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伊勢路

 鉄道の旅が、目的地までの到着時刻ばかり気にするようになって、鉄道会社の方でも、ダイヤ改正では何分短縮とか、何本増発とか、ただ、どれだけ速く何人運べるか、という点にばかり気を取られて、快適さやデザインは二の次になり、リクライニング・シートが何度傾くくらいの小さな話が大きく宣伝されている。それでも、沿線に観光地を抱えるような路線は、それなりに優等列車を走らせて、目新しさを競っているようだけれど、それはあくまで特別な日に乗る為の車両であって、日常の移動が貨物のような箱の中にぎゅうぎゅう詰めにされて、吊り革にぶらさがって運ばれてゆくことには変わりが無い。その特別な日というのは、日常から心理的にも物理的にも離れて、どこか遠くへ出掛ける日のことを言うのであって、つまりは、旅と呼ばれるその一日が、きっと誰にとっても特別な一日で、仮に独り旅であったなら、それは紛れも無く解放の日、また救済の日になり、旅のお陰でヒトは正気を保っている。それで、旅の行先にどこを選ぶかという最初に考えなければならない関心事は、そのヒトの嗜好(志向)であるとか、予算であるとか、また休むことの出来る日数によっても変わるもので、昔から、この国には「伊勢参り」という言葉があって、誰でも彼でも、死ぬまでに一度くらいは伊勢参り、などという風土もあるようだから、そのスピードを競っている鉄道の恩恵にあずかって、関東から日帰りで出掛けてみることにした。

 東西比較論を始める訳ではないけれど、我が国の伊勢参りというのは、西洋で言うローマ巡礼だとか、サンチャゴ巡礼だとか、あるいはイスラム教国であれば、メッカ参詣と似ているようなもので、どれほど神様にご利益があるのか知らないけれど、確かに、歴史を遡れば、神仏習合と言って、神様も仏様もまとめて拝んで済ませる、いかにも日本人らしい合理的な仕組みを作ったものだから、とりたてて熱心な信者でなくとも、お伊勢様と言わず、此の国の神社仏閣の敷居は低くて、誰でもかしこまらずに参詣することが出来る。もっとも、そういう宗教的な理由からではなくて、昔は厳格に身分が決められていた時代だから、参勤交代を繰り返している殿様でも無ければ、おいそれと生活圏を離れて、どこかへ旅をすることが許されている訳でも無く、そのお伊勢様へお参りするという名目は、ヒトが日常を離れて違う世界を見ることが出来る又と無い機会であったに違いない。

 それで、すっかり前置きが長くなったけれども、休みの取れた特別な日に、鉄道会社が満を持して走らせている特別な列車、それもわざわざ「観光特急」を謳って特別感を演出している「しまかぜ」号に乗ってみた。名古屋と伊勢の先、賢島を結ぶ「しまかぜ」の一番の特徴は、三号車ないし四号車にサロン(カフェ)が設けられているところで、かつては当然のように連結していた食堂車ほどのサービスは期待出来ないけれど、座席は側面一杯に広がる大きな窓の方を向いていて、伊勢までの道行を、軽食をつまみながら快適に過ごすことが出来る。実際、鳥羽辺りまでは海が見える訳ではないから、沿線の家の屋根くらいしか見るものは無かったけれど、地場の食材を使った軽食と、伊勢産というリキュールを愉しんでいる内に、気が付いたら伊勢市の玄関、伊勢市駅を過ぎて、緩やかなカーブと共に宇治山田駅へと入線するところだった。それは停車駅の少ない特急だから、名古屋から一時間少しで着いたことになって、折角、鉄道会社自慢の「観光特急」なのだから、もう少し寛いでみたい気持ちもあって、仮に速度を落として、目的地までの所要時間が延びたところで、先を急ぐ訳でもなく、競合する路線がある訳でもなく、誰も文句など言わないのではないだろうか。もっとも、こちらはリキュールで気持ち良くなっているのだから、格下の鈍行に追い越されたところで気にするはずもない。

 伊勢の街は、食の街である。昼前に着いた宇治山田の駅前に佇む「大喜」という料理屋は、皇族が伊勢を訪れる際は立ち寄られるという折り目正しい割烹で、平日ということもあり、他に客もまばらな落ち着いた店内の一席に座を占め、名代の伊勢海老の活き造りと、漬けにした赤身の魚を丼に乗せた手こね寿司を、この店でしか出していないという「ふくら雀」の純米吟醸と共に堪能する。「ふくら雀」は、お隣の伊賀で造られた優しい酒である。いわゆる神宮の門前町として発展した伊勢の街には、内宮ないくうにも外宮げくうにも、それらしい参道が続いていて、とりわけ内宮から伸びる古い商家の風情を残す伊勢街道や「おかげ横丁」などは、何処の店からも鼻先に薫香が漂い、今さっき食事を済ませたばかりだと言うのに、まだまだ食べ足りない気がしてくる。花より団子ならぬ神様より団子と言ったら不謹慎かも知れないけれど、内宮の参道を、食べ歩き目当てで逍遥してみれば、旨いものが我も我もと手招きをしているようで、「お伊勢屋本舗」の軒先で頬張った松坂牛の串焼きは、手軽に上質な牛が頂けて、しっかり肉の旨味が口の中に広がるお値打ちの逸品で、また「ふくすけ」で手繰った伊勢うどんは、自家製という漆黒の醤油だれが染み込んだ、もっちりとした歯応えが忘れ難く、確かに、死ぬまでに喰わなければ閻魔様に叱られるとは良く言ったものである。もちろん、伊勢に来て「赤福」を食べなければ、叱られるのではなく笑われるから、これも忘れずに本店を訪ねてみることにして、年季の入った縁側に掛けて口にした赤福餅は、眼の前で作られたばかりという鮮度も手伝ってか、誠に良く伸びて、温かい緑茶と合わせ、さても伊勢まではるばるやって来たものよ、という気持ちにさせてくれる。

 太古、八百万やおよろずの神というのは、自然を擬人化(擬神化)したのもので、内宮ないくうの祭神「天照大御神あまてらすおおみかみ」は太陽神、外宮げくうの祭神「豊受大御神とようけのおおみかみ」は豊穣の神であって、その日は、天照大御神の霊験か、良く晴れた一日で、神域の木立は森閑として、玉砂利を踏む足音が樹々の静寂を破り、時折さえずる鳥たちの声が音楽のように心地良い。簡素ながらも、一つ一つのやしろに気が遠くなるような古い来歴と由緒が付帯して、それら物語の集合が此の国の歴史の始まりであり、ローマや、メッカには無い静けさが、益々神秘の趣きをいや増して、此の場所が聖域であることを教えてくれる。とりわけ印象に残っているのは、内宮ないくうの大鳥居をくぐり、宇治橋で渡る五十鈴川の美しさで、参詣に当たって身を浄める「御手洗場みたらしば」と呼ばれる河原から見た澄んだ川の流れは、底の玉石が手に取れるほどに見透かせる清らかさで、陽光に照らされた水面の輝きは、あたかも鏡面の如く燦然と、正直に告白するならば、拝殿の前に立った時でなく、この五十鈴川の清流に、むしろ神々しさを感じ取る。古来、自然の中に神を見る、崇敬、畏怖する心理(真理)は、生まれついたヒトの本性であるのかも知れない。

 帰路には、大阪の難波から来た真紅の「ひのとり」号に津で乗り換え、名古屋までの短い道行を託すことにして、革張りのシートを使ったプレミアム車両の一号車は、前席とのピッチも広く、格別の居住性を実現していて、グランクラス並みの快適な座り心地に自然とまどろみゆく中で、内宮の参道で買っておいた「伊勢萬」の吟醸酒「おかげさま」の栓を開いて、大きな窓から後方へと流れてゆく街の灯を眺めながら一献傾ける。旅の無事と、穏やかに更けてゆく夜の鉄路に、おかげさまの気持ちを込めて、伊勢路の旅が、静かに終わろうとしている。

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