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BORN TO RUN "ダブルアッシュ"


 ※※※【今回の話を読む前に】※※※

 ここからの直接の続きになります。↓ 流石にこちらを読まないと意味不明だと思われます。

 関連作↓ こちらは読まなくても話は通じます。



 信じられない光景。
 信じ難い状況。
 進藤アレクは、自分に起きた事件を理解することが出来なかった。
 まず、自分が突然、闇討ちされたこと。
 闇討ちとは言え、自分が簡単に倒されたこと。
 闇討ちの相手が、おそらく噂の「辻斬り」であること。
 あっさりとヒールホールドを極められ、膝が破壊寸前だったこと。
 ここまでで、すでに理解の範疇を超えている。自分の強さに多少の自負はあった。噂に聞く「辻斬り」が自分の所に来たらどう闘うか、想像しなかった訳ではない。
 だが、レスリングというマイナー競技にまで、辻斬りの魔手が及ぶと真剣に考えていた訳ではなかった。
 確かに、想像の範囲内ではあっただろう。だが、自分に起きるとは思ってもいない。体感で言えば、「宝くじに一等当選する」方が、よりリアルに身近に想像していた。
 そして、こんな風に戦えば、なんて考えがどれほど甘かったか。勝負は開始の合図もなく、何の心構えもないまま引き倒され、脚を守ろうとした結果、脚を粉砕されかけている。
 勝てない。負ける。いや、壊される。
 そう思った瞬間、辻斬りの技が緩んだ。
 辻斬りの顔が跳ね上がっていた。
 謎の乱入者が、辻斬りの顔面をサッカーボールみたいに蹴り上げていたのだ。
 まるで、漫画みたいに顎が空を仰ぐ。脳震盪どころか、失神、いや、首の骨が折れているかも知れない強烈な一撃。
 ヒールホールドが流れる水のようにほどかれる。辻斬りは意識を刈られたのか、空を仰いだまま後方へ倒れかかった。だが、違う。
 辻斬りへの蹴りは芯を捉えていなかった。一瞬でアレクに対する技をするりと解き、力なく後方へ倒れこむようにしただけだ。ダメージがないなんて事はないだろうが、見た目ほど派手に決まった訳ではない。
 アレクが辻斬りの首を心配しかかった瞬間、流れ落ちる水のように、辻斬りはアレクからその身体を離し、とんでもない速度でその身を起き上がらせ、陸上選手よりも乱入者と向かい合うように低く構える。
 乱入者の存在にまるで気付かなかったアレクだが、辻斬りは仕掛けた側だ。アレクより先にその存在に気付いていたに違いない。だが、その存在が何をするかまでは想像できなかった。
 喧嘩を止めに入るかも知れない。警察を呼ぶかも知れない。だが、それまでにはアレクの膝を壊せるだろう。その慢心があった。
 だがよもや、一番最初に取った行動が、躊躇なく顔面に蹴りである。辻斬りが手練れでなくば、あるいはもう少し反応が遅ければ、確実に意識を刈り取られていたであろう蹴り。
 辻斬りの男が、もうワンステップだけ、その場を飛び退いて低く構える。獲物に飛びかかる猫のように小さく身体を縮めて。
 短距離選手のクラウチングにも似た、低い構え。無論、乱入に対し、余裕を持って構えられなかった事は事実だ。僅かながら脳震盪を起こしている。立ち上がれない訳ではない。立ち上がれない訳ではないが、立てば三半規管が揺れている事を悟られかねないのだ。相手に弱みを見せる訳にはいかない。何しろ、まるで相手の正体が知れない状態だ。
 いつでもタックルに入れる姿勢と、場合によっては走って逃げられる態勢を選択に入れている。
 乱入者の肉体は大きい。身長は180cmを超えているだろう。体重もおそらく90kgを超えている。暗がりではシルエットしか見えないが、日本人離れした「分厚さ」だ。一見するとボディビルダーのような、惚れ惚れする体格。
 だが、シルエットでも、それが無理に鍛え上げた肉体でも、ただ恵まれた遺伝子に任せた肉体でもない事は一瞬でわかる。
 優秀な遺伝子を最大限発揮できるように鍛え上げた肉体だ。
 辻斬りの脳に危険信号が走る。勝てるのか? この男に。フィジカル面ではほぼ全て勝てない。数字上なら、身長、体重、筋力、おそらくその全てに負ける。
 いや、数字上の話なら、そんな相手は何人も倒してきた。勝てない道理はない。だが、本能が敵の危険性を察知している。
 浅いとは言え、先ほど食らった蹴り。正直に言えば、「怖い」蹴りではない。本当にサッカーボールを蹴るように、無造作に走ってきて、そのまま蹴った。
 技をかけている最中でなければ食らう事はなかったと断言できる。決して巧い蹴りではない。だが、浅いとは言え、その感触は尋常ではなかった。まともにやり合えば、ガードの上からでもダメージを食う。それぐらいの威力と体格差なのだ。
 それに、一番の脅威は、いきなり駆け寄って無造作に蹴った精神構造である。あの肉体を持っていて、自分の蹴りの威力を知らない訳はない。一般人が不意に食らえば首が折れても不思議はないだろう。それを平気で放てる精神性。
 今まで戦ってきた相手の中でも、稀なタイプである。厄介だ。とにかく今は距離を取って相手の出方を伺いつつ、脳震盪から復帰しなければ。
 今まで、何人もの武術家を襲ってきた。こちらの下調べは済ませてある。一方で相手はこちらの事を知らない。何者かどんな技を使うかも知れないのだ。
 それがこれ程に恐ろしい事なのかと、乱入者の存在に苦笑いする。それはそれで面白い。ワンサイドゲームはつまらないのだから。
 そんな辻斬りの逡巡を他所に、進藤アレクは自分の膝を確かめる。声も出せないほどの激痛だったが、動く。膝は壊されていない。この程度なら、まだ何とかただ痛いだけで済む。ギリギリのところで、骨も肉も筋も壊れていない。
 アレクは後ずさりながら立ち上がる。
 「大丈夫っスか?」
 とてつもなく大きいシルエットの乱入者が、ハキハキと、何処か間の抜けた声で問う。
 「はい。あの、、、」
 乱入者は何者か。辻斬りは何者か。聞きたい事が沢山ありすぎて、言葉に詰まる。
 「動けますか? 進藤サン。ジブンがあいつの動きを止めますんで、そしたら、腕でも脚でもいいんで、一本折れます?」
 乱入者が平然と、そう言った。言葉の意味が理解できない。何故、乱入者はアレクを知っている?
 「ジブン、アイツより弱いかも知れませんけど、体格的には勝ってるんで、顔面さえ守ってれば一撃で沈められる事はないと思うんスよ。組み合ったって、腕の太さと腕力で、30秒ぐらいは耐えられると思うんス。それなら、抑えてる間に進藤サンが折ってくれれば、勝てます」
 乱入者が、平然と喋る。いや、アレクにも言っている意味は理解できる。だが、まるで意識が追いついて来ない。この乱入者は何を言ってるんだ?
 だが、身体は動く。確かに、突然の出来事で、頭は混乱している。お陰で恐怖はあまり感じていない。そして、身体は動くのだ。それに、この何処か間の抜けた巨漢の声は、アレクを信用させるに足りる、何かがあった。
 「わかりました」
 アレクは咄嗟に応える。
 辻斬りの脳裏に、罠という言葉が浮かぶ。乱入者はアレクを知っている。何なら、この闇討ちさえ察知されていたかも知れない。
 ならばここは、撤退が正解だろう。三半規管が回復するには充分な時間は稼げた。
 辻斬りは背を向け、走り出した。撤退は計算外だ。今逃げるのは色々と拙い。だが、念の為の退路は確保してある。広い大学のキャンパスだ。一度姿を隠せば、そう簡単には見つかるまい。回収は後回しだ。
 「追いかけま…」
 何故か興奮気味になって、跡を追おうとするアレクを、乱入者が制した。
 「アレ、多分、噂になってる『辻斬り』っス。捕まえるのは警察に任せた方がいいっス。それに、警察呼ぶ前に、やる事がありますし」
 乱入者はそう言って、辻斬りが座っていたベンチの方を調べ出す。何かを探すように、色んな場所を念入りに。この男は何をしてる? そして、何者なのだ?
 「あの辻斬りサン、襲撃の様子をビデオに撮影してるんスよ。、、、何人か分が、、、ネットにアップされてて、、、。今回も多分、何処かにカメラが、、、」
 探しながら、疑問に答える乱入者。
 「ああ、なるほど、そういう、、、。それで、その、ご自分は?」
 乱入者の一人称につられたのか、アレクは「ご自分」の正体を問う。すると、乱入者は慌ててアレクの方に向き直り、
 「あっ、失礼しました! ジブン、進藤選手のファンで、氷室彦郎って言います! ジブンも、その、レスリングじゃないんですが! 格闘技を始めた所でして!」
 バツが悪そうに笑顔を向ける氷室。まるでくだらない悪戯を叱られている少年のような、はにかんだ笑顔。その笑顔に、見覚えがあった。
 「あれ、、、? その、、、お客さん?」
 アレクが週一でアルバイトしている居酒屋に、今夜飲みに来ていた客である。異様な体格だけで目を引くのに、いちいち食事を美味そうに食う。ハンバーグだカレーだと目を輝かせる子供のような笑顔に見覚えがあったのだ。
 「覚えててもらえたんですか! 光栄です! ジブン、2ヶ月ぐらい前に、あの店で初めて進藤選手をお見掛けしたんですよ! 進藤選手、キッチン側だったんで、そうなのかどうなのか自信なくて」
 「あ、うん」

 捲し立てる氷室に、気圧されるアレク。割と厳めしい顔立ちに似合わない笑顔と饒舌だ。
 「それで、何回か通って、ホールの西尾さん? って言うんですか。ショートの。あのコ可愛いですよね。あのコにちょっと親しくして貰って。いや、多分、客だからだとは思うんですけど」
 相槌を打つアレク。答えを返す暇がない。
 「で。進藤サンだって、確証を得まして。あ、コレ言っちゃいけないヤツかな? 個人情報漏洩とかになりますかね? スミマセン。西尾さんを怒らないでやってくださいね。ジブンが無理に聞き出した感じなんで。それで、今日はシフトに入ってるって聞いたんで、何とかお会い出来ないかな、と思ってたんスよ。でも、厨房におられたんで、お声掛けするタイミングが掴めなくって。お仕事中ですし。それで、店の前で待ってたんです」
 店が終わったのは1時間前である。それをこの巨漢がずっと待っていた姿を想像すると、辻斬りより不審だ。
 「そしたらジブンと同じく、店の様子を伺ってる男がいまして。覚えてるんですけど、店にいた客です。烏龍茶とツマミ何品かで閉店時間近くまで居座ってたヤツだったんス。どうにも何か胡散臭いな、と思って、そいつの様子を伺ってたんですよ」
 すると、男はしばらく店の様子を観察してから店を離れ、コンビニで缶ビールを購入した。妙だ。店にいた時はアルコールを注文していないのに、わざわざコンビニでビール。
 不審に思い、男の跡を尾行すると、大学に入り、ビールを飲む様子もなく、このベンチの付近で何かを確かめている。動きからすると、画角を確かめている様子だ。
 そこでふと、噂になっている「辻斬り」の存在を思い出したのだ。これは狙われているのがアレクではないかと察したのである。
 慌てて店の方に戻ると、アレクが同僚と店を出る所で、またしても声を掛け損なった。それで不審者のようにアレクの後ろをついて回る形になったのだ。
 アレクが同僚と別れた時点でどうすべきか悩んだ。こんな深夜に突然後ろから声を掛けたら、それこそ自分が「辻斬り」を疑われるかも知れない。どうやって声を掛けるか。それに、あの男が「辻斬り」だという確証もない。そうこうしている内に、辻斬りが仕掛けてきた。
 氷室は、それで迷わずに乱入したという訳である。
 「そんな感じなんで、多分、何処かにカメラがあると思うんス。それを警察に突き出せば、、、。あ、それで申し遅れてアレなんですけど、進藤サン、あ、進藤選手、後で握手して貰えたり、、、それと、サインとか、頂けたりしないスか?」
 突然の出来事に、アレクの感情が追いつかない。最初の驚愕と混乱が、次第に自分が襲われたという憤慨や恐怖に塗り替えられようとしていた。だが、それが染まってしまう前に氷室の振る舞いを見ていると、笑いさえ込み上げてくる。
 「そんなのでよかったら」
 アレクが苦笑いを浮かべる。しかし、この男、何処かに見覚えがある。今日、客として見た以外に、何処かで見覚えがある。
 氷室彦郎。ヒムロ ヒコロウ。進藤アレクという名前ほどではないが、少し珍しい名前だ。
 待て。よく思い出せ。屈託のない笑顔の所為で記憶が結びつかなかった。写真には厳つい表情で写っていた。ヒムロ・アンリ・ヒコロウ。 Himuro Henry Hikorou。フランス人の父と、日本人の母を持つ。両親ともにアスリートだ。
 思い出した。陸上十種競技の怪物。陸上のフィジカル・モンスター。アスレチック・トリプルH。人間界のサラブレッド。
 オリンピック出場確実と目されながら、突如の総合格闘技界転向が話題になった、あの男ではないのか。確かに「格闘技を始めたところ」の言葉に間違いはない。
 「あの、氷室さん。氷室さんは、その陸上の、そのトリプルHって呼ばれたり、、、」
 アレクの言葉に、氷室が慌てて向き直る。
 「知っててくださったんスか!? 光栄です!! いや、嬉しいな。ジブンが進藤選手に知ってて貰えたなんて」
 そこには謙遜のかけらもない、本心からの恐縮であろう笑顔。だが、話題性や知名度で言えば、おそらく氷室の方が上である。
 「あ。ただ、ジブン、トリプルエイチって呼ばれ方が好きじゃなくて」
 「あ。すみません」

 すぐさま謝るアレクに、氷室が慌てて訂正する。
 「いえ! いいんです! 何でも! 名前とか! 別に大して気にはしてませんから! ただ、なんか3倍エッチって、なんか、その、嫌じゃないですか?」
 「まあ、確かに」

 思わず笑いそうになるのを、唇を噛んで堪える。気にするタマか。気にするトコロはそこか。だが、自分自身も名前でからかわれた記憶はある。笑ってはいけない。
 「なんで、総合に転向して、リングネームというか、ミドルネーム的なのをダブルアッシュにしてもらったんス」
 氷室が歯を剥いて、笑ってみせた。
 氷室・"ダブルアッシュ"・彦郎。アッシュはHのフランス語読みだ。Henryがアンリなのもフランス語である。だが、フランス語に馴染みのない日本人に、アンリはAなのである。
 そこで、トリプルではなく、氷室彦郎のダブルに。エイチやエッチの響きでは強そうに見えないのでアッシュ。
 トリプルもフランス語読みならトリーペル、ダブルもドゥービレだ。だが、そこは語感を優先して「ダブルアッシュ」
 そのリングネームが決まった経緯を口数多く喋る氷室。
 「ちょっと強そうだし、なんかカッコいいんで、結構気に入ってるん、、、」
 氷室の声が途絶える。
 「ありました!」
 辻斬りが仕掛けたであろうカメラが設置されていたのは、キャンパス内の樹木の品種を示すプレートだった。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。