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ラオスのひと昔前に、小さな女の子だったチャンの話 第6話

月夜のトラとお正月

 米の収穫が終わると、刈り取りの終わった村はずれの水田に、水牛が放されました。そのころは、水牛は、すきをつけて田んぼを耕す貴重な労働力となっていたので、どの家でも水牛をたくさん飼っていたのです。
 ある日、その田んぼの周りでトラの足跡が見つかりました。数えると水牛が減っているようです。村の男たちは話し合って見張りに行くことにしました。午後遅く、出かけようとするお父さんに、チャンはついていこうとしました。でもお父さんは言ったのです。
「今日は、おまえのことは連れていけないよ」
 チャンが不満そうに口をとがらせると、お父さんは言いました。
「水牛を襲いにくるトラの番をしに行くんだよ。何かあったら大変だろう」
 チャンはそれを聞くと、ますます行きたくなってしまいました。そこでお父さんに頼みこみました。
「お父さんの言うことを聞く。ぜったいにおとなしくしているから」
 そう約束して、お父さんに連れていってもらったのです。
 
 水田のはずれに畑小屋がありました。高床式の小屋です。暗くなってくるとお父さんは、
「おまえは先に寝なさい。お父さんはほかのみんなと見張りをしているよ。もしトラが来たら起こしてやるからな」
と言いました。
 チャンは小屋にかかるハシゴをのぼり、さらに屋根のすぐ下の、はりに板を渡しただけの「クゥ」と呼ばれる天井裏にのぼって横になりました。そのころは、子どもたちが畑小屋に泊まるとき、高いところにあるこのクゥに寝かされたのです。もし、トラが小屋に入ってきても、なんとか助かるように・・・・・・。
 畑小屋の外では、男たちがをしています。畑小屋や外で寝るときには、森の動物たちが寄ってこないよう、必ず焚き火をして、火を絶やさないようにしました。男たちはこうして火を燃やしたり、音を立てたりして、トラがやってこないようにしていたのです。
 お父さんたちのざわざわした話し声を聞くうちに、チャンはいつの間にか寝てしまいました。
 真夜中、お父さんがチャンを起こしに来ました。お父さんは
「トラが来た。起きなさい。でも、ぜったいに口を開いてはいけないよ」
と、ささやきました。
 チャンはお父さんのそばで、恐る恐る、畑小屋の窓から外をのぞきました。
 白い月が煌々こうこうと夜の空高くにのぼっていました。その日は満月でした。月の明かりで、はっきりと稲刈りを終えた水田が見えました。何十頭もの水牛たちが、ぐるりと円陣を組んでいます。オスの水牛もメスの水牛も頭を外側に、お尻を内側にして円陣を組み、中にいる子どもの水牛たちを守ろうとしていたのです。
 その円陣の外に、一頭のトラが見えました。トラは、円陣の周りをあっちへこっちへと走りまわり、それに合わせて水牛の円陣もゆれているようでした。水牛たちは、トラに向かって頭をさげ、ツノを振りかざして追っぱらおうと必死です。トラは、アーアーとうなりながら右へ左へ走ります。そのたびにヴォーヴォーと叫びをあげる水牛の輪が乱れて動きました。
 そうこうするうち、トラはピタッと動きを止め、頭を低くさげ、地面に張りつくような構えをとりました。さっきまで振り立てていた長い尻尾も見えません。チャンには一瞬、時間が止まったように思えました。その一瞬ののち、トラはダッシュして水牛たちのすきまをもぐり抜けると、一気に大きくジャンプしました。大きな前足を天に振り上げて、パンチを食らわせるように、輪の中にいる一頭の水牛めがけて飛びかかったのです。振り上げた前足を振り下ろすとき、鋭い爪が月に光りました。
 パンチを食らった水牛は、のけぞりました。その一発が致命傷となりました。トラはすかさず、倒れた水牛の喉笛にみつきました。
 一気に円陣がくずれ、水牛たちは右往左往、逃げはじめました。トラはその中を、仕留めた若い水牛を頑強な口でくわえて引きずりながら、悠然と去っていきました。トラはほかの水牛には目もくれず、獲物とともに森へと姿を消していったのです。

 結局、何人も男たちがいても、何もできませんでした。男たちは銃を持っていましたが、それをパンパンと撃ったところで、威力のない銃では、そう簡単にトラに立ち向かうことはできなかったのです。
「トラは、いつも一頭だけでやってくる」
とお父さんが言いました。
 月夜の晩に見たトラの姿を、チャンは忘れることができませんでした。恐ろしいけれど、一頭だけで闘うトラの姿。トラはだれに助けてもらうこともなく、いつもたった一頭で行動し、自分の力だけで闘い生きてきたのです。
 もしかしたら、あのトラはお母さんのトラで、森のどこかで待っている子どもたちのために、あの水牛をったのかもしれない・・・・・・とチャンは考えました。そうだとしたら、殺された水牛はかわいそうだったけど、トラの子どもたちはどんなに喜んだことだろう・・・・・・。
 そんなことを思うと、怖いだけではなく、少しあたたかい気持ちにもなりました。チャンは空の月を見上げました。お月さまは、空の高いところからすべてを見ているに違いありません。もしかしたら、お月さまと、どこまでも続く深い森だけが、トラの友だちなのかもしれません。

 トラが住んでいる森には、もちろんほかにもいろいろな動物たちが住んでいました。そうでなければ、トラだって命をつないではこられなかったでしょう。シカやサル、イノシシ、野牛、ゾウ、クマ、色とりどりの鳥たち、爬虫類はちゅうるい・・・・・・いろいろな種類の生き物たちが、この森でともに暮らしていたのです。
 村の男たちはこの森でよく狩りをしますが、その前に必ず、水牛が泥浴びをするぬかるみに入って泥浴びをしました。体にも服にも、全部泥をつけたのです。泥だらけのまま、乾いても泥がこびりついたままで、森に入っていきました。こうすると、人間の臭いが消えるからだそうです。
 人間の臭いがすると、仕留めたい動物たちが警戒して出てきません。それどころか、トラは人間の臭いをかぎつけると、出てくるといいます。だから必ず、泥浴びをして自分の臭いを消してから、森に入ったものでした。
 森の狩りに子どもたちはついていけませんが、「ホークワン」と呼ばれるシカの猟だけは、村の大勢が総出で行きました。チャンも行ったことがあります。そのころは村のすぐ近くの森にも、クワーンやファーンと呼ばれる数種類のシカたちがいたのです。「ホークワン」では、大勢の村人たちが森に入り、声を出しながら、シカが逃げ出せないように輪を縮めていきます。そして最後、追いこんだシカを、銃を構えた男たちが撃ちます。それはみんなのご馳走ちそうとなりました。

 さて、1年の日々の中で、なんと言ってもいちばん待ち遠しいのは、4月のピーマイ(お正月)でした。その時期は、乾季もそろそろ終わり、雨が降り出す雨季の直前で、1年のうち、もっとも暑いのです。
 このお正月ピーマイは1年の締めくくりで、そして1年の始まりでもありました。お正月が終われば、また農作業が始まります。
 
 お正月の準備は何週間も前から始まります。
 まずは、コープン作りです。コープンとはうるち米から作る白くて細い麺のことですが、お祝いのご馳走になくてはならないものでした。今でこそ、出来上がった麺が市場で売られていますが、そのころは全部手作りでした。
 ラオの人たちの主食はもち米で、コープンを作るためのうるち米は、山の畑に植えていました。そして、お米から白い麺が出来上がるまでには、たいそう手間と時間がかかりました。
 まずは米をカゴに入れて、朝に夕に、きれいな水をかけることから始めます。チャンはお母さんを手伝って、毎日、井戸からみたての水を運んできました。昼間はその米を太陽の光にあてます。これを何日もくりかえすと、米はだんだん発酵してきます。そうしたら足踏みの臼でついて、さらにつぼに入れて寝かせ、それをまた足踏みの臼でついてから、手でよく練るのです。よぉくよぉく練らなくてはならず、まったく体じゅうが痛くなるくらいでした。そうして、やっと麺をしぼりだす前の練粉ねりことなるのです。ひとりでやるのはとても大変なので、村の女の人たちは集まって、おしゃべりして笑いながらやりました。
 じつに、お米から麺にする前の練粉ができるまで、1週間も2週間もかかったのです。こうして準備しておき、いよいよ、明日からお正月が始まろうという日、麺にしぼりだします。
 練粉をしぼりだすのに使うのは、三角に縫った布袋です。絞り出し口には小さな空き缶の底にくぎで穴を開けたものをつけました。その穴から麺が押し出されるのです。穴の大きさによって、細い麺にも太い麺にもなりました。缶の穴から練粉をギューッと細長く押し出し、熱湯に落としてでます。茹で上がった麺をすくいあげると、白い麺の出来上がりでした。
 チャンやフォンは、お母さんが麺をしぼりだすとき、そばを離れませんでした。茹でたてを食べたかったからです。特に、麺をしぼりだしたあとに残った練粉を茹でたフアガイ(鶏のトサカ)と呼ばれる部分が、おいしいのです。
「こらこら、あんまりつまんでばかりじゃ困るわよ。お正月に出す分がなくなっちゃうわ」
とお母さんに叱られながらも、茹でたてをつまむのが楽しみでした。
 コープンは、唐辛子とココナッツのソースをかけて食べるのですが、茹でたては、塩をつけただけでもおいしいのでした。
 
 お正月が近づくと、村のお年寄りたちは自分たちで作った楽器を持ちよって、奏でました。コーン(太鼓)、ケーン(しょう)、ガチャピー(4弦の弦楽器)、シーソー(弦楽器)と呼ばれる楽器類で、ケーンは竹、ガチャピーとシーソーはヤシの実を使って作られました。
 村のにわか楽士たちが自慢の楽器を手に集まり、音楽を奏ではじめると、近くの家からみんなが出てきて、歌ったり踊ったりが始まります。お正月前はもうみんなウキウキしていて、音楽が聞こえてくるだけで、じっとしていられないのでした。
 
 お正月が始まる前の日の昼下がりには、お年寄りが太鼓をたたき、ケーンを吹いて、子どもたちや若者たちを呼びます。
「さぁさぁ、お正月だよぉ。花をつみに行くよぉ」
 子どもたちは、音楽に合わせて集まり、花をつみました。ドック・メンアーはお正月には欠かせない花です。赤い枝に紫色の花が咲き、ちょうどお正月に合わせるように花を咲かせるのです。ドック・チャンパー(プルメリア)の白い花や、ドック・クンの黄色い花もつみました。
 お年寄りが奏でる太鼓とケーンの調子に合わせて、歩いてはつみ歩いてはつみして、みんな腕いっぱいに花を抱えて、お寺に向かいました。そして、お寺の仏様の前にお花をささげました。
 
 いよいよお正月が始まると、お年寄りだって、子どもみたいに遊びます。 
 お年寄りたちは、ヤシの木の幹から皮をはがしてきます。それは長くて分厚いソリみたいです。そのヤシの木の皮のソリにひとりが乗ると、もうひとりが皮の一方の端に結んだ縄を腰に巻きつけ、引っぱりました。ヤシの皮に乗ったほうも引くほうも大笑いしながら、そうやって家々をまわったのです。おじいさんもおばあさんも、口々にこう叫びました。
「ラオトー(酒)をおくれ! くれないんだったら、ここを動かないよ。死ぬまでいてやるからね! はっはっはー」
 ラオトーというのは、お正月が近づくと、それぞれの家で仕込む黄色くて甘いお酒のことです。こうして、お年寄りも若い人たちも、お正月にはみんな家を訪ね合いました。もちろん、だれが来ても、お酒やご馳走をふるまったものでした。
 
 ラオスのお正月は、今も「水かけ祭り」と言われ、だれにでも水をかけて遊びますが、このころだってそうでした。
 この村は、川がすぐ近くにあって、いくらでも水を汲んでこられたからかもしれませんが、どの家でも入り口のハシゴをのぼった高床の隅に壺を置き、水が満たしてあリました。お正月には、どの家を訪ねても、その壺が空になるまで、みんなで水をかけ合ったのです。最後には、水が一滴も残っていない証拠に、その壺をひっくり返しました。子どもよりも大人のほうが大騒ぎをして水をかけ合ったほどです。その上、壺が空になるたびに、「ちょっと水汲んできて」と言われるのは子どもなんです。とうとうチャンは泣きそうな顔になりました。
「だって、さっき汲んできたばかりだよ」
 すると、お母さんは、「お正月に文句はなし。汲んでおいで」と言いました。
 子どもたちは、我先にほかの家を訪ねていき、目上の人に、「どうぞお元気で長生きしてくださいね」と言いながら、手や背中に水をかけました。すると、「あんたも元気でいい子に育ちなさいね」と、肩にかけた布で、額をさすってくれるのでした。

家族の一年の健康と幸せ、そして感謝をこめて、水をかけ合う

 お寺で、仏像を本堂から下ろして水をかけて清める日には、子どもたちは大騒ぎでした。もちろん仏像には、ていねいに水をかけるのですが、小僧さんたちまで引っぱってきて、お寺の柱に縛りつけると、水をかけたり、鍋底の黒い炭を顔に塗ったりしました。そんなことを小僧さんにやっていいのは、お正月だけです。もちろん、子ども同士でも追いかけ合ってつかまったら、柱に縛りつけられてしまいます。
 この日子どもたちはみんな、鍋炭を顔じゅうに塗りたくられ、水をかけ合って、大遊びしたのでした。

仏像を集めて水をかける

 お正月の最後の日、仏様をお寺のお堂にもどす日には、村じゅうの子どもたちがお寺に呼ばれました。そして、みんなでお寺の床の上に腹ばいになり、お坊さまに枝でお尻をたたかれるのです。これまでやった悪いことを体から追い出すためです。チャンは、昨日小僧さんを炭だらけにした分だけ、たたかれているような気がしました。
「悪いことは出ていけ、出ていけ! 良いことはいっぱい入ってこい! 入ってこい」
 お坊さまはそう言いました。お寺の窓から、緑の森が見えました。お正月が終わると、またこの森のとなりの村ではいつもの日々が始まります。
「今年はいいことがありますように! みんなが元気でいますように! そして、この村でずっと暮らせますように!」
 チャンは心の中でつぶやきました。
「だって、ここがわたしの家だもの」

*************
 
 これで、6回の連載は終わりです。チャンさんから聞いた話はどれも、人間が、動物や目に見えない存在をごく身近に感じながら暮らしていたころの話で、そんな中、人々が心豊かであったことがとても印象に残りました。そして、ぜひ書き残しておきたいと思ったのでした。
 でもわたしがチャンさんに聞いた話は終わりではなく、まだまだいろいろな話を聞かせてもらいました。今回は触れませんでしたが、じつは、この話のころはラオスで戦争がおこなわれている時期でした。この村は戦場にはなっていませんが無関係だったわけではなく、勢力争いの中で、子どもたちが兵士となるために姿を消したり、敵兵の監視の中で暮らしたなど、大変な話も聞きました。
 なお、この話はチャンさんの話をベースとして一部、ちょっと想像も加えて書きました。ラオス語の理解が足りず、事実とは異なることもあるとは思いますが、お許しください。

(全6話 完)

安井清子(やすい きよこ)
東京都生まれ。国際基督教大学卒業。1985年に、NGOのスタッフとして、タイのラオス難民キャンプでモン族の子どもたちのための図書館活動に携わって以来、現在もラオスにて子ども図書館の活動に関わる。「ラオス山の子ども文庫基金」代表。著書に『ラオス 山の村に図書館ができた』(福音館書店)、『ラオスの山からやってきたモンの民話』(ディンディガルベル)など多数。日本とラオスとの相互理解の促進において長年の功績が称えられ、 2022年8月に外務大臣表彰を受賞。
ラオスのナーヤーン村在住。

〈関連サイト〉

ラオス山の子ども文庫基金のHP(~2015)
パヌンのかぼちゃ畑(個人のHP ~2015)
ブログ 子ども・絵本・ラオスの生活 (2014~ )
安井清子Facebook


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