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烏龍茶と珈琲

若い頃、みんなが同じ土日休みなら簡単に予定を合わせて遊べると思っていた。

おじさんになって解ったのは、それぞれにそれぞれの生活があるだけじゃなくて、その生活は絶えず変化を続けているということ。
子供が産まれて解ったのは、予定なんて立てられないってこと。

つまり、これは奇跡的な出来事ってことだ。

3月の川越以来に3人が揃った。
空も泣き出しそうなところを堪えている。
各家庭の体調管理、そして日頃の行いの賜物だ。

タープを張って、買い出しに行って、火を起こす。
否が応でも盛り上がってくる。
いや、買い出し以外はほとんど見てるだけだったけど。

まぁそれはさておき、本日は少しカメラは横に置き、おじさん3人河原でBBQってわけ。

何を隠そうBBQの為の道具は概ねしんいちさんが準備してくれて、足りない部分をハシモトさんが補い、自分は手ぶらという構成だ。
小判鮫、あるいは郭公の雛のように。

この日は寒く、しんいちさんが烏龍茶を温めて提供してくれた。
鍋から注ぐダイナミックホット烏龍茶だ。
炭火から発する遠赤外線と共に、身体を温めてくれる。

肉は沢山買った。なんと言ってもBBQは肉だ。
どんどん焼いて、どんどん食べる。
この七輪というやつはめちゃくちゃ優秀で、
しんいちさんの火力管理もあり、あっという間に火が通る。


炭火で焼きたての肉を楽しい仲間と食べる。
これを贅沢と言わずして何と言おうか。
冒頭のとおり、まずこの状況だけで奇跡なのだ。

さて、本当に寄生しているだけな訳にもいかないので、ここらでひと働き。
唯一と言ってもいい持参物のスキレット鍋(大小)を使った、アヒージョとステーキの調理に取り掛かる。

いや、煮るだけ焼くだけなので、調理というほどものじゃないけれど、とはいえアヒージョの塩加減とステーキの焼き加減にはそれなりに自信がある。
環境や道具がいつもと違うけれど、そこはまぁ周囲の環境がなんかいい感じにしてくれるのだ。


作ってるから焼き具合とアヒージョの写真は無い


食後はハシモトさんが珈琲を淹れてくれた。
珈琲には疎いのでその味を伝える語彙を持たないのだが、特に言葉を添える必要は無いだろう。
本当に価値あるものは、ただ事実の呈示のみあればよく、余計な修飾の必要など無いのだ。

心地よくのんびりとした時間が流れる。
ここしばらく味わっていない感覚だ。

まず目の前に楽しいことがあって、
写真は、カメラはそれを残すもの。
だいたい忘れているけど、たまに思い出すのは大事だね。

日が暮れる前に、撤収の準備にかかる。
この世に永遠は無い。日常に帰らねばならない。
それでも、また会えると確信めいた気持ちになっているのは自分だけでないと思いたい。


もちろん最後はしんいちさんの、「父親(パパ)に戻りましょう」の号令の下、それぞれの家庭へ。
次はどんな楽しいことをしようか。

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