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侍魂


 皆さん、こんにちは。健です。嘘です。木賃もくちんふくよし(芸名)です。
 侍魂ってサイトあったよね。(インターネット老人会)

 さて。本日は侍のスピリッツについてお話したいと思います。
 サムライスピリッツ。ネオジオです。100MEGAショックです。

 とは言っても、覇王丸の大斬りが強すぎなゲームの話ではありません。ゲーム「侍スピリッツ」では、


 武士道とは 死ぬことと見つけたり
 修羅道とは倒すことと見つけたり
 我、悪鬼羅刹となりて
 目の前の敵すべてを斬る!!


 というオープニング口上が流れますが、この元ネタは、山本常朝の口述を「葉隠」としてまとめた武士としての心得である。
 この中の「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という一節はあまりにも有名で、様々な派生やパロディを生んだ。
 この「葉隠」は、福沢諭吉の「学問のすゝめ」と同じく、一節のみが有名になり、本質を理解していない者や、曲解を利用する者で溢れたと言えるだろう。「学問のすゝめ」の序文は、

 天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり。(中略)
 されども今廣く此人間世界を見渡すにかしこき人ありおろかなる人あり貧しきもあり冨めるもあり貴人もあり下人もありて其有様雲と坭との相違あるに似たるは何ぞや。

つまり、雑に現代語訳にすると、

 神は人間を平等に作ったから、生まれながらにして上も下もないとか言ってるらしい。
 しかし、だったらなんで頭のいい奴と馬鹿、金持ちと貧乏人がいるの? おかしくね?

 そして、

 されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。

 つまり、

 賢い奴とバカな奴の違いは、学んだか学んでないかという事だ。

 だから「学問のすゝめ」なのだ。勉強しろ。その差を埋めるのは勉強しかねぇんだよ!って言ってるのである。けっして「人の平等」を謳うものではない。むしろ真逆。
 これは「葉隠」も同じで、「武士だったら、主君のために死んで来い!」という解釈にされていたり、そう謳って戦争に行かせたりしたが、本題はそこではない。

 毎日、今日を死ぬ気で生きなさい。今日死ぬとなったら、後悔のない選択肢をつかめるでしょう? って内容なのである。
 今日が最後の日だと知ったら、やりたかった事をやるしかない。自分に、周囲に恥じぬ生き方と死に方を選ぶでしょう? その生き方こそが、武士道における、サムライの「死に方」である、と言うものなのだ。
 ただ主君のために死ね、と言うのはむしろ真逆の解釈なのである。

 ちなみに、ワタクシが敬愛する小説家、隆慶一郎先生の「死ぬことと見つけたり(上・下)」という小説があり、


 (´・Д・)」 かなり面白い。


 葉隠を下敷きにした生き様を描く力作なのだが、完結を目前にして、


 (´・Д・)」 作者急死。


 隆先生的に、死中に生を見出せたのか、気になって仕方ありません。
 愚かなファンの1人としては、やはり完結を見たかったと思う以外にない。
 そう。愚かで矮小な凡人であるワタクシは、わかったつもりでいるだけで、葉隠の精神など表層を齧っただけに過ぎなく、隆先生の思いなど知る由もないのである。

 ワタクシ自身は長生きに興味はないし、別にいつ死んでもいいという諦観の強い方なのだが、しかし、それは葉隠の心得とは真逆なのだ。


 例えば、武士たるものいつも褌(ふんどし)は真白であれ、という考えがある。


 死んだ時に汚れた褌を締めているなんてみっともない姿を晒すな、と言うものだ。
 いつも常に死を覚悟せよ、という精神の現れである。

 だが、ワタクシのような消極的な人間は、死んでから色んな恥が晒されようと、もう死んでいるのだから知りようもない、関係ないと諦めている。
 つまり、死後に色んな恥部が白日の下に晒されようと「どうでもいい」のだ。

 例えば、遺品整理をしている際、なんかすげー特殊性癖のエロ本が出てくるとする。
 これは遺族にとってあまり好ましい話ではない。場合によっては迷惑なのである。だから、そう言ったものはいつ死んでも大丈夫なように上手に隠しておくとか、逐次処分するとかしておく事が、褌を真白にしておく、という事なのだ。


 そんなある時、ワタクシは現代を生きる、現代の侍に出会った。

 その侍は、原動機付自転車、いわゆる原付スクーターを主な移動手段にしているのだが、スクーターはメットイン(ヘルメットが座席部下に収納できるタイプ)で、その中に、


 (´°Д°)」 ちょっと
 人様にお見せできない
 相当エグい性癖の
 エロ本を数冊
 収納している。


 (;´°Д°)」 なんで…?


 その問いに、現代を生きる侍は答えた。


 ( ´ ▽ ` ) 事故ったら、
 こんなエロ本が
 道路にぶちまけられるから、

 絶対に事故らない、
 安全運転と
 細心の注意を促すためです!


 そう答える侍の横顔は、何か清々しいものを感じさせた。性癖はアレだけど。
 そう。彼こそは現代に生きる侍なのだ。性癖はアレだけど。

 そんな侍である彼に出会って以降、ワタクシはワタクシなりに武士道とは何かを考えた。
 散り際に「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」と舞って死んだと言われる信長と等しい歳を迎えてしまったワタクシである。
 なお、この幸若舞の「敦盛」も誤解されており、人間の50年など、下天(下天は「天下」即ち人の世と言う意味ではなく、三界つまり天国の最下層「下天」を意味する)では1日の出来事である、と言う意味で、


 戦国時代当時の人間が50歳ぐらいで寿命を迎えた、という意味ではない。


 なお、この「下天」も表記ぶれがあり、「外天(げてん)」や「化天(けてん)」とする説がある。下天の寿命は900万年とされるが、化天なら23億年。
 要するに人間の五十年なんて天国では一瞬の夢まぼろしであると言う話だ。滅せぬもののあるべきか、と言う部分も「倒せぬ敵などいない!」という意味ではなく、「生まれて来たからには、死なねえ奴なんていねーよ」という意味だ。

 ワタクシはもう信長と同じ時間を生きてしまった。当時の年齢の数え方や、生年や没年が正しいのかどうかはわからないが、もはやそれぐらいの時を経てしまったのだ。


 武士道とは程遠い非才の凡人であるワタクシが思う侍のスピリッツとは何か?


 ある人が言った。


 「日本人には
 勇気がないから、
 武士道があるんだよ」


 と、言われてみればその通りだ。そう。


 「欧州人は卑怯だから、
 騎士道精神が尊ばれる」



 アメリカ人はセコいから、「フェアプレー精神」が謳われる。
 男尊女卑だから「レディ・ファースト」なのだ。


 自分にないもの、つまり、出来ない事こそを至上とする精神こそが「サムライ」なのだ。
 だから、武士道には程遠いワタクシは考えたのだ。

 このぬるい現代日本で死生観を語る事も、まして肌に感じる事など滅多にない。
 だからこそ、現代の武士道は死ぬ事にあらず。
 のうのうと生き続けてしまう現代だからこそ、恥を晒し、迷惑を掛けぬ生き方こそが、ワタクシ如きに出来る「武士道」なのだと思うのだ。

 だからこそ、非才の凡人であるにもかかわらず、半世紀も生きてしまった同胞(はらから)に伝えたい。



 武士道とは、真白の褌を締める事にあらず。


 武士道とは、
 ゴムの伸びたパンツを履き、
 財布の中に金を持たず、
 不潔でない程度にダサい服装で
 日常を過ごす事なり。


 「ワンチャンあるかも!?」

 とか思って、
 見苦しく女を口説きに
 掛からない事と見つけたり。


 (´・Д・)」 マジで、そこそこ金を持ってるロマンスグレーのナイスミドル以外は、ワンチャンもないから、見苦しくモテようとしない事が「武士道」だと思うの。

 (´・Д・)」 いや、マジで。

 ※ この記事はすべて無料で読めますが、サムライも、サムライでない人も投げ銭(¥100)をする事と見つけたり。
 なお、この先には、ワタクシの本音しか書かれてません。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。