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イデューカコッツォの花時計


 皆さん、こんにちは。岩手をイーハトーブ、花巻をハームキヤとするセンスは素晴らしいと思うのですが、東京をトキーオは雑だと思います。木賃ふくよし(芸名)です。

 そんな訳で本日はイデューカコッツォについてのお話です。

 無論、皆さんもイデューカコッツォについてはご存知だと思いますが、、、



 なに? (´・Д・)」 知らない?



 そりゃそうでしょうね。


 飯塚幸三を宮沢賢治っぽくしてみただけですから。はい。

 いや、ええとね。時事ネタは好きじゃないんですよ。しかし、時事ネタの方がアクセスが多いから仕方ない。ワタクシもnoteの売上を上げない事には食えない。いや、そもそも食えてない。
 てな訳で、本日はイデューカコッツォの花時計と題し、


 爺ネタかつ時事ネタを
 お届けしようと思います。


 ドンぱふイエー (´・Д・)」←ノリ気じゃない。

 はい。まずは概要から。


 東池袋自動車暴走死傷事故は、2019年4月19日に東京都豊島区東池袋四丁目で発生した「交通事故」である。俗に「池袋暴走事故」と呼称される。 高齢者(飯塚幸三・87)の運転する乗用車が暴走(調査の結果はアクセルとブレーキの踏み間違い)して交差点に進入し、歩行者・自転車らを次々にはね、計11人を死傷させた。加害者は自動車運転死傷行為処罰法違反容疑で書類送検・在宅起訴された。


 まあ、要するに交通事故です。

 で。これに関し、警察が加害者を逮捕しなかったために、飯塚氏を「上級国民だ!」と非難する風潮が強まり、「上級国民」は流行語大賞の候補にもされる程だった。

 そして何より問題だったのは、飯塚氏がアクセルとブレーキの踏み間違いを認めず、無罪を主張し、車の方に原因があるとした事、また、好意的に解釈しようとしても、切り取っても難しい程に「反省の色が見られなかった」事である。

 ただ、これらに関して幾つか誤解があるので順番に解剖していこう。

 飯塚 幸三(いいづか こうぞう) 1931年〈昭和6年は日本の研究者、通商産業省技官。東京大学工学博士。専門は計量学。測定器誤差と形状誤差を分離して真円度・円筒度測定ができるマルチステップ法の開発者。


 要はお偉いさんなので逮捕されず、上級国民だとされた訳だが、


 そんな事が理由だったら、

 田中角栄は逮捕されねェよ。


 上級国民が逮捕されないなんてヌルい事は、侭ある事じゃない。芸能人だろうが有名人だろうが政治家だろうが官僚だろうが、表立って事件を起こしておいて逮捕されないほど日本は腐ってない。

 そもそも、ここで大きな勘違いがあるのだが、


 逮捕は刑事罰ではない。


 刑事罰は、刑事裁判の結果として司法から与えられるものであり、逮捕はあくまで裁判を受けさせるためのものである。
 まず大前提として誤解されてているが、


 留置所
 拘置所
 刑務所


 これら3つはすべて別物である。長くなるので雑に説明するが、

 裁判までの間、逃げられないように身柄拘束するのが留置所。
 裁判から判決までの間、同様にして身柄拘束するのが拘置所。
 実刑判決が下され出所までの間、服役させられるのが刑務所。

 つまり、逃走や証拠隠滅の恐れがない場合や、保釈金(要は生活の首根っこを抑える身代金)を払ったら、そもそも拘束されないのである。
 その点、飯塚幸三は本人も怪我で入院。高齢。地位もある。また、交通事故なので証拠隠滅の恐れもなく、本人は足も不自由ときた。なので、逃走の心配がないので逮捕の必要ナシ。


 (´・Д・)」 それでもゴーンは逃げたけどな。


 警察にそう判断された以上、仕方ないのである。田中角栄だって保釈金を払って保釈されている以上、同じ事だ。

 この「保釈」自体に問題があるのでは? という意見もあろうが、それこそが間違いである。
 例えばあなたが「痴漢の冤罪」で、その場で捕まったとしよう。
 ここで身元を明かし、逃走の恐れなしと判断されれば「保釈」される。
 保釈されないと拘留され、仕事にも行けない。要は欠勤だ。つまりは罪を犯していないにも関わらず、自動的に社会的制裁を食らう事になる。保釈されないと社会的に死ぬのだ。

 そもそも逮捕は刑事罰ではない。留置所も拘置所も刑事罰ではないのである。拘留の必要ナシとされれば保釈は認められなければならない。つまり、

 逮捕しろ! はただの私刑要求である。


 逮捕されないのは上級国民に対する忖度だなんて声もあるが、逮捕しろ!もまた国民感情に対する忖度を要求するものなのである。
 ここまで説明して、感情的な理由以外で「逮捕」する理由があるならば述べて欲しい。

 そして、今回の事件は交通事故による「過失致死」であり、「殺人ではない」事が大きなポイントだ。
 飯塚氏は、被害者との面識はない。また、いわゆる「煽り運転」で故意に被害者を傷付けた訳でもないのだ。
 結果として「人を殺した」という事実は変わらないし、死んだ人は生き返りもしない。この事実は許されざるものである。
 だが、悪意ある利己的な殺人ではない事を前提にしなければならない。

 無論、過失致死だからと言って罪を軽くしろという意味ではない。


 裁判は罪に応じた罰を与えるものである。


 この中で、飯塚氏の禁錮5年、執行猶予なしは異例とも言える重刑なのだ。どれだけ飯塚氏が気に入らなかろうが、初犯なのである。再犯でもなければ執行猶予付きでもない。
 3年以下ともなれば執行猶予の可能性がつく。
 これに人を2人も殺して5年で出てくるなんて! と言いたい気持ちはわかるが、執行猶予なしで5年。しかも90歳の老人に対しての判決である。

 感情的な部分を抜きにすれば、充分すぎるほど重い罰だと言える。

 また、飯塚氏は当時87歳の高齢者であり、片足も不自由で、パーキンソン病の「疑い」(診断はされていない)も持たれている。医師からは運転を禁止されていた。
 だから運転した罪は重い。しかし、だから「殺意がなかった」事は明白なのである。
 そして、車が暴走したと言い張り、謝罪の素振りすら見せない。
 これが神経を苛立たせる事は間違い
ないだろう。
 しかし、である。

 自分が無罪を主張するのに、
 反省してたら
 矛盾が生じるのである。


 無罪を主張してるのがジジイの頭が硬いからか、弁護士の入れ知恵なのかはわからない。
 しかし、「減刑を求めるために反省してマース!」は最悪の状態なのだ。

 飯塚氏が取れる選択は多くない。


 ・反省と謝罪をアピールし、遠回しに減刑を訴える。
 ・無罪主張で、控訴し、裁判を長引かせ、保釈状態を続ける。


 概ねこの二択である。
 反省しているのか、謝罪の心があるのかはわからない。本当はあっても、弁護士が被告のために尽力した結果なのかも知れない。
 本当は事故に深く心を痛めているかも知れないが、弁護士の指示通りに動いているだけなのかも知れないのだ。無論、反省しているなら弁護士が何と言おうと謝罪すべきであろう。しかし、彼にだって家族はいるし、家族のためにも刑務所に入る事だけは避けたいのかも知れない。

 感情としては、更に重い刑を求めたい。それはわかる。


 だが、そこで考えて欲しい。



 禁錮5年、執行猶予なしは、


 控訴されにくいギリギリの
 ラインなのである。



 今ここで刑を確定させないと、それこそ高齢の心神喪失を理由に逃げられてしまう。昔の政治家がよくやった手だ。本当にそれでいいのか。



 あのジジイに
 しんどい思いをさせる
 チャンスが今しかないんだよ?



 (´・Д・)」 3年以下だと執行猶予がついちゃうかも知れないから、国民感情的にも、実はコレが最適解だと思う次第であります。



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 なお、この先にはアナザーストーリーが書かれています。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。