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神さまに呼ばれる問題

ー啓示を投資と捉えたい

今年(2024年)は例年になく神社に足を運んでいる。特段スピリチュアルな世界に傾倒しているつもりはない。辰年で龍というキーワードは外出の目的にしやすいし、家族揃って良い一年にしたいという思いは強い。借りられるパワーがあれば、支払う対価が合理的である限り、そうした力を借りるのもいとわないー。そんな気持ちもある。

理不尽な仕打ち

当てもなくインターネットを彷徨さまよっていると、ふと思い立って神社に行くことを「神さまに呼ばれる」と表現する人たちがかなりいて驚く。過去に伏線もなく、気付けばその神社に足を運んでいて、これは目に見えぬ力のお導きに違いないという理屈らしい。解釈は人それぞれだ。

奥さんはこの言葉を好まない。冗談めかし、あの神社に何だか行かなければならない気がすると、さも神社に呼ばれている感を醸し出しつつ言うと、冷めた目でため息をつかれる。本気でそんな風には思っていないのに、どうしてそこまであきれられるのか、幾らか理不尽に思える。

しっかり分析

実際のところ、神さまに呼ばれると面白いと思う。夢枕に神さまが立ち、「指定の期間までにわが神社を参り、わが好物を奉納すれば願いを一つ叶えてやろう」と言われるのであれば、どこか疑いつつも真面目に検討するかもしれない。だって、これは信仰ではなく投資の話に聞こえるから。

投資にかかるコスト、リスク・リターンをしっかり分析したい。

(写真:『りすの独り言』トップ画像=りす撮影の素材を基にりす作成)

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