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ひらがなエッセイ #8 【く】

    バイキング形式の朝食フロアで周りを見渡せば、プレート山盛り海老フライおやじ、カレーと寿司とパスタを抱えた野球部の補欠ボーイ、ローストビーフ永久機関室内グラサンマダム、彼氏に気を使って少食アピールガールなど、色んな人間がごった返して、あぁ、どいつもこいつも豚ばっかりだな、なんて思いながら、食べる事よりも盛り付ける事に気を奪われ、ここに緑が無いと駄目なんだよな、なんて、別段食べたくも無いブロッコリーを彩りの為だけに手に取って、バイキングプレートと言う名のキャンバスに絵画を描き、出来上がった作品を得意げに披露して、周りの皆に、バイキングなのに好きな物食べないの?  馬鹿なの?  などと言われ、うへへ、なんてよくわからない半笑いでやり過ごしているのが、嘘偽り無く私である。食べたい物、好きなだけ豪快に盛れる人、羨ましいよ。

    喧騒の中、室内のBGMに耳を傾けると、ブランデンブルク協奏曲第5番 ニ長調、あぁ、バッハだ。音楽こそ至高の調味料。食べたくも無いブロッコリーが輝いて見える。なんて、食べたく無いのなら始めから取らなければ良いのだろうけども、盛り付け厨の私は自分を抑えられないのである。パスタの仕上げだけの為に、お茶漬けコーナーに置かれてある胡麻を取りに行くぐらいに。

    それは良いとして、バッハを聴けば、私はある人を思い出す。その人の名はグレン・グールド。30cmぐらいの変な椅子に座り、録音にも関わらず大きな鼻歌と共にピアノを弾き(鼻歌が聞こえるのでグールドのバッハはすぐわかる)、とても猫背で、そして、何よりも夏目漱石の【草枕】を愛した変人音楽家であった。

    【草枕】は、ざっくり言えば、絵描きが温泉に行くだけの話だ。その絵描きが考えている芸術論や人生論、また漢文や俳句について、のどかな温泉地に共に出かけて隣で聞かされているかのような、そんな小説である。グールドの後期は、間違いなく【草枕】と共にあった。それは芸術を志す人にとって、珠玉の名言が散りばめられているから、なんてありふれた事ではなく、彼もまた、旅人だったのでは無いのだろうか。私がこの小説を愛してやまないのも、同じように。

    などと、グールドと自分の共通点を数えながら私もまた天才なのであろうか、ふふふ、などと空想に耽っていたのだが、何の事は無く、私はただ綺麗にバイキングプレートを盛り付けるだけの凡人であった。とほほ。

    最後に【草枕】より私の好きな一節を。

雲雀(ひばり)は)のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、又鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀は屹度(きっと)雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句(あげく)は、流れて雲に入(い)って、漂うているうちに形は消えてなくなって、只(ただ)声だけが空の裡(うち)に残るのかも知れない。




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