをディーコンは、イコン、インデックス、シンボルの区別で説明する。動物の記号通信はイコン的であり、インデックス的である。そして人間の言語はシンボルである、と。

イコンとは?

なにか互いに区別できる二つの現象が、「同じである」と解釈されるとき、その二つの現象をイコン的な関係にあると言う

例えば、猫にとってのネズミ。あのネズミとこのネズミ。世界中の多数のネズミには一匹として「同じ」ものはいない。一匹一匹、異なる個性である。しかし、あのネズミもこのネズミも「同じ」である。それは同じような形、同じようなサイズ、同じような鳴き声で、同じような動きをする。無数のネズミが同じようなたぐいであることが、それらの間にイコン的な関係をつくる。

インデックスとは?

インデックスというのは、イコン同士の隣接関係である。互いに異なる二つのイコンが、いつも一緒に、いつも同じ順序で、出現する。

例えば、雑木林の地面に積もった落ち葉がガサガサという音を立てる時、その落ち葉の下には野ネズミの巣がある、という関係。

ガサガサという音は、ネズミの姿形とはなんの関係もないが、ネズミが巣穴から出ようとすると「いつも」そういう音がする、というパターンがある。ここで、ガサガサという音は、ネズミの存在のインデックスである。

例えば、特定の「鳴き声」で天敵の接近を仲間に教えることは、人間以外の動物でもよくやっている。ここで鳴き声が天敵のインデックスである。

あるいはいろいろな動物に対して「りんごの絵」を選ぶと果物のりんごがもらえる、とい訓練を施すこともできる。ここでりんごの絵が、りんごのインデックスになっている。

人間の言語においても、あのネズミ様の小動物を、いつも「ねずみ」という発音で呼ぶとき、「ねずみ」という音が、あの小動物のインデックスになっている、と考えられる。

シンボルとは

とはいえ人間の言語は、インデックス以上のものである。

人間の言語はシンボルの体系である。

シンボルは、複数のインデックス同士を互いに相手と同じもの、似ているものだと解釈することで生じる

記号(注:シンボルのこと)は世界の事物を直接に指すのではなく、間接に他の記号を指すことによって指すわけであるから、その実体は組み合わせであり、そのフェラレンス・パワーは他の記号との体制の中で一つの決まった位置を採ることに依る。それを最初に獲得し、使用するには組み合わせ分析が必要である。(テレンス・ディーコン『ヒトはいかにして人となったか』p.102)

例えば「ネズミ」を「ネコ」と対立関係に置き、この関係を「食べられる/食べる」の対立関係と重ね合わせること。

あるいは「ネズミ」を「人間」と対立関係に置き、この関係を「地下の生き物/地上の生き物」の対立関係と重ねたり、「異界の存在/人界の存在」の対立関係と重ねたり、「夢と魔法のファンタジー/日常」の対立関係と重ねたりすること。

こういう具合に、記号同士の対立関係を重ねることで、ネズミの「意味」を解釈していくとき、記号は互いにシンボルになっている。

人類の遠い祖先を、わざわざ言葉(の元になるシンボルによる通信)を使わざるを得ない状況へ追い込んだ選択圧とは?

さて、イコン、インデックス、シンボルの区別をしたところで、ディーコンの仮説が一気に展開する。

後の言語の進化のきっかけのベースとなるのが「シンボル」の能力である。

シンボル能力それ自体は何らかの突然変異をきっかけにして生まれたものかもしれないが、それが強く選択され、シンボル能力をもった個体がシンボル能力を持たない個体に比べて、より多くの子孫を残せるようになった状況、環境とはなにか??

それが問題である。

この問いへの仮設的な解答として、ディーコンが提示する話がおもしろい。

ここから先は

2,541字

¥ 150

この記事が参加している募集

#推薦図書

42,385件

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 いただいたサポートは、次なる読書のため、文献の購入にあてさせていただきます。