見出し画像

いなげやが手がけた飯能駅南口のショッピングモールサビア飯能。今はパチンコ屋と郵便局が魔合体。マンション計画は白紙になった?

埼玉県飯能市南町。西武池袋線飯能駅の南口を出て美杉台方面へ向かってすぐにある交差点の角にある大きな建物は、今はパチンコ屋の「デルパラ飯能店」。しかしここは2015年11月に閉店するまでは飯能が誇る駅前大型商業施設の「ショピングモールサビア飯能店」であった。場所はここ

スクリーンショット 2021-06-08 13.29.38

サビアはスーパーのいなげやが手がけたショピングモール(ショッピングセンター)である。実際にはいなげやグループ会社で店舗建物の設計や運営などを手広く手がける不動産業を中心とした(株)サビアコーポレーションという会社が、平成4年(1992年)にサビアコーポレーションという社名に変更したすぐあとにオープンさせた。いなげやグループとしては初のショッピングモール開発であり、社名の「サビア」を冠した一大プロジェクトである。
なお、サビア飯能開店の1年半後には、続く2店目として千葉県山武郡横芝光町に「ショッピングモールサビア横芝」をオープンさせたが、こちらもあえなくサビア飯能閉店の約半年後に閉店。どちらもほぼ同じ時期に開店と閉店と運命を共にしている。まぁ1992年はバブル崩壊真っ最中で株価・地価大下落という大変な時期であり、バブル経済中に計画された遅すぎた物件だったのかもしれない。建築費や地価を高値で掴んでしまい、不良債権化してしまったのが想像付く。
いなげやはこれ以降、大規模なショッピングモール開発には手を出していないので、サビアは同社にとってトラウマレベルの相当手痛い失敗だったに違いない。いなげやは2002年にはイオンが筆頭株主にもなっている。

いなげやの説明が長くなってしまったが、つまりサビア飯能の核テナントであるスーパーはいなげやであった。このスーパー目当てに飯能市民は買い物に訪れた。ちょうどその頃、忠実屋飯能店も閉店になりダイエーに変更になった頃で、車で大型スーパーに買い物に行くとしたら、サビア飯能であった。我が家は本当によく行った。
建物上部にある立体駐車場への入り口も、美杉台方面と加治方面の両方にあり便利だった。土曜か日曜の午後に、家族で車に乗ってサビアへ買い物、というのが定番だった。
その他には、知人たちと飯能河原でバーベキューをする際の食材の買い出しにも便利で何回か使ったこともある。お世話になった。

そしてサビア飯能はショッピングモールということで、スーパーの他にテナントがたくさん入っていたのも買い物先としては魅力だった。かなり記憶が曖昧だが、それぞれ思い出してみる。
まず、一番思い出に残っているのが、おもちゃ屋の「ハローマック」である。ハローマックは飯能の岩沢の国道299号沿い(飯能青果市場跡、現在の家電のデンキチ飯能店付近)にもあったのだが、飯能には2店も存在していた。これはなかなかすごいことだと思う。サビア飯能のハローマックも品揃えはなかなかで、ゲームからプラモデル・ラジコンまで揃っていた。店頭で「クロノ・トリガー」のプレイデモが流れていたのを覚えている。

ハローマックの隣にはゲームセンターがあった。「こころっこJ'S」という名前である。今は「PLABI」という名前で見かけることが多いゲームセンターだ。自分は当時小学生だったのだが、なぜかとても懐かしいメダルゲームにハマって、古い筐体でよく遊んだ。じゃんけんゲームのマシンで大当たりが連続してしまい、困るくらいメダルが出てきたこともあった。あの時代の、小学生にはちょうど良いくらいの懐かしいゲームセンターであった。

1階には飲食店があった。というか、もしかしたらちょっとしたフードコートだったのかもしれない。記憶が全然ないが。
まず思い出すのは「ロッテリア」。飯能では一時期マクドナルドが撤退して存在しない時代があったので、ロッテリアは貴重なファーストフード、ハンバーガー店だった。割引クーポンをよく配っていたので、本当によく買って食べていた。なんならロッテリアだけ買いに自転車で行ったこともある。
今でも商品ラインナップにあるが、リブサンドポークがお気に入りだった。

そして、ラーメン屋の「スガキヤ」。愛知県名古屋市の会社で東海地方を中心に展開していたので、当時としては飯能なんかに店舗ができるのは珍しかったのではないか。今となっては関東には店舗が一切存在しないようだし。スガキヤを食べたことがあるというか、ラーメン屋のスガキヤというものが別に珍しく感じない当時の飯能市民であるが、大人になってから東海地方出身の人とスガキヤの話で分かり合えるので、非常に不思議がられる。

他には、スーパーのいなげやの近くもしくはエレベーターがあるサビア広場付近に、クレープ屋があった気がする。店名も覚えていないが、確かにクレープを食べた記憶はある。あれは一口茶屋系だったのか、ディッパーダンみたいなものだったのか。

そう、このサビア広場もサビアの一大スポットだ。アーティストがリリースイベントに来たり、たまに何らかのイベントをやっていたり、と飯能にしては珍しいエンターテイメントな場であった。
まぁもちろん飯能なので超売れっ子の有名グループとかアイドルとかが来るわけではないけど、昔は当たり前だったアーティストのインストアライブの営業ツアーに飯能が組み込まれるなんて、すごいことである。やはり演歌系の方とかが多かったと思うが、自分が知っている中では、あの「水曜どうでしょう」の主題歌「1/6の夢旅人」を歌っていた樋口了一さんも来たことがあるらしい。

そして今も生き残っている重要なテナントのひとつが郵便局。当時は「サビア飯能郵便局」でサビア閉店後は「飯能駅南口郵便局」と名称変更。飯能駅最寄りの貴重な郵便局として重要だったためか、サビア閉店後も残った。というかサビア閉店したのに、郵便局だけ営業継続というのはなかなか不思議である。
そしてさらに不思議なのが、サビアの建物がパチンコ屋になった後も、そのまま郵便局は残り続けているのである。まるでパチンコ屋に飲み込まれているような姿というか、パチンコ屋と郵便局という魔合体はさすが飯能らしいカオスさである。飯能では昔からパチンコ屋の存在が大きいのである(他の地方でも似たような雰囲気があるのかもだが)。
むしろ実は郵便局こそがサビア飯能のコア、ラスボスだったのかもしれない。

サビア飯能が閉店した頃は既に飯能には住んでいなかったため、サビア飯能がパチンコ屋になった経緯は知らないが、自分の記憶では「壊してマンションにする」という計画があった気がする。そこそこ大きいマンションで、飯能駅の目の前で都心への通勤にも便利で人気も出るかもと思ったのだが、今改めて調べてもそのような情報が見つからない。果たしてこれは単なる噂だったか、本当に計画はあったが頓挫してしまったのか。まぁ、そもそも飯能にマンション開発は似合わない(というか厳しい)。
いずれにしても、パチンコ屋として落ち着いてしまって、何も違和感がない光景というのはさすが飯能だな、と思う次第である。





あなたのサポートが励みになります。