治療家の心得11【学びの本質を考える】
学びには必ず意味があります。
こんな事を言うと、「分かっている」「当たり前」と返答をしたくなりますが、過去の自分も含め、本当に分かっているのかは眉唾ものです。
というのも多くの場合、各学問の大切さは理解できていても、「なぜそれを学ぶ必要があるのか?」の意味までは及んでいないからです。
しかし、学びの本質とはここにあるのではないでしょうか?
常に意味を考える
「理解」というのは難しいもので、知識や成熟度、探究心などにより異なります。
特に、なんとなくでも分かるもの/できるものほど、その傾向にあります。
僕たちセラピストの場合であれば、例えば骨学です。
いずれも、「理解」という一言で片付けることができますが、個人によりその深さは全く異なるのがよく分かると思います。
学ぶ意味がない学問はあるのか?
学校や一連の講習においてという前提がありますが、僕自身は学ぶ意味がない学問はないと考えています。
だからこそ、「学んで意味があるのかな?」というものに遭遇したときには、「どのように活かせるのか?」を率先して考えるようにしています。
単独では無縁のように感じるものでも、他の学問とオーバーラップさせることで、大きな役割を担うものです。
僕にとって公衆衛生学などは、まさにそれに当たるものでした。
まれに、学校に行っても不要な授業があるという方がいますが、これはまさに学ぶ意味を考えることを放棄した典型的な例だと思います。
一方、独学の場合は意味が異なります。
その理由は、自らが現状のレベルで必要と感じたものを学ぶことが多いからです。
独学でカイロプラクティックを勉強していても、公衆衛生学に必要性を感じる方は、ほとんどいないですよね。
オーバラップさせると森が見える
木を見て森を見ずという言葉がありますが、治療系セラピストにとって、森が見えないのは致命的なものです。
先日の大谷翔平選手の右脇腹の件を例にすると、
・骨学
・筋学
・生体力学
・整形外科学
・右肘との関係
などをオーバーラップさせて考えることができている方は、なぜ⇩のシーンで右脇腹を痛めたのか?炎症とはなんのことなのか?再発対策に必要なことの概要がすぐに分かります。
もし、次の患者さんが同じような症状で来店されたら、自分は何を基準に考え、検査し、対応できるのか?を常に考えることが大切だと思います。
いかがでしたか?
すべての学問は、最終的に自分の仕事にどう役立つのかを考えるか否かで価値は変わります。
学びには終わりがないので、自分がどこまで本質を追求できるのか?どのレベルまで理解が進んでいるのか?は誰にも分かりませんが、このnoteが成長のきっかけになればと思います。
来週も引き続き、「治療家の心得」を楽しみにしていただければ幸いです。
それではまた
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