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あの日、あの時、あの場所で・・・

東日本大震災から8年

喉元過ぎれば熱さを忘れるという。自然災害の恐ろしさもその一例。時が経てば経つほど、そこで感じた思いは置き去りにされがちだ。2011年3月11日に東日本大震災が起こって以来、11日で丸8年が過ぎた。わが家は被災地ではないが、そのときの体験を忘れず、防災意識を薄れさせないため、これを機に、両親らに"あの日、あの時、あの場所"で何をしていたかをそれとなく思い出してもらった。小田和正の「#ラブ・ストーリーは突然に」の歌詞とはまったく関係ない。

8年前のあの日、働いている会社の社内にいた。地が割けるような大きな揺れが一段落した後、外出している社員の安否確認のため、電話をかけまくった。職場のテレビに押し寄せる津波から逃れようと、スピードを上げる軽トラックの映像が映っていたのが記憶に残る。

ゲームの仮想現実(VR)ではない。画面越しに映っているのは、現実に生きている人が窮地に陥った姿だ。「早く逃げろ」と心の中で叫ぶ以外、手を差し伸べることすらできない状況が歯がゆく、また想像を上回る事態の深刻さに愕然とした瞬間だった。

それぞれの体験

父は職場で仕事の事務処理をしていたところだった。揺れが落ち着いてから別のフロアの被害状況を確認しに向かったそうだ。姉はたまたま父の職場の近くに来ていて、父と連絡を取り合って一緒に帰ったことが記憶に残っているらしい。

母は築年が古い実家の「柱にしがみついていた」という。大きな揺れが怖かったのではなく、柱が倒れて家が倒壊しないように支えていたとか。最初は冗談かと思っていたが、どうも真剣にそう思っていたようだ。実に母らしい判断だ。

奥さんは当時勤務していた職場で大きな揺れを感じ、状況を確認するために一緒にいた仲間とテレビの前に向かったそうだ。本人曰く、画面に向かって「ときどき驚きの声をあげながら、じっと見て続けていた」と、そのときの様子を振り返る。

意識、枯らさず

NHKによると、被災地では、震災から8年経過したにもかかわらず、復興が進んでいないと感じている人が多い。また「復興五輪」を旗印に掲げた20年の東京五輪・パラリンピックが「復興の後押しにならない」と感じる人が少なくないという。寂しい現実だ。

依然課題が残り、復興は道半ばだ。被災者や被災地が早く震災前の暮らしを取り戻せるよう願いたい。一方、個人的には防災・減災への意識を枯らせないよう努める。毎年、家族で当時の記憶を思い出すなどし、自然災害に見舞われても、皆が落ち着いて行動できるよう未然に備えておきたい。

震災から8年、あらためてそう思った。

(写真〈上から順に〉:日本を代表するシンガソングライター・小田和正=NAVARまとめ、地震で混乱するオフィス(イメージ)=内閣府防災担当、復興が進む宮城県石巻市の様子=ダイヤモンド・オンライン)


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