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政治への注文・多様性のなかの希望―日米リーダー交代からの気づき(3)(柳澤協二氏)

【道しるべより特別寄稿のご紹介】
柳澤協二元内閣官房副長官補/防衛研究所所長による新連載『日米リーダー交代からの気づき』。2回目では、格差を助長する経済政策への警鐘がならされました。
https://note.com/guidepost_ge/n/n2e2a0bc6a66b
完結編の3回目では現政権の危機管理のあり方を総括の上、「多様性」を活力とする日本政治に希望を見出します。

 菅義偉政権への支持率が急落しています。感染防止と経済の両立は、難題です。だれが首相であっても苦労すると思いますが、「GoTo が感染拡大につながったエビデンスがないからこの政策を続ける」との言い方は間違いです。感染症や気候変動など、「因果関係が十分証明されていないけれども結果が深刻だとわかっているリスク」に対応する基本原則は、「有害の証明がないから政策を続ける」のではなく、「無害と証明されるまでは政策を中断する」ことだからです。

gotoトラベル事業の概要

[画像]コロナ禍での経済政策の議論を呼んだGoToトラベル事業の概要資料。(出典:国土交通省/観光庁 GoToトラベル事業関連情報「GoToトラベル事業の概要(2020/11/12更新)」https://www.mlit.go.jp/kankocho/content/001358665.pdf )


 政治は、ときに科学的なリスクを承知したうえで、リスキーな政策を打たなければなりません。それが国民に理解されるためには、科学的リスクを国民に告知し、共有しなければなりません。医療の世界でいう「インフォームド・コンセント」です。病状を正しく認識し、投薬の副作用や手術のリスクを納得したうえで、患者にとってより良い選択の機会を与える。コロナ禍の国民生活も同じことです。それが、後により厳しい政策に転換する場合に国民の理解を得る基盤となります。それを怠るから、安倍政権のコロナ対応の誤りを繰り返すことになるのです。福島第一原発事故のときの菅直人政権でも、同じようなことがありました。

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 いずれにせよ、日本は今大変なことになっています。「コロナのせいで」そうなったというより、「コロナによって大変さが分かった」というのが私の実感です。つまり、一方で危機における日本社会の脆弱性があり、他方でそれを乗り切る国民の活力が見えないのです。いわば、もともとリスク体質があるところに、さらに基礎代謝レベルも低下している状態です。

 「リスク体質としての効率優先」で作られてきた医療態勢は、崩壊の危機にあります。コロナに対応できるということは、コロナがないときには余剰な状態であることです。それは、経済的効率性を超えた社会的必要性の問題として、国が取り組まなければなりません。もちろんカネはかかりますが、例えば、毎年1000億円の支出で数10兆円の経済損失を防げるなら、それは経済的にも合理性があります。コロナで人の移動や営業を停止したのは、医療体制の崩壊を防ぐことが大きな目的でした。

 一方、それで感染症に対して脆弱でない社会ができたとしても、国民の活力の問題は解決しません。活力が生まれない原因は、多くの人々が「やりがい」を感じられる仕事、努力が正当に評価される仕事に恵まれていないからだと思います。「働き方改革」の名のもとに非正規雇用が拡大して正規雇用との格差がある状況、シングル・マザーなど弱い立場にある人々が真っ先に雇い止めにあうような状況では、生活保護で命をつないだとしても、「やりがい」を感じるはずはありません。「一億総活躍」は結構ですが、それは、「一億の低所得者を作る」ことではなく、「一億のやりがいをもつ人々」を作ることだと思います。

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 政府は、コロナで流行ったIT化やスマホ決済の普及を通じて新たな成長のタネにしたいようで、そこに重点的に補助金を投下しようとしています。しかし、そのような業種選別では、上流にある一部企業にカネが流れるだけで下流まで潤わないことはアベノミクスによって既に証明されました。成長や競争力を政策目標にする固定観念から脱却して、生活保障と同一労働同一賃金、最低賃金の底上げによる家計の活性化に舵を切る方がよほど斬新だと思います。

 安易な消費税ではなく、富裕税(法人を含むストックへの課税)を考えることも必要です。額に汗した富ではなく、異次元金融緩和のマネー・ゲームで蓄積された富は社会に還元されるべきだからです。

 現代は夜警国家の時代ではありません。行政サービスへのニーズが広がった結果、「大きな政府」が避けられません。それでも、民間への余計な介入をしないことが政府本来の姿だと思います。国民の最低所得(ベーシック・インカム)と医療を保証し、あとは国民の活力に任せる。戦後の日本は、そうやって焼け跡から復興してきました。人々には、貧しい中にも活気がありました。他人に迷惑をかけない限り、やりたいことをやりたいようにやらせれば、全体として明るい社会になります。市場原理が崩壊した今、政府が下手に介入するより国民を信じて1からやり直すという選択肢を持った政治家が出てきてもいいはずです。多分、アナーキストと言われるでしょうが、そういう政治家が待望されているのだと思います。

 活力のキー・ワードは多様性です。その観点から言って、日本学術会議の任命拒否 はまずいでしょう。政権批判が気に入らないのはわかりますが、自由な言論や研究には、夢と社会を活性化する力があると思います。というより、そういう批判の存在を守るために政府がある。価値の多様性、人の生き方の多様性のなかに、収縮し沈滞する日本をよみがえらせる希望があるのではないでしょうか。

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【執筆者紹介】
柳澤協二(やなぎさわ・きょうじ)
東京大学法学部卒。防衛庁(当時)に入庁し、運用局長、防衛研究所所長などを経て、2004年から09年まで内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)。現在、国際地政学研究所理事長。

柳澤理事長 論考掲載写真7分の1サイズ


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